5-23 終点
〈アヒブドゥニア〉の船長が謎の青年との交戦を終えた頃、王宮の西側ではエアロンとグウィードが別の貴族軍の一隊と戦っていた。
グウィードが先陣を切り、タルワール相手にナイフ一本で応戦する。一度刃をナイフで受け止めれば、後は力技で押し通す。
一人の敵兵からタルワールを毟り取り、二刀流で続く刃を受けた。が、身体能力の有利も慣れない武器では活かしきれない。手練れの剣士に刀を弾き飛ばされ、咄嗟に身構えた眼前に半月の切っ先が迫る。
「……っぶないってば!」
その援護はエアロンの役目。
主に
「悪い、助かった」
「僕たちも今度船長に稽古付けてもらおうか、ねっ」
「この先にT字路がある。そこを曲がればゴールだよ」
椿姫が言う。
二人は何とか敵を片付け、彼女を連れて先を急いだ。
突き当りが見えた。安堵したのも束の間、先を行くグウィードが警戒の声を上げて立ち止まる。
前方の床に青い布の塊が落ちている。
そして、その周りには血が池を作っていた。
「それ、何?」
十分な距離を取ったままエアロンが問う。グウィードは慎重に近付いて行った。
「死体だ。二人殺されてる。こいつらも兵隊か? 制服は似てるけど色が違うぞ」
「イエニチェリだ。皇帝の禁軍だよ。彼らの任務は王宮の警護のはずだ……」
主任の声には疑念と警戒の響きがある。
「それじゃあ、ここで殺されてるのはおかしくない? まさか船長たちが先に辿り着いているとも思えないし、別の犯人がまだ――」
エアロンはそれを言い終わることができなかった。
柱の陰に隠れていた男がグウィードに襲い掛かったのだ。
薙ぎ払う一振りを躱す。ところが、敵は一人ではなかった。背後からもう一人が刃を振るう。咄嗟に身を捩って受け止めるも、腹部に走る激痛が彼の動きを止めた。
「いっ……!」
治りかけの火傷を抱えた肉体は、激しい動きに付いていけなかった。ビッと嫌な音を立てて柔い皮膚が裂ける。反射的に丸めた背中へ半月刀が一文字の傷を付けた。
「下がれ、グウィード!」
エアロンの弾丸が一人の大腿骨を撃ち砕く。しかし、彼もそれ以上の援護はできなかった。
背後で
「危ない!」
敵兵がすぐ近くまで迫っていた。エアロンはすかさず銃口を向ける――が、引き金に指を掛けて、彼は恐怖に硬直した。
「しまった……!」
弾が切れた。
刃が迫る。咄嗟に腕を上げて顔を構うが、受け損ねた切っ先が銃身を滑り、右腕を抉るように削ぎ上げた。
「痛っ! 何すんの、さ!」
エアロンは銃身を持ち替え、グリップで敵の側頭部を殴り飛ばした。
「エアロン、後ろから増援だ!」
「はああぁ? もう少しだってのに、ここに来てこの数はなんなんだよ、もう!」
苛立った声は甲高く尖り、もはや悲鳴の域である。彼は睨むように椿姫を振り返った。
「主任、あんたはどっかに避難しててください。ちょっと片付けるのに時間が掛かりそうなんでね!」
「わかった。死ぬんじゃないよ」
視界の端で椿姫が走り抜けるのを見送って。兵士の前に立ちはだかり、その射線を塞ぐ。
「僕らのお姫様に手出しはさせないよ」
不敵に笑って見せたものの、腕の傷からは出血が止まらない。
その後の攻防は長く続かなかった。
実際に十分も経っていなかったはずなのだ。それでも、人を殺すには十分すぎる時間だった。
エアロンは追い詰められた。ろくな装備も無い状態で半月刀に敵うはずもない。段々とシャツを染める血の量が増えていた。
貴族軍兵士の標的は明らかに彼らではなかった。邪魔をする二人を切り払い、椿姫の後を追おうとする。グウィードが体当たりでそれを防いでいたが、体力は限界に達していた。
背後で別の足音がした。
『……!』
帝国語の怒号。
胃の中がすっぽりと抜け落ちたような絶望が二人を襲う。
「嘘だろ、おい」
「さすがに厳しいね。主任は……」
視線を彷徨わせたエアロンが口を噤む。
新たな一団が現れた。比較的若い兵士たちで、その制服の色は青かった。そして、その背後に守られるようにして続く赤――椿姫だった。
「エアロン! グウィード!」
青制服の兵士たちは二人の横を走り抜け、赤制服の兵士たちに躍り掛かった。両者の間で帝国語が飛び交い、やがて場を制した青制服が赤制服たちを引っ立てていく。
何事かと思う間も無く、エアロンはぐらりと傾いた。グウィードが彼を支えようと手を伸ばすが、二人して体の力が抜けていた。崩れるように共倒れになる。
香水がふわりと彼らを包んだ。
「二人とも、ありがとう。よく頑張ったね」
「もう大丈夫だ。あたしらは保護されたんだよ」
「ええ? なに、どういうこと――」
「いいから。立てるかい? ゴールまでもう少しだ」
彼女は二人に手を貸して立ち上がらせた。簡単な止血をする。出血は派手だが幸い致命傷は無いようで、少し休めば二人とも自力で歩けそうだった。
廊下の先へ進む。
そこは小さな円形の空間で、右手に豪奢な扉があった。その前では青色の制服を着た兵士が一人立っており、彼らのことを待っていた。
イエニチェリは椿姫が近付くと跪いた。恭しく頭を垂れ、客人を迎えるにしては些か丁寧すぎる対応を取る。彼らは帝国語で二言三言言葉を交わした。彼女が二人のもとへ戻って来る。
「武器の類を全部寄越しな。今度は全部だ」
「えっ。また?」
「皇帝に謁見するんだから、当然だろう? もう大丈夫だから……彼らはあたしたちに危害を加えたりしないよ」
二人に抵抗する余力は残っていなかった。イエニチェリが預かった品を足元の箱に入れ、厳重に鍵を掛ける。
そして、三人を奥の間へと招き入れた。
先の喧騒が嘘のように、その部屋は静まり返っていた。幾重にも張られた
ちりん。
最後の帷を押し上げて、イエニチェリが腰を折る。椿姫がさっと跪いた。慌ててエアロンとグウィードも倣う。
椿姫は呼んだ。
『皇帝陛下』
低い獣の唸り声。
皇帝バーブルがその姿を現した。
『待ち草臥れたぞ、姫。退屈すぎてちょいと遊びに出掛けた程じゃ』
正真正銘、金の瞳だ。
黒髪の隙間からちろりと覗き、拗ねるように頬を膨らませている。
それは『皇帝』という肩書に想像していた屈強な男の姿とはまるで正反対な、まだ若い青年だった。市民服を纏い、細い手足からはその年頃の男子特有の少女染みた色気を放っている。
彼が身を預けているのは巨大な虎。血の臭いに鼻を動かし、威嚇するように低い唸り声を発していた。
「あ、あれが皇帝……?」
「ていうか、なんだあれ? 獣?」
椿姫が二人を小突いて黙らせた。バーブル帝はクスクス笑い、不機嫌な愛猫の鼻面を掻いて宥めてやった。
『お会いできて嬉しゅうございます、陛下。しかし、今回の入国のために命を挺して戦ってくれた仲間が他にもまだ外におります。どうぞ、まずはその者達の保護を』
皇帝は穏やかに頷いた。
『藍色の剣士であろう? 今、アクバルに迎えに行かせておる。民家に立て籠もっているその他の船乗り共も、今頃我がイエニチェリが保護しておるはずじゃ』
『そうですか……よかった』
バーブルは爪で栗の砂糖漬けを一片口に投げ入れ、気怠そうにその指を舐めた。そして、椿姫主任を手招きする。
『姫、ここへ』
『はい、陛下』
彼女はマントを落とした。露わになったドレスは彼女のテーマカラーである真紅色で、普段のスーツ姿よりも一層可憐に女性らしく、細い体の線を際立たせている。
思わず見とれる男性陣の視線を突っ切り、彼女は皇帝が寝そべる長椅子の足下へ腰を下ろした。皇帝は嬉しそうに目を細め、猫が擦り寄るように彼女の肩に顎を乗せる。彼女は気恥ずかしそうに眉を寄せてその頭を抱き寄せた。
『して、その者達は姫の護衛か。貧弱そうに見えるのぅ。血だらけじゃ』
『私の部下です。背が高いのが副主任のエアロン、隣がグウィードと申します。少なくとも、貴族軍の強襲を掻い潜って私をここへ送り届けることができるくらいには、優秀な者達です』
『ふむ。やはり貴族軍は敵対したか。大変な旅路であったろう。まずは十分に休むがよい』
エアロンは片膝をついたまま待機の姿勢を保っていたが、わざとらしい程の無表情には苛立ちが隠せない。とうとう会話を遮って口を開いた。
「主任、お話し中すみませんが。一刻も早く〈アヒブドゥニア〉に救援を送るべきかと思います」
椿姫が慌てて部下を睨む。皇帝バーブルは無邪気に瞳を輝かせながら首を傾げた。
『そうか、この者達は余の国の言葉がわからぬか』
『すみません、陛下。御無礼を』
『なに、構わぬ』
バーブルは姿勢を正し、長椅子にきちんと掛け直した。アンクルベルが小さく鳴った。
「それはすまないことをした。仲間の安否を気遣うのは当然のこと――案ずるな。今、我が兵が迎えに行っておる。直にここへ来るであろ」
「あっ……?」
皇帝が英語を喋った。
バーブルは呆けた護衛たちの顔に吹き出し、満足そうに言った。
「こう見えても一国の主じゃ。言葉もわからずして如何にして外交が為せようか。尤も、鎖国状態の現状では滅多に使う機会もあるまいが」
「た、大変失礼いたしました」
「構わぬと言っておる。む、アクバルが参った。通せ」
先程の若いイエニチェリが入室する。その後ろから藍色の剣士、薄汚れた神官が続く。エアロンとグウィードはパッと振り返って二人を迎えた。
「船長! セメイル!」
〈アヒブドゥニア〉号の船長はアクバルと呼ばれた近衛兵にも警戒を解いていなかったが、仲間の姿を見ると目付きが僅かに和らいだ。セメイルは完全に気が抜けてしまい、鞄を抱き締めたまま膝から崩れ落ちた。すかさずアクバルが受け止め、彼を壁際のクッションへと誘う。
『王宮の外で私の部下が篭城している。そこの者からイエニチェリが保護に向かったと聞いたが、本当か』
船長は皇帝の前に立つなり、膝をつくこともなくそう訊ねた。無礼な態度に一同騒然とするが、二人は先程刃を交えた仲なのである。
『おう、藍の剣士よ。余の右足はまだ痛むぞ』
バーブル帝は目を細めて二マリと笑った。
「左様。今頃王宮内の救護室にて手当を受けているはず。兵に案内させよう。会いに行ってやるがよい」
「でしたら、陛下、こちらの二人も負傷しております。どうか手当を」
「もちろんじゃ。各人に部屋を宛がおう。手当を受け、湯浴みをし、必要なら腹も満たすがよい。夜が更けたら話し合う場を設けたい。互いに話したいことがあるだろうから」
最後の一言は、何故かセメイルの方を向いて言った。
***
こうしてアバヤ帝国侵入劇は幕を下ろした。
疑問を忘れ、痛みを忘れ、城壁の向こうの抗争だって忘れてしまおう。
〈アヒブドゥニア〉号の船長は生きて部下たちと再会を果たし、エアロンとグウィードは豪華な宮殿風呂ではしゃぎにはしゃいだ。
セメイルだけはそんな浮かれた気持ちになれず、先程までの地獄絵図に膝を抱えて怯えたまま、ぼんやりと白い壁を眺めるのだった。
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