2 性分

「逃げろっつったろ、爺さん」

「老人の足では、アレが限界でして。お恥ずかしい」


 先の戦闘から半刻後。結局ホムラは、ゴルドマントを追うことを断念した。突風で行き先を見失った以上、闇雲に追いかけるのには無理があった。その上。


「……まあ、そんなもんか」


 逃した老人を、夜闇の中で路頭に迷わすわけにもいかなかった。結局さして離れていない場所で休んでいたとはいえ、死なせてしまえば後味が悪くなる。ホムラの性格上、それだけは避けたかった。


「俺の名前はホムラ。赤井、ホムラだ」


 森の中の、わずかに開けた場所。ホムラは自らの炎を灯し、火を焚いていた。老人とは向かい合わせだ。互いの目には、まだ信用に足るそれはない。だから、先に名乗った。


「ホムラ殿ですか。まずはこの老骨の命を救っていただき、誠にかたじけない。それがしはレオナルド・マギアスと申す者。身命をもって恩に報いる所存」

「マギアス爺さんか。覚えたぜ」


 ホムラは近くの木を折り、火にくべる。


「あまり火を上げると、目立ちますぞ」

「そうだな」


 マギアスから忠告が入るが、ホムラは意に介さない。もう数本折り、火にくべる始末だ。彼はやむをえず、質問を変えた。


「ホムラ殿は、なぜそれがしを」

「たまたま騒がしかったんで覗いたら、爺さん一人に、寄ってたかっていたぶる奴がいた。それだけだ」

「つまり、気に食わなかったと?」

「ざっくり言えばそうなるな」


 マギアスは、口をあんぐりと開けた。なんの事情も知らずに、ただただ気に食わなかった。そんな理由で動く人間など。


「貴殿は、その」

「バカかもな」


 マギアスの逡巡をよそに、ホムラの口角が上がった。彼は、言葉を続ける。


「今までもずっと、よく言われてきた。今更気にもならねえよ」

「……」


 マギアスは沈黙した。ホムラにどんな言葉をかければ良いのか、分からなかった。仕方ないので、話を現実に引き戻していく。


「それがしは一応、急いでいるのですが」

「やたら急いだって、夜じゃ道に迷っておっ死ぬのが関の山だ。少し待ってくれって、さっきも言ったろう?」

「むぐ……」


 唸り声を漏らしつつ、マギアスはホムラを見つめた。赤い髪。赤い目。赤い装束。目の前で赤々と燃える、炎の化身かとさえ見まごうような姿だ。しかしこの化身が何を考えているのかは、彼には理解し難かった。


「……暇が嫌なら、バカの昔話でも聞くかい?」


 化身が、ニカッと笑った。心底からの笑い。マギアスは、そう読み取った。人懐っこさを、彼は感じる。少なくとも、あのゴルドマントよりは悪党ではない。マギアスは思い直し、腰を据えた。


「俺ぁな、ちょっと遠いところからやって来た。まあ、旅人だ」


 マギアスの返事を待たずに、ホムラは語り始めた。どこか己を嘲るような、そんな調子に、マギアスは感じた。


「俺は昔っから曲がったこと、卑怯なことが大っ嫌いでな。まあ多勢が相手だろうと、権力持ちだろうと、拳を握って襲い掛かったんだ」

「……それでは身体が保たぬでしょう」


 マギアスは、率直な感想を述べた。するとホムラは、「ああ」とだけ答え、鼻下を擦った。なるほど、己を嘲った理由は。


「結局そんな性分がたたってボコボコにいたぶられ、流されちまった。気が付いたら、このせ……大陸にたどり着いていた」


 なるほどと、マギアスは心中でうなずいた。ほんのわずかの会話だが、ホムラのことが少しだけ理解できた。目の前の男は、自分が阿呆の部類にいるとわかっている。それでも身体が、動いてしまうのだ。


「では、先刻それがしを助けてくださったのも」

「おうよ」


 確認のために問いを向けると、ホムラは気恥ずかしそうに木をくべた。そうして下を向いたまま、炎の化身は口を開いた。


「ああいうのを目の当たりにするとな、こう、身体がカッと熱くなるんだ。すると、なぜかは知らんが炎が出る。だからそいつを、ぶつけてやった。あの金マントにゃ、どういう訳か届かんかったけどな」

「そうだったのですか。……かたじけないっ!」


 マギアスは今こそ、心の底からホムラに頭を下げた。己を省みず、手を差し伸べてくれた男。そんな男にわずかでも疑心を抱いたことを、彼は心の底から詫びねば気が済まなかった。


「おいおい、爺さん。頭を上げてくれよ」

「いいや。この老体、恥ずかしながら貴殿に疑心を抱き申した。本来であれば、頭を下げる程度ではとても足り申さん!」

「いいからいいから。助けた相手に裏切られたことなんざ、いくらでもあっからさ。仕方ねえよ」


 ホムラの懇願にも、マギアスはなおも頭を上げない。まるでそうしないと、彼の信念に反してしまうかのようであった。否、マギアスにとっては事実そうだった。結果、ホムラにはどうしようもない状況が生まれてしまったのだが。


「ちょっとちょっと、ホムラ? アンタ、なにやってるのよ!?」


 上から響いた人の声。その主は、蝙蝠の形をとっていた。

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