1 作戦会議
土国と金連合国の国境付近にある、国境管理用の駅。普段は乗客がろくに居ないはずのその場所に、一人の男が立っていた。
赤髪ののぞく帽子をかぶり、無地の長袖シャツとキュロットに身を包んでいる。無論傍らには、旅支度。極めて平凡な乗客と言えた。
「あいよ。通行証は完璧だ。しかしなんだってこんな駅から金連合国へ行くんだね。ここはたいてい、国境通過の管理しかやってないのに」
「ちょっと用がありましてね」
呆れた様子の駅員に対し、男は風景を見たまま答えた。その瞳は赤く、来るべきなにかを見据えているようだった。
「まあ出稼ぎとかなんやら、あるんだろうね。お気をつけて」
「ええ」
駅員は実直である。しかし暇な仕事というのは、その実直さにすら一定の比率で蝕むものだ。駅員は男を深く追及することなく、旅路へと送り出した。
「うむ。次の列車は定刻通りにやって来るようだね。途中の車両にお偉方が載っているらしいから、前の方に詰めとくれ。まあ三等客車は一番前だけど」
「……はい」
瞬間、男の目が光る。しかし駅員は気付かなかった。やがて遠くから列車の音が響く。まことに定刻通り、男の目的とする列車が現れたのだ。
「それでは、ありがとうございました」
「お気をつけて」
男は駅員に一礼をし、列車に乗り込む。同時に数人の駅員が現れ、同じく列車に乗り込んだ。男に一礼された駅員は、不正な乗客を取り締まるべく、持ち場へと入った。その姿を目で追いながら、赤い瞳の男は小さく笑った。
暫くの停車を経て、列車は滑らかに走り出した。赤い瞳をした旅人は適当な席を見つけると、荷物を下ろしてどっかと座った。
「ふう……息が詰まるぜ……」
腕で汗を拭い、外と繋がる窓を開ける。風が一気に入り込み、男はようやく人心地付いた。
「これで列車には乗り込めたわけか……『仕立て屋』様々だぜ」
男は周囲を見回すと、そっと帽子を外した。途端、男の特徴である赤髪が溢れ出る。赤髪に赤い目。そう、彼の名は赤井ホムラ。魔公国侯爵マギアスからの願いを受けて、公女マリアンナ・ウィザーズの救出に挑む者である。
「おっと。あまり目立っちゃまずいっけな。夜になるまでは動きにくいし……」
ホムラは再び帽子をかぶる。そして呼吸を整え、目を閉じた。夜になる前に正体がバレては、全てが無に帰してしまう。彼は己を鎮めながら、昨晩の会議を思い返した。
***
「いずれにしても、救出しかないわね」
夜。それなりに広い宿屋の一室。机を挟むのはホムラとシャーリーン。とはいえ、主たる結論は最初から出ていた。正直なところ、この一手しかない。
「つまるところ、俺の時間か」
ホムラが両の指をポキポキと鳴らす。彼は暴力の徒ではない。しかし【マギ・ワルド】なる集団への怒り、ゴルドマントへの怒りは今もくすぶっている。直接ぶつけられるのであれば、暴力に訴えるのもやぶさかではなかった。
「バカ。いきなり襲撃を掛けたらテロリストになっちゃうでしょ。指名手配やお縄になったら、私だってホムラを切り捨てざるをえないんだから」
「じゃあどうすんだ? そもそもアレだ。姫様みたいなのはどうせ、特別なお仕立てで移動するんだろう? 一般人は近付けない奴じゃないか」
『それは大丈夫ですな』
「!?」
突然割って入った第三の声に、ホムラが驚きを見せる。しかし、シャーリーンは至って平然としていた。彼女は軽く侘びた後、とある器具を見せる。ホムラはそれを、ラジオに似ていると直感した。
「軍用の特殊な通信機よ。マギアス候に、小型の送受信機を渡しておいたの」
『作戦会議のお声が聞こえましたのでな。失礼ながら』
「お、おう」
驚きを見せるホムラだが、それも数秒のこと。彼は呼吸と口調を整え、再び口を開いた。
「しかしマギアス候。大丈夫と仰るのは」
『今回。姫様の移動は、大陸周遊鉄道にて行われます』
「ああ。五大国出資の、大陸周回鉄道ですね」
その通りでございます、と返事が入る。シャーリーンの顔に、わずかながらに喜色が差した。その間にも、マギアスからの情報伝達が続く。
『今回姫様がお乗りあそばされたのは、通常運行の列車でございます。水帝国が用立てた客車が、途中に挟み込まれているのです』
「なるほど。と、いうことは」
「ええ。敵地に乗り込むこと自体は楽になったわ。マギアス候、ありがとうございます」
『いやいや。必要な情報であれば、いくらでも差し出す所存。それに……暇ですからな』
マギアスの冗談めかした言葉に、小さな笑いが漏れた。これは森での会合の際、シャーリーンからも行われた提言である。一旦病を装うことで、【マギ・ワルド】に『消すことはできずとも、脅しは効いた』と思わせる策であった。
『ともあれ、水帝国がいかなる配備を客車に仕込んでいるかは不明です。そして中にはおそらく』
「ゴルドマントが、居るでしょうね」
瞬間、ホムラの眼に炎が宿る。いくら急ぎの戦とはいえ、己の火が全く通じなかった相手。しかしあの慇懃無礼ぶりは許し難い。思うほどに、炎がくすぶる。
「ホムラ」
「……おっと」
シャーリーンにたしなめられて、ようやく炎を止める。己の感情に応じて炎が高ぶるというのは、存外に扱いにくい。抑制を学ぶべきかと、ホムラは思った。ともあれ話を戻し、ホムラは聞く。
「しかし、だ。コウモリ。俺のような人間が真っ正面から乗り込んだところで、上級客の客車、ひいては姫様のところまでたどり着けるか?」
「コウモリじゃない。まあ心配しないで。変装から身分偽装まで。父の代から贔屓の『仕立て屋』を甘く見てもらっては困るわよ」
彼女は旅道具をゴソゴソとやった後、机の上に四枚の札と服を置いた。ついでにバッグを一つ、ホムラの傍らに。慎ましやかな胸を張って、シャーリーンは席へと戻った。
「大陸周遊鉄道の乗車券と、国境の通行証。どれもこれも本物よ。使い手以外はね」
「三等、二等、一等……つまりどうにかこうにか移動せよ、と。って、まさか使い手ってのは」
「ご明察。火種を呼び込んだ責任、全面的に取ってもらうわよ、『
「正式なご依頼、入っちまったか……」
ホムラは軽くうなだれる。たしかに話の流れで予想はつき、その前提で脳を動かしていた。しかし実際に決まると、頭を抱えたくなってしまう。
確かにこの数ヶ月、シャーリーンの手足を務めてきた。しかし潜入工作は初めてで、おまけに重要任務である。失敗は許されない。
「安心なさい。車中での行動はアンタに預けるわ。最終的な方針が決まったら、これを使いなさい」
そう言うとシャーリーンは、机上に小型の機械を置いた。ホムラはまじまじと見る。己の知識では、真実を暴けそうにはなかった。
「これは」
「軍用の超小型魔導通信機よ。候に渡したものよりも、最新の型。壊したら一生タダ働きの代物ね」
「お、おう」
ホムラは脇の下がじっとりする感覚を得た。潜入に失敗すれば切り捨てられ、通信機を壊せばお先真っ暗。しかし断れば投げ出すことになる。乗りかかった船から降りるのは、自分の信念に反することになる。つまり。
「やるさ。やってやる。そうじゃなければ、俺が俺じゃなくなっちまう」
「素晴らしい回答をありがとう」
『かたじけない……』
対面に座る娘から、通信機の向こうから、感謝の声がホムラの耳に入る。彼は気恥ずかしげに、鼻の下をこすった。以前の人生で、ここまで感謝されたことはあっただろうか。今となっては、思い出せなかった。
「マギアス候、コウモリ、待ってろ。俺はやる、やってやるぞ」
「コウモリじゃないっ!」
顔を赤らめて、シャーリーンが怒る。こうして、ホムラは車上の人となったのであった。
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