4 小国の危地、滾るは炎

「我が国の姫様、魔公国大公位継承者第一位。公女マリアンナ・ウィザーズ様の身に、大変な危険が迫っているのです」

「なんと!?」

「おい!?」


 マギアスの発言に、はしたなく驚くシャーリーン。一度は離れたはずのホムラも、素っ頓狂な声を聞いて戻って来てしまった。


「オイ、爺さん。どういうことだよ。まさか、爺さんが追われてたってのは」

「ホムラ、下がりなさい」

「いや。この際ですから、ホムラ殿も聞いてくだされ」


 ホムラをたしなめるシャーリーン。しかしマギアスはあえて介入を許した。人数が多いほうが、よもやの知恵が出るかもしれない。


「……承知しました」

「ありがとよ、爺さん」


 シャーリーンは美しい容貌を歪めて渋々と。ホムラはニッカリ笑って悠々と。それぞれの態度で本題に舞い戻る。その姿を確認したマギアスは、おもむろに口を開いた。


「まずはホムラ殿。木火土金水の五大国はご存知かな」

「ああ、コウモリから習った。面倒なところは省くが、そいつらがこの大陸のほとんどを占めてるんだったな」


 十分です。マギアスはニコリとうなずいた。彼は、自身の心に落ち着きが戻ってくるのを実感する。そうだ。気ばかりが急いていては、この夜道のように迷ってしまうかも知れぬ。


「コトはその五大国の均衡……微妙なバランスで成り立つ、ささやかな平和にさえ影を落としてしまうやもしれません。なるべくかいつまんでお話いたしますゆえ、ホムラ殿もお付き合いくだされ」


 マギアスは自身の整理も兼ね、すべてを打ち明けることにした。意識的に呼吸を深くし、ゆっくりと口を開く。


「まずはそれがしがなぜに追われていたのかですが」

「そうだな。そこが気になる。あの金マント、ゴルドマントだっけか? 見計らってる時に、【マギ・ワルド】って名前も聞こえたしな」

「そこまでご存知でしたら話が早い」


 マギアスはホムラに微笑みかける。同時に、敬愛する姫君とのやり取りを思い出した。全知全能とまではいかずとも、立場に応じて聡明であった彼女は今、どうしているのだろうか。なんとしても、助け出さねばならぬ。彼は気取られぬよう、そっと拳を握り込んだ。


「それがしも知って間もなきこと故、詳しくは存じませぬが。【マギ・ワルド】なる集団、ゴルドマントの口ぶりからすれば、五大国を含めて各国に根を張っているものかと」

「ふむ……」


 ここでシャーリーンが口を開いた。小首を傾げ、記憶から情報を引き出す。幸いにして、思い当たる節があった。


「そういえば。昨今わたくしの周囲で、まことしやかに囁かれている噂がございました。『五大国による均衡に不和をもたらし、世を混乱に陥れることを目論む集団がいる』と。【マギ・ワルド】なる名前は初耳ですが、もしかしたら」

「おお。さすがは名にし負う【蝙蝠令嬢】。『その身に備わる力をもって国々の闇を駆け、火王国の敵を払う』と謳われるだけはありますな」

「爺さん、目が高いな! 俺もコウモリとの付き合いはそこまで長くないが、コイツは頭もキレるし耳も早いんだ。拾ってもらった身でなんだが、そうでもなけりゃ……あいたたた!」


 シャーリーンがホムラの耳を思いっきりつねる。ホムラは悶え、シャーリーンは軽く咳払いした。マギアスは彼女の頬に、火によるものとは異なる赤みを見た。


「……コホン。身に余るお褒めの言葉を頂き、光栄至極に存じます。ですが、このままでは話が明後日に向いてしまいますゆえ。【マギ・ワルド】なる結社は、なぜにマギアス候を」

「それがしがきゃつらの陰謀を知ってしまった故。きゃつらは水帝国に入り込み、ご旅行と称して姫様をまんまと連れ出したのでございます」

「水帝国……確か五大国の第一国家だっけか? 均衡時代……今のようになる前は、大陸で一番デカくて一番強かったってコウモリから聞いたぞ」


 その通り。マギアスはあえて大仰にうなずいた。己の内側に滾る失策への怒りを、そうして少しでも散らしているのだ。


「なるほど。話が見えてきましたね。水帝国に残る旧時代の残滓……覇権主義者の派閥に【マギ・ワルド】が根を張り、陰陽に力を持ち始めているのですね」

「でしょうな。これは内々の話ですが、公女様には彼の国から縁談の打診も入っております。名は明かせませぬが、相応以上のお相手からでございます」

「よくわからんけどよ。アレか? 政略結婚か?」

「ざっくばらんに言ってしまえば、そうなりますな」


 マギアスは息を吐いた。そう、政略結婚。本来ならば、断ることさえおこがましい相手。しかし。


「……おかしいですね」


 怜悧な声が、空間を切り裂く。シャーリーンが、相貌を疑問に歪めていた。


「魔公国はある事情から五大国それぞれに人質を送っていたはずです。それも、微細なまでにバランスを取って。ご病気にあらせられる現大公は金国、摂政・大公代理を務めておられる弟君は水帝国の薫陶を受けたと聞きます。そして公女様は、ここ土国にご留学という名目で」

「よくご存知で。そう。姫様はこの土国にて、人質の役目を務めておられます。これが水帝国との御婚儀となりますと」

「人質の数、ひいては国内の勢力バランスが大きく水帝国側に傾いてしまう。ということですね」

「はい……」


 マギアスはうなだれた。これが覇権主義的な侵略行為であれば、どれだけ簡単なことだったろう。友好に見せかけた浸透行為ほど、外交において恐ろしいことはない。大っぴらに争えばいい、というものではないのだから。


「告発があったのです」


 彼はうなだれたままに口を開いた。


「『水帝国の影に陰謀結社あり。彼らの狙いは姫の秘める魔力と、公国の保有する【遺産】の支配権』。それがしは直ちに、秘密裏に動きました」

「大っぴらに動けなかったのか?」

「バカ。表向きは正当な招待でのご旅行よ。大きく動ける訳がないでしょ」

「じゃあどうすんだよ」


 ホムラが口を尖らせる。マギアスは、彼の周囲に火が立ち上るのを見た。火は滾り、やがて先の戦闘のそれよりも大きく噴き上がった。髪は逆立ち、今にも周囲に燃え広がりそうである。それが起きないのは、ホムラがギリギリのところで操作しているからだった。


「俺ァ決めたぞ。助けた爺さんが困ってるのに、手をこまねいていられるか。公女様とやらを助け出し、【マギ・ワルド】の野望も、ゴルドマントもぶっ倒す」

「バカ。アンタ一人でどうにかできると思ってるの? 相手は国家に食い込む結社よ? バカ一人の暴力で、解決できるなら苦労しないのよバカ」

「じゃあどうすんだよ!」


 バオッ!


 爆音にも似た音とともに、火の粉がポツポツと周囲に浮く。一歩間違えば、森を丸焼けにしかねないほどだった。マギアスの顔が、シャーリーンの美貌が照らされる。今やホムラは、二人を圧倒していた。


「俺ァ嫌だぞ。ここで爺さんに手を貸せずに、嵩にかかった連中が思うがままに振る舞う。そんなのを黙って見てるなんざ、お断りだ。コウモリぃ、止めるならお前と手を切ってでも」

「バカ!」


 シャーリーンが、またもホムラを罵った。しかしその瞳には、言葉とは異なるものが浮かんでいる。マギアスには、それが見て取れた。


「バカが一人で動いたって、無駄死にがせいぜいのところよ。知恵と根回しは任せなさい。それができずして、なにが【蝙蝠令嬢】か」


 炎とにらみ合うシャーリーンの言葉に、力がこもる。マギアスはある予感を抱き、彼女と目を合わせた。三者の視線が、しっかと絡む。美しい相貌に【蝙蝠令嬢】としての自信を滲ませ、彼女は口を開いた。


「マギアス候。我が食客ホムラが貴方を助けたのも、なにかのえにし。【蝙蝠令嬢】の二つ名に誓って悪いようにはいたしませんので、今回の件、わたくしどもにお預け願えませんでしょうか?」

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