5-31 殺戮と業火
押しつ押されつで前進後退を繰り返す両軍。その様を城壁の頂上から見下ろしながら、航海士ミナギは味方に駆け寄る敵兵の狙撃を続けていた。
「まずいな、船長が圧されるなんて……」
双眼鏡で二人を追ってみても、接近戦のため修道士だけを狙えない。彼には上司の健闘を祈って歯噛みすることしかできなかった。
「ん……?」
ふと、視界の隅に捉えた長髪の男。
人影に遮られ、その足取りは所々しか掴めない。
男は強張った面持ちで何か重い物を運んでいた。無骨に組み込まれたシリンダーと突き出た砲。日常生活では確実に見る機会がないであろう『ソレ』が何なのかに気が付いた時、ミナギは声を振り絞って叫んだ。
「ジャンルカ! 逃げろ、ジャンルカぁぁぁぁああああああ!」
赤軍服の貴族軍に混じり、拾い物のタルワールで十字軍の一人に斬り付けていたジャンルカは、頭上で聞こえた航海士の声に振り返った。彼の後方、壁の上に狙撃銃を構えながら、必死で「早く逃げろ」と叫んでいる。
自分は今目の前の敵に手一杯なんだ、何を言っている――そう一瞬考えた、気がする。
ジャンルカは迫る敵兵越しに正面に立った民兵を捉え、そして、ミナギの悲痛な警告の意味を悟った。
***
ラファエル――天使の名前を持つ男。
皮肉なことに死神にしか成り得なかった彼の名前を、屍となった被害者たちは知ることはないのだ。
溢れんばかりの正義感は近代兵器という力を手に入れ、不安と絶望に醜く歪められていた。
彼とて、自分が引き金を引けばどうなるかぐらいは、わかっているつもりだった。それでも、誤った彼の信仰が、思い込んだ正義が、彼に殺戮を強要した。
「うおおおおおおおおお!」
雄叫びと共に引き金を引く。
連続する破裂音が戦場を揺るがし。
薬莢が飛び散る音。舞い上がった砂埃、混じる肉片。
彼が無作為に放った機関銃が、帝国の兵士たちも同朋の十字軍たちも、見境無く撃ち殺した。
***
〈アヒブドゥニア〉号の船長は、はじめ、ミナギが何を慌てているのかわからなかった。
彼の位置からは機関銃を持った民兵の姿は見えず、信頼している自分の部下がタルワールの手を止めたことだけが確認できた。一抹の不安が頭を過るも、老練の修道士が繰り出す攻撃に防戦するのが精一杯で、部下の援護に回ることなどできはしなかった。
機関銃の銃声は剣士の耳にも届いた。
何事かとそちらを振り返る、一瞬の間。躱し切れなかった十字架が二の腕を切り裂くが、船長は応戦することもできず目を見開いた。
永遠とも思われる長い時間だった。
コマ送りのようにゆっくりと、降り注ぐ銃弾の雨が部下の体を貫いていく。
腹に突き当たった弾丸が微量の肉片を伴って背面から飛び出す。続けざまに関節を撃ち抜かれ、左腕がもげて吹き飛んだ。体は無様な操り人形のように震え、ミナギが民兵の肩を撃ち抜くまで、その攻撃は止まなかった。
「ジャンルカ……!」
船長は交戦相手を放り出して走り出した。シメオン修道士が逃がさぬとばかりに背中に切っ先を突き立てる。その激痛すら彼を止めることはなく、船長は崩れ落ちた部下のもとへ駆け寄っていた。
戦場は一時沈黙した。
居合わせた民兵も、貴族軍も、機関銃という殺戮兵器の為した業が信じられずに、呆然とその光景を眺めていた。
砂が血を吸って変色する。白い城壁はボロボロと崩れ去り、瓦礫が落ちる微かな音だけがその場に響いていた。
藍色の剣士は無言で部下の残骸を見下ろしていた。長身の影が肉塊を覆う。
よく笑う気のいい船乗りの名残は、もはや無かった。
「貴様……」
青い目から光が消えた。振り返った剣士は瞳孔を開いて標的を捉える。
狙撃されたラファエルは血が吹き出す肩を押さえ、自分が仕出かした悪事に怯えながら立ち尽くしていた。
放り出された機関銃の脇に、薬莢に混じって彼のロザリオが落ちていた。
「船長!」
航海士が叫ぶ。
その声は届かず、〈アヒブドゥニア〉号の船長はレイピアを構え、無防備にへたり込む民兵に躍り掛かった。
ミナギが踵を返す。修道士が剣士に迫る。
しかし、そのどちらよりも速く、民兵と剣士の間に滑り込んだ男がいた。
靴が砂を弾き飛ばす。鈍い衝撃に船長はハッとして動きを止めた。血が刀身を伝って滴っていた。朱がじわりじわりと、穢れ無き白を侵食していく。
神官セメイルは壊死の進む右手を切っ先に晒し、民兵を庇って長剣に貫かれた。怒りが滲んだ深紅の瞳が驚愕に震える民兵を睨む。
セメイルは藍色の剣士を振り返り、静かに話し掛けた。
「剣を収めてください」
船長は何か言いたげに口を開き、しかし、何も言えずに大人しく従った。
剣を抜く瞬間、神官の顔が苦痛に歪む。船長は神官の血が螺旋を描いて刀身を舐める様を見るしかなかった。
神官セメイルが立ち上がる。美麗な白のその姿に、誰もが息を呑んで注目していた。
神官は異形の眼で戦場を、そこに立つ一人一人を見据え、やがて怒りも露わに声を張り上げた。
「ヴァチカン教徒よ、わたくしと信仰を共にする者たちよ、今すぐ武器を捨てなさい! これは聖戦などではありません。あなた方がやっていることは殺戮です!」
誰も動くことができなかった。
セメイルは深く息を吸った。
「わたくしはアバヤ帝国が開国に向けて揺れていると聞き、援助を申し出るためにここを訪れました。内密の旅路故、メディアが誤った報道を流し、あなた方に大いなる誤解を与えてしまいました。それはわたくしの罪です。贖いようのない重罪です。ですがまずは、わたくしはわたくしの信徒たちを叱らなければなりません」
今や深紅の双眸は、炎の色だった。
人工の偶像である神官が神の使徒として怒りの業火を吐く。そこに微かに混じる苦悩が、聴く者たちの心を打った。
「あなた方は何をやっているのです! それが、こんなことが、主の教えでしたか? 隣人を愛せよと、他人を疑い攻撃する前に、まずは愛でわかり合おうとせよと、そう仰った主の言葉を忘れたのですか? わたくしの身を案じてくださったことは十分にわかります。ですが、あなた方がしたことは間違いです。信徒たちよ、主の教えに従うために、あなた方が今すべきことはなんですか? 異国に赴いて命を奪い、そして自らも命を捨てることではありません! 今すぐ家へ帰りなさい。あなた方の身を案じ、不安に震えている家族のもとへ帰りなさい。あなたを愛している者たちの元へ帰るのです!」
***
神官の声は少し離れた場所に立つスイス・ガーズの耳にも届いていた。
タウォードは凛と張り詰めたその声を聞き、その声に含まれた怒りと悲しみを知った。同時にそれは、善の鉄鎚となって汚れた裏切者に裁きを下す。
自分たちは皆、間違っていたのだ。
仕方がなかったんだ。
だって、俺は元々罪人だったのだから。
そう言って未来に目を瞑り、開き直って悪事を重ねる咎人の俺と。
同じ罪を背負いつつも尚、これから自分が為すべき善と向き合ったかつての親友と。
――愚かだったよ。だけど俺はもう、引き返せない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます