3 蝙蝠令嬢
「ちょっとちょっと、ホムラ? アンタ、なにやってるのよ!?」
人の声を放った蝙蝠が、瞬く間に高度を落としてくる。それはやがて人の姿に蝙蝠羽を備えたものへと変わり、最終的には少女の姿をとって二人の前へと舞い降りた。
「おう、コウモリ。サンキューな」
「コウモリじゃないっ!」
一見不可思議な事象に対して、ホムラの反応は実に手慣れたものだった。片手を上げ、気安い挨拶を行う姿から察するに、どうやら知己の者らしい。マギアスは気取られぬよう、そっと胸を撫で下ろした。
「はあ……。まあいいわ。で、なにやってたのよ」
「なにって……追い掛けられていた爺さんを助けただけだが?」
「でしょうね……。街から見えるほどの火を上げるんじゃないわよ……。すぐに消えたし、森の奥だから誰も見には来ないでしょうけど」
少女が頭を押さえるさまを、マギアスは見る。この赤い男は、彼女にとっても頭痛の種なのだろうか。と思った矢先に、少女は少女らしい、慎ましい胸を思いっきり張った。
「まあ、安心なさい。周囲はひと通り見て来たけど、怪しい影は一つもないわ」
「オーケー。助かるぜ、ありがとな」
「調子に乗るんじゃないわよ……」
「礼を言っただけだぜ」
まったくと言いたげに少女はそっぽを向き、ホムラはなにが気に触ったのかわからないといった風に赤い頭を掻いていた。マギアスは意を決し、大きく息を吸った。
「あの。それがしが置いてけぼりにされているのですが」
「はぬあっ!?」
少女が大きく跳ねる。どうやら、ホムラとのやりとりに全神経が向いていたらしい。肩口で切りそろえられた鮮やかな金髪が、にわかに揺れた。
「や、失敬。それがし、未だに状況が飲み込めておりませんでな」
「あ、いえ。こちらこそ……」
「すまんかった」
二人がほとんど同時に謝罪する。それがやや照れくさかったのか、少女が話題を切り替えた。
「ところで、こちらの御老人はどうして追われていたの?」
「あー。その」
「申し訳ない。それがしがホムラ殿を疑ったがため」
かくかくしかじか。マギアスはホムラと出会ってからの状況を、かいつまんで少女に伝えた。少女は最初はウンウンとうなずいていたが、やがてうなだれるように頭を下げた。
「こちらこそ、申し訳ありません……。道を急いでいたでしょうに……」
「いや。冷静になればホムラ殿の言う通りでございます。この暗中でむやみに急いでも、行き倒れるのが関の山でした」
「そう仰っていただけるのなら……」
少女が深々と頭を下げる。そして次の瞬間には、ホムラをキッと睨み付けた。女性らしかぬ鋭い眼が、赤い男を動揺させる。
「ホムラ。少し離れて見張りをなさい」
「オ、オイ。さっき怪しいのはいないって」
「いいから」
「わかった。爺さん、俺が保証する。このコウモリは、信頼していい」
「コウモリじゃないっ!」
少女にたしなめられたホムラが、舌を出しつつ離れていく。マギアスは彼の瞳に、少女への確かな信頼を見て取った。さてなにが出るかと、マギアスは腰を据える。すると慎ましやかな少女は、たおやかに淑女の礼を披露した。
「度重なる非礼の上、名乗りまで申し遅れる無礼。誠に申し訳ありませんでした。わたくし、シャーリン・バットと申します。一夜の縁ですが、なにとぞお見知りおきを」
マギアスは息を呑んだ。まさかこのような場で、華麗なる淑女の一礼を拝めるとは。そして同時に、彼女の名乗りには心当たりがあった。バットという名字、そして先刻の蝙蝠。まさか、彼女は。
「【蝙蝠令嬢】」
「存じておられましたか」
「……ええ。これでも、多少なりとも社交界とは縁がございましてな」
マギアスは息を吸うと、これまた見事な紳士の礼を行った。闇深き森でありながら、二人の周囲にだけはあたかも、聖域にも似た清冽さがにじみ出ていた。
「魔公国侯爵、レオナルド・マギアスと申します。火王国公爵令嬢様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「……やはり」
蝙蝠令嬢ことシャーリーンは、息を吐いた。己の勘が冴えていたことに、胸を撫で下ろしたのだ。しかしそれもつかの間、今度はマギアスが口を開いた。
「恐らくは互いに忍んでいる身の上。いかなる事情かは存じませぬが、この場はざっくばらん、最低限にて参りませぬか」
「そうですね。そういたしましょう」
シャーリーンは、ちょうどいいと言わんばかりに提案に乗った。恭しく話を続けていては、腹の探り合いだけで朝を迎えてしまう。マギアスの提案は、正しく渡りに船だった。しかしそれでも、やるべきことはある。故に令嬢は、口を開いた。
「本題に入る前に改めてお詫びを。あれなるホムラは、厳密には私の食客という扱いになります。知らぬとはいえ数々の非礼、お詫びのしようもございません」
「否。それがしも義侠の心を持って動いて下すったホムラ殿に、疑いの目を向け申した。ここは一つ、互いの落ち度ということで」
「そういたしましょう」
二人は互いに、頭を下げた。これもまた、無為に朝を迎えぬためには必要なことだった。二人はほとんど同時に頭を上げる。ややあってマギアスが、重々しく口を開いた。
「それでは、腹を割ってお話しいたします。なぜそれがしが追われていたのか。実は……我が国の姫様、魔公国大公位継承者第一位。公女マリアンナ・ウィザーズ様の身に、大変な危険が迫っているのです」
「なんと!?」
シャーリーンの口が、驚きのあまりにはしたなく開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます