5-32 黒幕
爆音が響く。暗い影が落ち、突風が吹き荒れた。
神官セメイルが空を仰ぐ。
不格好な航空機が上空に留まっていた。
『総員に告ぐ! こちらは国際連盟治安維持部門である! この戦争は今から我々の管理下に置くこととなった! 総員直ちに武器を置き、双方の陣営まで撤退しろ!』
拡声器越しの男の声は同じ内容を帝国語で繰り返した。
民兵や民間人は呆然と付近の軍人に指示を仰ぎ、彼らが武器を捨てるとそれに倣った。
帝国貴族軍が王宮に撤退する。スイス・ガーズはじめ、黒服の軍人たちも城壁前から撤退を始めた。
***
王宮の裏門から空を見上げ、立ち止まった四つの影がある。
初めに気付いたグウィードが驚嘆の声を上げた。
「おいおい、なんだよあれ!」
歪な丸い機体に回転翼を備えた小振りな航空機は、世界大戦の折に見たことのある物とは造形も動作も異なっていた。それは肉眼でも細部が視認できる高度に停滞し、地上に爆風を巻き起こしている。
「ヘリコプターだ。あんな物を実用化できるのは――」
その声には聞き覚えがあった。
「アーヴィンド!」
エアロンが叫ぶ。
あの声は間違いなく国際連盟所属の調停官、アーヴィンド・マクスウェルのものである。
「どうしてアーヴィンドがここに? 主任が呼んだんですか?」
「いや、知らないね。まさか国連がこんなに早く動くなんて――」
「壁の外に降りるようです。行ってみましょう」
四人はヴァチカン教徒たちに混じって崩壊した西ゲートから脱出した。そこで目にした戦争の残骸は凄まじい。幼少の記憶として暗く翳っていた世界大戦当時の記憶が、晴天の下に蘇ろうとしていた。
機体はミングカーチへ続く公道を占拠する形で着陸した。四人が追い付く前に機体から男が降りてくる。懐かしい緑の瞳を巡らせて、アーヴィンド・マクスウェルは迎えに来た軍服の男に近寄って行った。
グウィードが慌てる。
「おい、行っちまうぞ。どうするんだ?」
「もう少し様子を見よう。あの軍服がいたんじゃ話し掛けられない」
この調停官と茨野商会は長い付き合いだった。昨年も〈エウクレイデス〉号という豪華客船にてエアロンは彼のために働いている。上手く交渉できれば、逃亡のために便宜を図ってもらうこともできるかもしれない。
軍人は調停官を車に乗せ、西ゲートへ引き返した。
「戻るのは危険だよ。ここで待っていた方がいいんじゃないか?」
「でも、状況は確認しておきたいですよね。〈アヒブドゥニア〉のことも心配だし」
「セメイルもまだ王宮にいるんじゃないか? 船長が保護してくれてればいいけど――」
その時、身を隠す彼らの前をさらに人影が通り過ぎた。
土埃に浮かび上がる場違いな白と黒。二人の若い娘が手を取り合い、妖精のように駆けて行った。
「今のは……!」
エアロンが息を呑む。
見間違うはずがなかった。
セメイルの妹、ラスイルと。
――メルジューヌ・リジュニャンだ。
「嘘だろ? なんでメルジューヌが、アーヴィンドの飛行機に乗ってるんだ?」
「嗚呼、なんてこと」
「主任?」
「国際共同科学研究所だ――エアロン、ヴァチカン教会に〈浄化〉の技術を与えたのは、この戦争を仕掛けた裏にいるのは――国連なんだ」
彼女は明らかに取り乱していた。額に滲んだ汗は暑さのためではない。
エアロンは小柄な彼女のつむじを見下ろし、彼女が口走る端々からその推理を理解しようとした。
「帝国が申し出を断ったから、神官をダシにして戦争を起こしたんだ。調停官が仲裁に入れるようにするために。外部から強制的に『例の土地』を接収するために……!」
「ちょっと、主任!」
「急がないと! 皇帝陛下が心配だ! エアロン――」
「わかった、わかったから落ち着いてよ! あんたが先走るのは危険すぎる。そのために僕らがいるんだろ?」
「……っ」
深呼吸を一つ、二つ。
椿姫はゆっくり瞬きを一度し、押し殺した声で答えた。
「……そうだね、ありがとう。エアロン、グウィード、付いて来てくれるかい?」
二人は黙って頷いた。
しかし、彼女の前にイエニチェリが立ちはだかる。
「いけません、椿姫様。お戻りになるのは危険です」
「アクバル、バーブル皇帝陛下の身が危険になるかもしれないんだ。あんただってそんなこと言ってられないだろ?」
「私は陛下より椿姫様を安全な地までお連れするよう命を受けています」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
「まあまあ、二人とも。このままじゃ埒が明かないよ。とりあえず近くまで行って様子を見よう。それからどうするか決めても遅くないでしょう?」
見兼ねたエアロンが仲裁に入る。二人は渋々同意し、一行は急いで来た道を戻った。
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