7-16 キリアノワ邸の客人たち

 キリアノワ邸の客人たちが一堂に会したのは、次の日の昼食の際だった。長机の左右に男女が並ぶ。エアロン・カンタール青年とリコ・メリライネン大佐が食堂を訪れた時、彼らの他にまだ二人分が空いていた。

 ツェツィーリアの執事が現れ、参加者全員の紹介文を読み上げる。退屈な自己紹介は主人が現れる前に済ませておけとのことらしい。

以下、この度のキリアノワ邸の宿泊客である。


 ヤロスラフ・クルグマン伯爵。ツェツィーリアの古くからのパトロンだ。巌のような顔付きの如何にもな風貌をした老人である。

 ベンジャミン・ロードマン氏は近年その名を轟かせている業家だ。女性をターゲットにした画期的な商品展開で一山当てている。最新のヒット商品はヘアブラシだそうだが、デザイン以外で既存品と何が違うのか傍目にはわからない。

 ミナ・ミロスラヴァ夫人。ツェツィーリアの叔母に当たる人物。亡き姉に変わって彼女の面倒を見ているそうだが、二人が初めて顔を合わせたのはツェツィーリアが成人してからと、随分遅かったらしい。

 オーランド・バストルは俳優だが、演劇好きの人間でも余程の通でなければ知らないだろう。高い運動神経を活かし、アクロバティックな演技をこなすことで最近やっと名が売れ始めた。一部のゴシップ誌ではツェツィーリアとの関係を仄めかされている。

 フリードリヒ・ダニーク氏は高名な医者だ。若い頃は学会に論文を出したりと研究者としての活躍も知られていた。親の病院を引き継いでからは経営に専念している。

 フローラ・ホイヘンス女史。本人のおどおどした態度とは裏腹に、暴力描写の多い陰惨な作品を書く小説家。代表作は『月光の滴る夜』。

 その他、宝石商のケインズ氏、放蕩気味の御曹司エアロン・カンタール氏、退役軍人リコ・メリライネン大佐を合わせた九名が滞在している。


「ウォルター・キースリング博士はご都合が合わず、この度は御欠席でございます」


 フリードリヒ・ダニークだけが反応したが、他の人の視線に気付くと慌てて言った。


「キースリング博士とは医学部の同期でして。会えないとは残念です」


 この九名の中では専らベンジャミンとケインズが会話を率先していた。二人は人見知りをしない上に喋り好きのようで、たちまち他の参加者を巻き込んだ。女性陣はその勢いに圧され気味で、オーランドとフリードリヒは聞き役に徹している。クルグマン伯爵は彼らの騒々しさが我慢ならないらしく、端々で鋭い一言を発して会話を中断させていた。


 そんな時間を二十分程度過ごしたあと、ツェツィーリア・キリアノワが姿を現した。今日のドレスは深緑色で、シンプルながら一目で高価なものとわかる材質だ。

 彼女らの登場に一同は息を飲む。うち七名は当然歌姫の麗しさに。残り二名だけはお付きの若い娘を見て。

 予想されうることだったのだ。

 エアロンは自分の迂闊さに唇を噛む。

 そこにいたのは、メルジューヌ・リジュニャンであった。


 ツェツィーリアとメルジューヌが席に着く。歌姫は一同に微笑み掛けた。


「皆さま、お待たせして申し訳ございませんでした。こうして多方面でご活躍されている方々と同じ時間を過ごせて光栄ですわ。是非皆様から沢山のお話をお聞きしたいと思っておりますの。どうぞごゆっくりお寛ぎくださいましね」


 歌姫は淑やかに、それでいて劇掛かった話し方をした。口調こそ柔らかいが、多少の観察眼があれば、それが彼女の演技だとわかる。きっと彼女はそうして、決して本心を見せない、喰えぬ女だと相手に知らしめているのだ。


「あたくしの新しい付き人を紹介させていただきますわ」


 彼女は傍らに座る黒いドレスの少女を示した。


「こちらはメルジューヌ。付き人と申しましても、実際は舞台の仕事を見せるために少々預かっているだけですの。彼女もいつかは舞台に立つことを目指しているそうで」


 メルジューヌは礼儀正しく一同に挨拶した。淡い紫の視線がエアロンや船長の上を通り過ぎるが、彼女は特に反応を示さなかった。


「ほほう、見た目の素質は申し分ないようだ。何か特技はあるのかね? 歌か、演技か?」


 クルグマン伯爵が僅かに身を乗り出す。メルジューヌは愛らしい笑みで答えた。


「ありがとうございます、クルグマン卿。まだどれも勉強中の身ですが、運動神経には自信がありますの。ダンスなら得意になれるかもしれませんわ」

「ほう、ほう! それは楽しみだ。ツェツィ、君から見て彼女はどうだね?」

「本当に、まだ預かって日が浅いのですよ。ただ例えるなら、彼女は粘土のように柔軟な人間です。身も心も自由自在に変形させて生きていける……その一方で、誰にも彼女に型を押し付けることなどできないようにも感じますわ」


 そう言うツェツィーリアの表情はどこか意味ありげだ。

 クルグマン伯爵の質問攻めは料理が出揃うまで続いたが、メルジューヌは薄っすらと頬を染め、当たり障りない返事で受け流していた。

 食事が終わると、ツェツィーリアは客人たちに館内で自由に過ごすよう言った。


「お一人ずつお招きしてじっくりお話を伺いたいわ。その時は執事に呼びに行かせますので、必ずいらしてくださいね」


 そして、昼食の会はお開きとなった。

 初回はクルグマン卿が呼ばれていった。やはり重要なパトロンということで、ツェツィーリアもかなり気を遣っている様子が見て取れる。メルジューヌは稽古があるからと退室し、その他の面々も思い思いに出て行った。



***


 エアロンとメリライネン大佐はまず館内を散策することにした。

 外から見た通り、邸宅はとても広い。丁寧に見て回ったら、それなりに時間が掛かってしまった。建物自体の装飾も見事だが、過去の舞台の写真やポスターが至る所に飾られており、見所の多さはもはや美術館と言ってもいいくらいだ。

 途中、若き日の歌姫の肖像画を見るミロスラヴァ夫人に出くわし、三人は軽く話をした。


「綺麗でしょう。これは二十歳の頃のツェツィよ」

「本当に美しい方ですね。加えて演技も歌も素晴らしい。才色兼備とは彼女のことですよ」


 エアロンの相槌に夫人は気を良くしたようだ。


「彼女はすべてを持っている女性ですわ。この時演じた役も本当に素晴らしくて」


 夫人はうっとりと回想に浸っている。エアロンは少し意地悪を言いたくなった。


「彼女はあなたの姪にあたるんでしたよね? 失礼ですが、あまりお顔立ちは似てらっしゃいようで」


 途端にミロスラヴァ夫人が顔を真っ赤にする。


「それは当然ですわ。私は姉と違って器量良しには生まれませんでしたし。そもそもツェツィは父親似なのですよ」

「お気を悪くされたようで、すみません。僕が言いたかったのは、ツェツィーリアは強い女性の美しさをお持ちですが、あなたはどちらかと言うと守りたくなるような可憐さがおありだということだったんです」


 またも夫人は赤面したが、今度の火照りはまた違うものだった。

 エアロンはわざとらしく茶目っ気たっぷりに笑って見せ、終始無言で無表情だったメリライネンを連れてその場を後にした。

 踊り場を回ったところで、背後からベンジャミン・ロードマンに声を掛けられた。


「やあやあ、今のは見事だったね! 御曹司というのは息をするように女性を口説けるんだなぁ」


 エアロンはムッとして振り返った。


「そんなつもりはありませんよ。不躾な事を言ったと反省しているところです」

「いやいや、ボクは感心しているんですよ。マーケティングのために女性と接する機会は多いんだが、どうやらボクには女性を口説く才能が欠如しているようでねぇ」


 そう言いながらベンジャミンは馴れ馴れしくエアロンの肩を抱く。エアロンは露骨に嫌悪を表した。


「はは、そんな嫌そうな顔するなよ、君。失礼、メリライネン大佐。ボクは彼くらいの歳の若者と話をするのが好きなもんでね。どうです、少し庭を見に行きませんか?」

「構わない」


 メリライネンは不愛想に答え、三人は庭に向かった。

 キリアノワ邸の庭園は一般的なそれとは様相を異にしていた。庭師の仕事ぶりは申し分ないが、如何せん植えられた木々が鬱蒼としていて、暗い色の花ばかりが小道を飾っている。要所要所に東屋が構えられているが、その佇まいはまるで人目を忍んでいるかのようだ。

 迷路のように入り組んだ小道を辿っていると、瞑想に耽るフローラ・ホイヘンスと遭遇した。


「早速ボクの口説きのテクニックをお見せするよ」


 ベンジャミンはそう言ってエアロンにウインクすると、大袈裟に両手を広げながらフローラへ近付いて行った。


「ああ! 美しい花の妖精かと思いましたよ。こんなところでお会いするなんて、ミス・ホイヘンス! まさに運命的ですね。フローラとお呼びしても?」


 エアロンはげんなりするフローラの顔を見て盛大に噴き出した。


「これは酷い!イタリア男もびっくりだよ!」


 フローラは後からやってきた二人に助けを求めるように目をやった。


「この方、どうかなさったの? お酒を飲んでらっしゃるの?」

「あはは、そうだったらまだマシだったんですけどね。彼なりにあなたに気に入られるために一生懸命やったんです。ねえ、レディ? 僕がフローラとお呼びするのはいいでしょう?」


 フローラの顔がサッと紅潮した。淡い色の瞳が伏し目がちに二人を見る。


「え、ええ。どうぞ……」

「ずるいぞ! ミス・フローラ、ボクのことは気軽にベンとお呼びください」


 エアロンとベンはそれぞれフローラの左右に腰掛け、迷惑そうにする彼女に向ってやんややんやと捲し立てた。またしても終始無言なメリライネン大佐は、何をするでもなく庭の木々を眺めている。


「ところで、こんな所にお独りで何をしていらしたんです? 新しい本の構想でも?」

「あの、はい……素敵なお屋敷なので、ここで事件が起きたらどんな風だろうって想像していました」


 これにはベンジャミンも面食らう。


「流石新進気鋭の天才作家だ。考えることが違いますね」


 フローラは彼の言葉など興味がないようで、虚ろな顔で屋敷の影を見上げていた。彼女の声はとてもか細く、まるで霧の向こうから聞こえてくるようだ。


「お二人ならどんな事件を想像しますか?」

「そりゃもちろん、愛憎の末の悲劇ですね。役者なら揃ってる。美貌の歌姫、彼女と噂のある若手俳優、そこに現れた女たらしの御曹司――」

「ちょっと、僕のどこが女たらしだって言うのさ」


 エアロンが食って掛かる。ベンは笑って続けた。


「ボクも一枚噛みたいけど、このメンバーの中では難しいなぁ。あ、ダークホースとしてメリライネン大佐が歌姫を射止める選択肢もありだ。フローラ、あなたの役どころは若手俳優が無名の頃に付き合っていた昔の恋人ですよ」


 この物語は女流作家の興味を刺激しないようだった。

 それなら、と御曹司が首を捻る。


「僕なら、そうだな……宝石盗難事件ですね。歌姫の秘蔵の宝石が盗まれるんです。で、それが実業家の部屋から見つかったと思ったら、実は模造品だとわかる。宝石商がいるでしょう? 彼は怪盗なんですよ。模造品とすり替えて、成り上がりの実業家に罪を着せようとしていたわけです」


 この案もフローラの好みには合わないようだ。


「どちらの事件も血と秘密が足りませんね。私なら――そう。エアロンさん、宝石商の設定は私も同じものを考えておりました」

「へえ。あなたはこの屋敷にどんなお話を考えるんです? 是非聞かせてください」


 フローラはまた少し頬を染め、俯いて指先を見詰めた。ぽつりぽつりと語り始める。


「まだ事件の内容までは考えていないんですけど。私はいつも、まず参加者全員の秘密や裏の顔を考えるんです。例えば、歌姫にはスパイ容疑が掛かったことがあったそうですね。現実では疑いは晴れましたが、私の物語では本物のスパイです。クルグマン伯爵はその証拠を握っていて、歌姫を強請っています。バストルさんは歌姫のスパイ仲間。彼女が伯爵に脅されていることを知り、彼を始末しようとしています」

「お、おお……これは凄い方向から攻めてきましたね」

「ミロスラヴァ夫人は交霊術に傾倒しています。亡くなったお姉様の霊を呼び出して予言をさせていますが、実際は詐欺師に騙されているだけで、多額の借金を抱えているでしょう。ダニーク医師は藪医者で、ありもしない病気をでっちあげては老人たちからお金を巻き上げています。メリライネン大佐は難しいのですが……実際に秘密部隊に属してらしたそうですので、それはそのままでいいと思います」


 エアロンが感心の唸り声を漏らす。


「なかなかリアルでありそうだ。僕やベンはどうですか?」


 フローラは更に言い辛そうに身を縮めた。


「エアロンさんは、その、スパイとか殺し屋でいいと思います。あまり御曹司らしさを感じないので、身分を偽って潜入しているんですね」


 エアロンはギクリと息を呑んだ。ベンジャミンがさも愉快そうに笑う。


「それはいい! 似合うよ、エアロンくん! で、ボクは?」

「ベンは……」


 そこまで言い掛けると突然フローラは立ち上がった。そして、「ごめんなさい、また後で」と言い残して走り去ってしまう。残された二人はぽかんと口を開けてその後姿を見詰めた。


「ええ? いきなりなんだ?」


 戸惑うベンジャミンを指差してエアロンが笑う。


「さぞ酷い設定だったんでしょうね! なんだろう、前科二犯かな? 児童性愛とか。夜な夜な悪魔崇拝の儀式とかしてます?」

「ふん、逆に決まってるだろ! ボクは惨劇の中でフローラと結ばれる王子様役さ」

「あ、わかった。被害者役だ。最初に殺されるのがあなたなんですよ」


 この時ふざけて言った冗談が現実のものとなるとは、二人共思ってもみなかった。


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