7 たとえ理想は違えども

「こんなところにお屋敷なんてあるのかね」


 ホムラは辺りを見回した。ドブ臭いがかすかに漂い、鼠の軽やかな足音が響く。まるで、道を外れた連中が住まう裏通りのようだった。


「シッ。この辺りは少々風紀が悪いので、あまりうるさいとなにが出るやら。黙って付いて来て下さい」

「む」


 シャーリーンに小声でたしなめられ、ホムラは押し黙って従った。その間にも、どんどん街は剣呑さを増していく。酒瓶が転がり、下卑た声もかすかに響く。ホムラが眉をひそめていると、少女はさらに通りへと入り込み、壁に埋まった木戸を開けた。


「どうぞ」

「……」


 扉の向こうへ通されるも、ホムラは口を開けなかった。そこにあったのは殺風景な小部屋。机が二つに本棚が一つ。椅子を含めたいくつかの道具と、最低限の調理台のみ。つまるところ、これでは。


「屋敷というより、アジトだな……」

「失礼。少し盛りました」


 悪気なさげに、彼女は頭を下げる。ホムラは息を吐きつつも、それ以上は追及しなかった。


「呪い子がおいそれと実家に足を踏み入れられるはずもなく。騙すような真似を働いたことを、お詫びいたします」


 詫びの言葉は、非常に流暢だった。恐らくはこの手管、過去にも幾度か使われているのだろう。


「おかけになってください」


 彼女に促され、ホムラは椅子に座る。飲み物を問われたが、彼は断った。今はそれよりも。


「……どこから聞けば、いいんだろうな」

「どこから話すのが、最適でしょうね」


 望んだことが、そのまま全て叶うとは限らない。目の前に佇む女性は、軽く息を吐いた。それまでまとっていた令嬢の空気が、船上にいた際のそれに戻った。


「力を抜いて」

「お、おう」


 言われるがままに、ホムラは肩を揺すって力を抜く。どこにこんな力が入っていたのかと考えるほどに、彼の身体は強張っていた。女子の家が初めてだからか? 否。己の運命がたゆたっていることへの、緊張だろう。


「うん。改めて私の立場から話していくわ。話しかけというか、断片的に過ぎたし。私は公爵家の令嬢。しかし魔族の特徴を持って産まれた呪い子。ここまでは」

「ああ、分かった」


 ホムラは、首を縦に振った。思えば先刻は、それを哀れに思いかけたところで、会話を絶たれたか。


「難儀だな」

「まあね。父がその手についての穏健派でなければ、産まれた時点でくびられていたわ。私に能力がなければ、生涯部屋住みでおしまいね」

「部屋住み」

「ええ。必要最低限だけ与えられて、一生飼い殺しよ。当然よね。呪い子なんて、政略結婚の手玉にさえ使えないもの」


 シャーリーンが、乾いた笑いを見せる。ホムラは小さく、息を呑んだ。冗談めかしているようで、彼女の人生における労苦が、わずかながらに忍ばれた。


「……少し重かったかしら」

「いんや。最初に聞けて良かったかもしれん。だが、これを打ち明けるということは」

「無論。貴方の今後について、腹案があるわ」


 彼女が立ち上がり、ホムラへと近付く。身じろぎするところに、手が差し伸べられた。にわかに少女の、空気が変わる。


「ホムラ。フルネームは?」

「赤井。赤井ホムラだ」

「ならば。アカイ・ホムラ。貴方は神の似姿である前に、一人の人間でありたいか?」


 ホムラはうなずく。当然だ。神の似姿なぞという訳の分からないもの、聞き流したことはあれど、受け入れた覚えはない。彼が真剣な目を見せると、シャーリーンからの手が、ズイッと突き出された。


「私の手を取りなさい。私が貴方を導く。その身に余る火の力を、心の力を。正しく照らす方へと指し示す」

「……逆に、焼き払うかもしれねえぞ?」


 手を取らずに、ホムラは口を開く。


「俺は自分で言うのもアレだが、バカで直情で、カッとなればすぐに飛び出す。そんな野郎がこの手を取ったら、いつかどこかでやらかすかもしれない。そう思わんか?」

「そうなったら、私に力がなかった。それだけよ」


 少女が、小さく笑った。しかしホムラは、その目に覚悟を見ていた。彼は一度、低い天井を見上げた。直後、右手をゆっくりとシャーリーンに預けた。


「わかった。どうせ俺は、このままじゃ根無し草だ。変に祭り上げられるよりかは、楽しめるだろ」

「よろしい。では腹案を話すわね」


 彼女はたおやかに席へと戻り、背もたれに身を預けた。そのくっきりしつつも小さな口が、おもむろに開く。


「まず前提よ。このゴギョ大陸は、大国……五ヵ国の均衡による平和で成り立っているわ」

「ふむ」

「細かいことはまた後々教え倒して身に付けてもらうけど、我が火王国も五大国の一つよ。平和を望み、均衡を維持しようと努めているわ」

「……他国を倒そうとは思わんのか?」


 ホムラは、率直な問いを放った。彼が知る歴史では、世界は戦争と闘争の連続だった。死に至ったまさにその時でも、侵略のニュースが聞こえてきたぐらいである。ゴギョ大陸では、それがないのか。重要な知見である。


「五大国はおおよそ国力が拮抗しているわ。だから、他国を倒そうとすれば自分が狙われることになる。自分から滅びを選び取る間抜けは、そう多くないわ」

「なるほど」

「とはいえ、そうは考えない者も一定数居るわね。軍備を整え、他国を倒して大陸を奪おうと思う者。平和のバランスを崩して利益を得ようと考える者。他国と内通し、我が国へ引き込もうとする者。それぞれの考えのもとに、陰陽に獣が蠢いてるわ」

「おぞましい話だな」


 でしょうねと、シャーリーンが応じる。しかし彼女は、言葉を続けた。その流れはまるで、ホムラを逃さないように伸びる、蛇の舌にも似ていた。


「結論から言うわね。私は父の手先、あるいは火王国の臣下として。王国の維持と平和の維持に努めているわ」

「ご苦労なことで」


 蛇の舌を知ってか知らずか、ホムラはのんきに応じた。映画みたいな話だというのが、率直な感想だった。案の定、シャーリーンが口を尖らせた。


「私だって、慈善事業じゃないわよ。こうでもしないと生き残れないの。いくら第一子だろうと、呪い子の時点で兄妹では末席。無価値とされれば即座に部屋住みよ」

「冗談じゃねえな」


 ホムラの中で、怒りが立ち上った。にわかに部屋が、赤く照らされる。


「一度二度コケたからって、なんだってんだ。人生、最後までやってみなけりゃ分かんねえだろ」

「呪い子だからよ。仮に呪い子から魔族が復活すれば、人は再び、己よりも強い種族との戦いを強いられる。禍根の根は、絶たねばならない。悲しいけれど。理不尽だけれど。間違ってないのよ」

「でもよぉ」


 怒りを抑えつつも、ホムラは零した。たとえどんなに無能であろうと、生きたいように生きる権利だけはあるだろうと。誰が誰に断って、人を押し込めるような生き方を許しているのかと。しかし、それでも。シャーリーンは、ホムラを肯定しなかった。


「……貴方の言うことに、おそらく間違いはないわ。でもね。それはきっと、貴方がやって来た世界の考え方。どんなに進んでいようと、正しかろうと、貴方はここでは少数派。私達には、私達が上手くやっていくための考え方があるのよ」

「……」


 ホムラは、なにも答えなかった。しかし、怒りの炎だけは収束させた。行き場のない感情だけが、彼の心を満たしていた。


「話を戻しましょう」


 沈黙を破ったのは、シャーリーンだった。彼女は言葉を選びながら、ホムラに問うた。


「私は、父と国の手先として平和と王国の維持に努めている。無論、一人では無理な話よ。さっきの船屋を始めとして、多くのツテや同輩に、ご協力を頂いてるわ」

「……海の上でも言ってたな。金を払って、人を使うと」

「ええ」


 少女がうなずく。そして半ば乞うように、ホムラに向かって頭を下げた。


「ホムラ。私に手を貸して頂戴。さっきも言ったように悪いようにはしないし、報酬も出すわ。理想は違うでしょうけど、きっと損はさせない。だから」

「……わかった」


 承諾の言葉は、小さくまろび出た。シャーリーンが、顔を上げる。


「え」

「わかった、つってんだよ。アンタの言う通り、確実にこっちじゃ俺は少数派だ。ついでに、残念ながら行く宛もねえ。だったらせめて、手を差し伸べてくれたアンタが落ちないように。生きたいように生きられるように。微力ながら力を貸す。それでいいか?」

「上等ね」


 少女が、軽く笑った。年相応ではなく、大局の中に生きる者の笑いだった。少女は改めて、男へと手を差し出した。


「ホムラ。貴方の役目は往来における私の身辺警護。それと、いざという時の暴力装置よ。必要な知識と礼儀は、これから実践も含めて叩き込むわ。私が思うに、貴方はバカ。だけど、物事を覚えられない方のバカじゃあない。血反吐を吐いても、付いて来なさい」

「承知」


 ホムラは力強く、少女の手を取った。この出会いと選択が最良だったこと。それにホムラが気づくには、今少しの時と経験が必要だった。

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