第58話 華頂の余裕

 時は過ぎ、9月の中旬。体育祭本番を迎えた今日、俺たちはグラウンドで、前年度の優勝旗返還や校長の話、準備運動などを行い、既に各クラスのテントへと戻っていた。


 俺らが所属する2団は青色のはちまきを額につけ、各競技に出る予定となっている。気温は33の真夏日。体操着だとしても、滲む汗は止まらない。


 それは誰もが同じで、耳を澄まさずとも「暑い」だの「氷欲しい」だの、体育祭特有でもないありきたりの愚痴が飛び出る。毎年小学校から運動会を経て、今まで来ているが、慣れるなんてそんなことはない。


 そんな真夏日の日差しから避けて、テントの下でムンムンと熱気を感じて居る俺は、早速100mの招集に呼ばれてその場を離れた。


 「頑張ってね」


 「負けたら笑ってやる」


 「ありがたいことだな」


 千秋は準備係、華頂も100mの招集に呼び出されているので、ここには蓮と花染だけ。花染は1000mに出場するので、蓮と同じタイプ。綺麗に分かれた長距離短距離だが、どちらとも悉く1位をもぎ取って来た精鋭たちなので、負けは考えられない。


 俺も載せられてる期待に応えるために、まずは1位を掴んで、打ち上げへのキップへと近づくとする。


 ザワザワと騒がしいグラウンドを、1人で寂しく移動する。ただ暑さだけが体を侵食し、寂寥もそれによって悪化して見られる。恥ずかしさはないが、伊桜に見られるのは、煽られることを考慮して避けたい。


 いや、避けたかった。


 「1位以外だと絶交するから、頑張って」


 しれっと後ろからゆっくり歩く俺を通り越して、隣に並ぶ時に誰にも違和感ないようにボソッと。返事は求めてないようで、ササッと先に歩いて行った。


 「煽りじゃなくてプレッシャーかよ……」


 予想外の優しめの言葉に、俺もボソッとせずには居られなかった。不意に優しさを込めて背中を押すのは、本性を知る俺には大ダメージだと知ってのことか。


 先を歩く背中は、小さくてもはっきりと見えた。それほど目で捉えて、感謝を伝えたかったのだと、我ながらよく理解したと思う。


 炎天下でも汗をかいた様子のない伊桜。体温調節が壊れているのか、吹き出ないことを羨ましく思う。これもまた、かみさまが二物以上与えた存在の当たり前なのか。


 そんな存在からの後押しを背に、俺は男子100m走の集合場所へ到着した。招集に案内されて腰を下ろすと、その隣に偶然、華頂が座っていた。男子と同じ時間にグラウンドへ向かうため、隣並びなのは知っていたが、まさか隣とは。


 「やぁやぁ、男子の1位が隣ってことは、力を分け与えてくれるのかな?」


 「……与えなくても1位だろ」


 女子短距離、圧倒的な速さを誇る華頂姫奈。3年2年とも走るこの種目ですら、1位を掴めるという秀才だ。


 「どうかな?コケたりすると負けるかもよ?」


 「そこでコケて負けるかもって言ってる時点でバケモノだろ。普通コケたら1位になる可能性なくなるだろ」


 「それもそうか。まぁ、勝ちは濃厚だし、1位掴んで屋上打ち上げ獲得しよう」


 「自信凄いな」


 俺はともかく、華頂の隣に並ぶ一緒に競う相手には、陸上大会で今年県1位を獲得した3年の檜山恵ひやまめぐみ先輩がいる。なのに余裕の表情は恐怖でしかない。


 コソコソと話してるので、檜山先輩には聞こえてない。でも、口に出せるほど自信があるのは大したものだ。それに、実力を知るから言えるが、これが慢心ではなく、檜山先輩にライバル視されて一蹴するほどの実力を持つので、文字通りバケモノである。


 「私が1番速いからね。自信はあるよ」


 「負けて悔しがってるとこを見たいな」


 「残念、私は負けないから。逆に隼くんの負けてるとこを見たいよ」


 「残念、私は負けないから」


 華頂の口調を真似して、バカにするように舌を扱う。自分でも思うほど似てなくて、若干気持ち悪さも感じた。2度としないとここに誓った。


 「ふふっ。全然似てないじゃん」


 「俺には華頂がこう見える」


 「最&低」


 上が居ないと確信すると、緊張はしない俺たちなので、走る前からリラックスは出来ている。しかし、こうして笑顔を作ることで、更に緊張から程遠いとこまで気持ちを安定させれるのは大きなアドバンテージだ。


 そして、華頂を解したタイミングで俺らの誘導が始まる。女子が先で、男子はその後に優勝を目掛けて駆け抜ける。大きなポイントではないが、1つでも上のポイントが欲しいからこそ、貪欲に全力で走らせてもらう。


 腰を下ろして、女子最後のランナーに目を向ける。それが誰もが楽しみにしてる勝負。華頂と檜山先輩の正真正銘正々堂々の勝負。成長する陸上部のエースであり県1位に対して、どんな勝負を見せてくれるのか。


 数は減って7組目が走り終える。2団が1位と2位でのゴールに、すぐそこのテントでは叫び声が劈くほど響く。3年の男子は特にそれが強く、最後としての思い入れが強いのだと声だけで知らせる。


 その時には既に8組目はレーンに並んでいる。最内と最外で別れた猛者たちの雰囲気は並のものではない。生死を問われたかのような、殺伐とした雰囲気が漂う。これが女子の一騎打ち。


 案内によりクラウチングスタートの構えをとる。BGMを除けば静まる会場。この中で安心して見守るのはきっと、いつメンだけだろうと、誇らしげに鼻高く思う。


 片膝ついてその時を待った。パンッ!と乾いた発砲音が耳へ響くと、瞬発的に動いた体を必死に前へと送り出す。女子とは思えないその回転速度は、最奥の檜山先輩へ、コーナー曲がり終える半分の時点で追いついていた。


 止まらない足は、更に加速し、声援を物理的な後押しとするように引き離す。檜山先輩はチラッと目で確認すると、口角を上げてニヤッと。勝てないのだとその時に思ったのだろう。そりゃ、未だにニコニコと楽しそうに、余裕そうに笑う華頂を見れば、誰でもそうなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る