2 不穏な邂逅

 いかな大陸周遊鉄道であろうとも、三等客車にはやたらと乗客が多い。その上、安定性も少々よろしくない。カーブなどに差し掛かろうものなら、乗客が一斉にくの字に曲がる有様だ。


「と、と、と……!」


 国境山岳地帯に差し掛かり、早くも十一回目の急カーブ。吊り革を握る手に、力がこもる。ホムラは他の立ち客と一緒に、身体を曲げた。乗車時には席を見つけて座れたものの、立ち客にいた老体を見かねて席を譲ったのだ。


「なるほど……こいつはキツい……」


 客車が数少ない直線路に出て、ホムラは息を吐く。かつての世界でも満員電車に乗ったことはあるが、老若男女というよりは男性が多いものだった。それに比べてこっちの世界は……


「うわあああああん!」


 突然子ども、それも女子の甲高い叫びが、ホムラの耳をつんざいた。誰かに足を踏まれたか、それとも人いきれに耐え切れなくなったか。叫びだけでは、判別がつかない。そして降りると泣こうが、どうしようにもない。必然、乗客たちは目をそらし耳をふさぐ、のだが。


「ウルッセェーナァ!」


 今回は勝手が違った。不運なことに、気が立っている乗客が近くにいたのだ。怒鳴り声は野太く響き、さらに続く。


「俺たちだって我慢して乗ってんだ! さっきから誰かが俺の足を踏んづけてくるんだよ! お前か?」


 脈絡のない怒鳴り声に、言いがかりじみた恫喝。親が泣く娘を抱えて頭を下げるも、怒りは収まらない。乗客たちは巻き込まれることを避けて距離を置く。ただでさえ狭い車内が、さらに窮屈になる。怒りの連鎖が、巻き起こる気配。


「んなろ……」


 ホムラの内心で、怒りの炎が立ち上った。子どもの泣き声に気持ちがささくれ立つのは理解できるが、それを当事者にぶつけるのは話が別だ。ましてや、周囲の乗客に迷惑を掛けてまで。


「すう……」


 火を吐かないように、呼吸を整える。常であれば、とうに爆発していただろう。しかし今はそれよりも重要なことがある。ましてやこの人だかりの中で火を放てば、列車は火炎地獄となってしまう。そうなれば。彼は必死に言い聞かせ、火を鎮めた。


「よしなよ、お兄さん」


 不意に、第三の声が響いた。サングラスのような眼鏡を掛けた、妙に身なりの良い壮年だった。しかし胸元のボタンが少し開いている。見た目の歳にしてはチャラいというのが、ホムラの第一印象だった。だが、今にも手を上げんばかりだった罵詈雑言の男を、見事に制していた。


「なんだオメェは!」

「通りすがりのオジサンだぁね。よしよしお嬢ちゃん。アメでも舐めるかい。お母さんも大変だねえ。ご苦労さまです~」


 気勢を削がれて吠える男をよそに、チャラい男は親子と喋る。きちんと男との間に立ち、親子を守ってもいた。これは手練の所業だ。ホムラは直感した。


「うおおお、俺を見ろぉ!」


 青筋を立てた男が、ついに拳を振り上げた。不意に腕からのぞくのはタトゥー。ホムラにしてみれば、真っ当な社会と縁を切った証のそれだった。


「あぶ……」


 思わず声が出る。いくら声を出しているとはいえ、悪漢は完全に壮年の背後を取っていた。このままでは。


 しかし。


 ヒョウっという音が聞こえそうなほどに、サングラスの壮年は軽やかに翻った。拳は空を切り、壮年と悪漢がほぼゼロ距離に立つ。壮年が、やや見上げる形。


「なんだ、やろうって」


 壮年が、己のサングラスに指をかける。そっとずらした。壮年と悪漢の、目が合った。


「の、か……」


 次の瞬間、悪漢が膝から崩れ落ちた。車内は騒然となった。なにが起きたか、わからないからだ。次は自分かという恐怖もある。しかし恐慌は、再びの闖入者ちんにゅうしゃによって遮られた。


「保安隊です! 車内で騒ぎがあったと聞きました! 失礼します!」


 ドカドカと乗り込み、人並みをかき分けていく保安隊。あっという間に悪漢までたどり着くと、二人がかりで連れて行ってしまった。その間の抵抗は、皆無だった。あれ程暴れていたというのにだ。


「っ……」


 だがこの時ホムラは、別の場所を目で追っていた。サングラスの男が、忽然と騒ぎの場から消えていたのだ。どこに行ったと、焦燥が漏れる。なぜならホムラは、あの一瞬にとてつもないものを見出していたからだ。


「魔眼……あるいは瞳術……」


 口の中で、言葉を漏らす。この列車にはさまざまな人間が乗る。それ自体はシャーリーンからも聞かされていた。しかし能力持ちが居るとなると話が違う。敵か味方か見極めなければ、いざという時に立ちはだかるやもしれない。特に魔眼持ちともなれば、ひと睨みでケリを付けられてしまう。要注意だった。


「どこだ、どこだ……」


 あくまで目線で、男を探す。身動きは取れない。悪目立ちだけは、避けねばならない。保安隊がいるなら、なおさらだ。下手に注目を浴びれば――


「兄ちゃん、気がダダ漏れだぜぇ」

「!?」


 聞き覚えのある口調は、背後から聞こえた。バカな。なぜこの人だかりの中を。いや。それよりも、どうして。


「ダダ漏れなんだよ。俺を追おうとする気運。目立ちたくないという気運。ほとんどの連中にはわからないだろうが、俺にゃあわかる」


 ホムラは、全身が発汗するような錯覚に襲われた。ここで男に全てを握られてしまえば、己の望みは夢のまた夢になってしまう。ましてや仮想敵たる水帝国、あるいは【マギ・ワルド】の一味だとすれば――


「まあなんだ。ここで会ったのもなにかの縁。ちょっくら飯でも、一緒にどうだい。マイフレンド」


 強張るホムラをよそに、サングラスの男は意外な要求を突きつけて来た。

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