5-28 開戦

 バーブル帝は一同に怪我が治るまで王宮に滞在するよう勧めた。


 街に出ることは許されなかったが、活気に満ちた街並みは城壁の上から眺めるだけでも五感を楽しませてくれる。〈アヒブドゥニア〉号の面々は城壁の上で酒盛りをするのが気に入ったようだ。グウィードも時々それに交じる。

 船長とミナギは港に置き去りにした船の様子を見に行った。荒らされた形跡も無く、帰りの航海も問題なさそうだと言っていた。

 椿姫つばき主任とセメイルは自室に籠って姿を見せない。バーブル帝とイエニチェリは現在捕らえた貴族たちの尋問に忙しいらしく、あの宴以降は謁見することもできなかった。


 エアロンは一度だけ帝国の外に出た。皇帝の許可を得、国境沿いに集合しているヴァチカン十字軍の様子を見に行ったのである。相変わらず烏合の衆といった感じで統率は執れておらず、当然国境に聳える壁を越えることもできないまま、ただ野営地を広げるばかりだった。


 こっそり野営地に忍び込むと、見知った顔があった。


「えーっと確か……エルマン?」


 大柄な大工はエアロンを見ると目を見張った。


「あんたは、アグネスの! いきなりいなくなったから心配したんだぜ?」

「何も言わず行っちゃって悪かったよ。ちょっと事情があってね。これ、あの人から世話になった礼を渡しておいてほしいって頼まれたんだ。受け取ってよ」


 エアロンはいくらかの金が入った袋を手渡した。


「手を貸すのは当たり前のことだからな。そんなに気にすることはなかったんだが……武器や食料に金が掛かるのは事実だ。有難くもらっておくよ」


 そう言うとエルマンはそわそわと辺りを見回した。


「んで、アグネスはいないのか?」

「あの人なら無事に旦那に会えたから、僕らはもうお役御免になったんだ。旦那と二人で国に帰るんじゃない?」


 エルマンが若干残念そうに見えたのは気のせいだろうか。


「そうか……それはよかった。あんたともう一人の兄ちゃんはどうするんだ?」

「僕らも頃合いを見て帰るさ。ここにいても仕事が無いんでね」

「なんだ、あんたたちだったら喜んで十字軍に迎え入れるぜ? 雇うのに金が必要なら、まあ、少しばかりは出せるだろうし……」

「悪いけど、戦争に巻き込まれるのはちょっとね。信仰心が足りなくてごめんよ」

「残念だな。あんたたちなら腕が立ちそうだし、心強いと思ったんだが」


 エアロンはそれとなく探りを入れた。


「結構集まったね。何人ぐらいいるの?」

「それがなあ、絶えず増えていくから、実際の数がわからないんだ。全部合わせれば二千人は下らないと思うんだが。向こうでラファエルが取りまとめてくれてるはずだ」

「へえ。それはなかなかすごいけど、一国を相手取るのは流石に不可能そうだね」


 エルマンは溜息を吐いた。野営地を見渡し、焚火を囲む信徒たちに目を留める。老修道士が聖書を読み聞かせ、若い学生たちが熱心に耳を傾けていた。


「そりゃそうさ。俺たちだって実際にどうこうできると思って集まって来たわけじゃない。老人や女子供も多いしな。現状は俺たちが抗議しているってことをここで示すくらいが限界だ」

「それなら僕らみたいな人間は必要無いじゃないか。攻め込んだりしないならさ」


 すると、エルマンは神妙な顔付きになり、僅かに身を寄せて囁いた。


「いや……それが、状況が変わるかもしれないんだ。俺たちは本当の十字軍になれる」

「え? どういうこと?」

「神官様はヴァチカン教会にとって非常に重要な存在なんだ。何しろ教皇様が自らお力を分け与えたお方だぞ。その方をこんな風に奪われて、教皇様が黙って見過ごすわけなかったのさ」


 エルマンはそれ以上教えてくれなかった。代わりに親しげにエアロンの肩を叩き、笑顔で見送ってくれた。


「道中気を付けろよ。もう一人の兄ちゃんにもよろしくな」

「ありがとう。僕もあんたの無事を祈ってる。じゃあね」


 エアロンが持ち帰った情報は一同の中で吟味された。

 スイス・ガーズを派遣する決定がなされたのだろうと推測したが、セメイルはやはり懐疑的だった。


「前にも述べた通り、スイス・ガーズに一国を攻める力はありません。まず軍備がないはずです」

「ということは、背後に付いてるどこかが動き出したかな」


 セメイルは酷く具合が悪そうで、高熱により床に伏してしまった。疲労が原因だろうと医者は言っていた。

 結局それ以上の具体的な考えは出せずに、バーブル帝にはヴァチカン教徒が攻め込んでくる可能性があると進言するに留まった。



***


 それから数日も経たず事は起きた。

 夢うつつに慌ただしい足音がすると思っていたら、イエニチェリに叩き起こされた。エアロンとグウィードは何が何だかわからないまま身支度し、追い立てられるように控えの間へ集合した。そこに居並ぶ面々を見て、二人の眠気はいっぺんに吹き飛んでしまう。


「おはよう、エアロン、グウィード」


〈アヒブドゥニア〉号の船長は静かな声音で迎えた。彼の周りには航海士ミナギ、ジャンルカ、テオドゥロなどの主要な部下たちが揃っている。

 部屋の奥にいるのは椿姫つばき主任で、彼女を守るようにイエニチェリのアクバルが立っていた。彼女の傍には皇帝の間に続く扉がある――複数人の低い話し声が響いていた。


「おはようじゃないよ、一体何事?」


 エアロンは寝癖の直らない髪を搔き乱しながら苛々と言った。


「つい先程、国境に集まっていた十字軍が動き出したらしい。民兵に加え、ヴァチカン正規軍と思しき軍隊が増えていたそうだ」

「いつかは来るだろうと思ってたけど、朝っぱらから迷惑な連中だね。願わくば僕らが旅立ってから来てほしかったよ」

「やっぱりスイス・ガーズか?」


 寝起き全開のグウィードの顔にも緊張が走る。


「それがどうも違うらしい。確認してきたイエニチェリの報告を聞く限り、制服も装備もスイス・ガーズのものとは異なるようだ」

「ふんふん。で? 僕らはなんでここに集められたわけ? 敵の正体を探って来いって?」

「いや。国境は直に突破される。我々は王宮を守らなければならない」


 エアロンはぽかんとして船長を見た。男は相変わらずの無表情で、そう言えばなぜだか帯刀している。他の〈アヒブドゥニア〉の面々も、いつでも出動できる装備になっていた。


「だったら早く応援に行かなきゃ。ゲートさえ死守すればいいんだから――」

「無理だ。国境は捨て、王宮の守りに専念するしかない」

「……どういうこと?」

「壁が破られる。ヴァチカンはそれが可能な程の武力で以って攻めてきたのだ」


 グウィードが反論の声を上げる。


「ありえないだろ! あの壁を壊すには大砲でも持ってこないと――」


 船長は黙ってグウィードを見た。その眼差しにすべてを悟る。

 答えたのはミナギだった。


「先程西ゲートから連絡がありました。敵は正に、それを使ってきます」



***


「やれやれ、ここは暑くて適わん」


 タウォード・スベルディスは濁った瞳で前を見た。

 アバヤ帝国領最西端、西ゲート。城壁には民兵が群がり、帝国軍の応戦を受けては逃げまどっている。


「おお、健気ですねぇ。火炎瓶如きであの門が壊せるわけがありませんのに。嗚呼、まーた手榴弾を無駄にして……」


 背後でそう呟くのはアルフレド・ワイズ中尉だ。交渉人は教会の外でも穏やかな笑みを絶やさず、終始物腰柔らかに語り掛けてくる。

 タウォードは肩越しに彼を振り返り、怒りも露わに吐き捨てた。


「もういいでしょう。何も知らない民間人に武器を与え、彼らに無駄な血を流させるのは見ておけません。戦うのは我々軍人だけでいいはずだ」

「いえいえ、こちらは頭数が不十分ですから。信徒の皆さんのお力も借りませんとね」

「あの壁を前にしてできることなんてありませんよ。先ほど手榴弾の使い方を誤って自爆した者を見ました。これではいたずらに彼らを殺しているだけです」


 中尉は瞬きを一つした。光が当たらなければ気付かない、深い緑の眼光が煌めく。


「信徒の皆さんはきちんと我々の役に立っていますよ。ほら、こうして彼らが無鉄砲に攻撃を仕掛けてくれることで、西ゲートの周りに敵が集中しています。ここを叩けば強力な一打となるでしょう」


 タウォードはワイズの胸倉を掴み上げた。


「きっ、貴様! 彼らを捨て駒にする気か?」

「ええ、ええ。健気な生餌でしょう?」

「ふざけるな! 人の命を何だと思ってやがる……!」


 しかし、ワイズはそんな追及どこ吹く風で受け流した。


「ところで隊長殿、戦車の準備が整いましたよ。突入の号令を」

「戦車ぁ?」


 驚愕で声が裏返る。中尉はにこやかに頷いた。


「予算の関係で一台だけですが。弾数も余裕がありませんので、あの壁を壊すので精一杯でしょう」

「随分と用意がいいじゃないか……俺たちが教会を出たのは数日前のことだっていうのに」

「それはそうでしょう。こういう言い方は失礼ですが、教会の皆様が方針を決めかねてごちゃごちゃ話し合っている間、我々は着々と準備を進めておりました。教皇陛下がご決断され次第、すぐにでも援助して差し上げられるように」


 何もかも上手くできすぎている。

 協力だ援助だと言っても、どうも教会が良いように操られているとしか思えない。

 教皇はそのことに気付いているのだろうか――しかし、今更ここでタウォードが異を唱えても、彼にはもうどうにもできないことは明白だった。

 タウォードはワイズを放した。


「……号令のタイミングは中尉殿に任せます」

「承知いたしました」


 中尉はすぐさま指示に掛る。この猛暑の中でもきちんと軍服を着込み、隙の無い振る舞いはまさに軍人の鑑であろう。タウォードは捲った袖を元に戻しながらボソリと呟いた。


「いちいち俺に指示を仰ぐ必要も無いのではありませんか」

「はい?」

「俺なんかより、あなた方の方が余程最近の兵器に詳しいし、戦争の経験もおありでしょう。なぜあなたが指揮を執らないんです? 俺なんかに任せないで」

「私もしがない交渉役ですが……そうですね、やはり隊長殿の方が人望がありますので」

「人望?」


 無意識に鼻で笑ってしまう。ワイズ中尉の口調には嫌味も感じられないのだが、そんなわざとらしいお世辞を受け取る気にもなれなかった。


「失敗続きの負け犬に、人望も何もないでしょう」

「何を仰るのです。隊長殿の失敗はすべて現在に貢献しています。何も問題は無い。それに、民兵たちはあくまでスイス・ガーズからの援軍だと思っているのです。それならあなたが指揮を執らなくては」


 地鳴りを響かせて戦車が姿を現した。城壁から距離を取って止まる。敵も味方も暫し動きを止め、呆気に取られて見守った。しかし、砲台がキュルキュルと不吉な音を立てて西ゲートに標準を合わせた時、一同は悲鳴を上げて逃げ散った。


「発射!」


 中尉が手を振り上げる。


 爆音、衝撃、悲鳴。


 自分が地獄へ堕ちるのは今に決まったことではないと、タウォードは武器を取り上げながら考えた。


「突入せよ!」


 西ゲートは容易く墜ちた。



***


 王宮の正門に立ち、〈アヒブドゥニア〉号の船長は西ゲートが崩れ落ちる音を聞いた。

 十字軍は直にここへ来るだろう。命を賭して攻め込んだ王宮を今日は自分が守るのだ、と些か奇妙な気持ちになる。

 だが、彼にはそんなことを考える暇はない。精神を統一し、来たるべき戦に備えるのだ。


 城壁の上では航海士ミナギ率いる狙撃班がイエニチェリを伴って構えている。〈アヒブドゥニア〉の部隊も剣から銃へと持ち替えた。


「来い。この命尽きるまで」


 ――相手してくれよう。この門は通さぬ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る