5-22 〈アヒブドゥニア〉進軍

 王宮はダヤの街の中央に位置している。

 ダヤは首都として機能するに足りる広さは有していたが、栄えているのは港を中心とした極狭い範囲だけである。

 織物、香辛料、鉱物といった国内の特産品がすべて一度ダヤに集積され、政府公認の船舶が貿易を行う。貿易は一部貴族たちの独占稼業と化しており、格差社会の促進に一役買っていた。


 港から王宮までを貫く大通りは市民と屋台で溢れ返っている。自動車というものが殆ど普及していないこの国では、コンクリートを使用した舗装は必要とされていない。平らに均されただけの土の大地が顔を出しており、道の中央にのみ欠落したタイルの舗装が続いている。そのタイルに立って前方を見上げれば、通りの彼方に白く輝く王宮を拝むことができた。


 球根型の屋根は陽の光をつるりと流れ落し、聳え立つ八本の塔がダヤの生活を見つめている。その壮麗な姿は玉座に君臨する支配者というよりも、高い塔に幽閉された薄幸の姫君を彷彿とさせる、儚く美しい建物だった。

 

 異国の侵入者たちはそんな景色に心奪われる暇も無く、雑踏の中を闇雲に走り続けていた。先陣を切る男は藍色の髪を靡かせ、その深い色合いに民衆の目が吸い寄せられる。感嘆は極一瞬で。男が持つ金の長剣、そして後に続く武装した白人たちを見て悲鳴が上がる。


 何事かと立ち止まる群衆を掻き分けて、〈アヒブドゥニア〉号の一行は怒声を吐きつつ王宮を目指した。


 王宮周辺の警備に当たっていた帝国貴族軍は、港からの報告を聞き、すぐさま武器を取った。逃げ惑う群衆が彼らの邪魔をしたが、隠れることもせず堂々と突っ込んでくる侵入者たちを発見するのは容易かった。


 市民の避難を誘導すると共に、藍の剣士率いる異国の侵入者を迎え討つ。強襲に圧される貴族軍は、その隙に別の三人が王宮に忍び込んだことに気付くことはできなかった。


〈アヒブドゥニア〉一行と帝国貴族軍は王宮の正門にて対峙した。船長は長剣の鞘を払い、正面に構える赤制服の軍人たちに突き付けた。


『皇帝陛下への謁見を望む』

『叶わぬ。降服しろ! さもなくば武力にて殲滅する!』

『然らば、押し通るだけのこと』


 船長の号令が響く。

 赤の帝国と青の軍勢が衝突した。



***


 地獄と化した。


 敵も味方もわからない中で、雄叫びに混じる悲鳴が知らない人のものであることだけを、神官セメイルは願っていた。溶けるように壁に寄り掛かり、鞄を抱き締めて震えることしかできない。気が付けば彼は咽び泣いていた。


 彼は知らなかったのだ。

 世界大戦の時も、彼は山奥の修道院で祈るだけだったから。

 戦争がどのようなものであるか、セメイルは知らなかった。


 屈強な男たちが武器を手にぶつかり合い、大義と憎悪のために暴力を行使する。正義の名の下に高らかと吠える兵士たちが、やがて太刀を浴び、惨めな子供のように地面に転がっていく。


 痛い苦しいと訴える声を前に、聖人は無力だった。彼の祈りは無力だった。挙句、神官は癒し手ですらない。神官は加害者にしか成り得ないのだと、血飛沫を浴びながら横たわる肉体を見つめていた。


〈アヒブドゥニア〉は圧倒的に不利だった。藍色の剣士の前には赤い軍人など刈り取られる草の如し。自身がどれほど攻撃を受けようとも、たじろぐことなく反撃を繰り返す。しかし、その剣豪に至らぬ配下の船員たちは、次々と刃に倒れていった。


 苦戦する〈アヒブドゥニア〉は更なる窮地に追い込まれる。白い城壁の上に弓矢隊が現れたのだ。何人か狙撃銃を装備した兵士も見られる。船長は部下に退却を命じ、狙われない所に避難させた。


 船長は壁に背中を預けて一息吐き、耳に挿した通信機に触れた。


「ジャンルカ、テオドゥロ、聞こえるか」


 劈くノイズの後に船乗りたちの声がした。


『…ぃ、船長。テオドゥロです』

『船長、これはかなりヤバいですぜ。どうします?』


 二人とも息が切れていた。船長は目の前の部下を助けるため長剣を突き出し、敵を一人蹴転がしながら答えた。


「テオドゥロは部隊を率いて移動を始めろ。上を頼む。ジャンルカ、お前は負傷した船員を連れて安全圏まで撤退。私の部隊も援護する。味方の確保が済んだら、門前を一掃する」

『了解しました』


 テオドゥロの号令でライフル銃を装備した船員たちが民家へ消える。やがて住民との攻防を終え、狙撃隊が屋上に現れた。


「構え」


 銃口が城壁を狙う。囮に飛び出した剣士を弓矢が追っていた。

 テオドゥロが叫ぶ。


「撃て!」


 銃声と共に帝国の狙撃部隊が倒れる。

 予期せぬ狙撃手の応戦に帝国軍はしばし混乱するが、すぐに別の部隊が城壁を覆った。〈アヒブドゥニア〉陣営も直ちに第二派を放つ。


 門の前では弓矢の雨から解放されたジャンルカの部隊が、負傷した仲間の救助に駆け寄っていた。彼らが占領した民家へと非難するのを、船長率いるサーベル隊が援護する。新たな負傷者を出しつつも、一行は一応安全圏まで後退した。


「船長、港から援軍が来ます!」


 頭上でテオドゥロが叫ぶ。船長は返り血を拭って港の方角を仰いだ。


「ケリを着ける。私は部隊を率いて突入し、皇帝との謁見を急ぐ。ジャンルカ、テオドゥロ、お前たちは残りの者たちと共に負傷者を連れて身を隠せ」

「しかし船長……ケリを着けるったって……」


 絶体絶命な状況の中、ジャンルカが不安そうに船長を見た。本当は不安なんて言葉では足りないくらいだ。仲間を支える腕が小刻みに震えている。

 船長は冷淡な程の無表情で部下を見返し、ジャンルカのズボンを弄った。


「使うぞ」


 船長は奪い取ったいくつかの手榴弾を手に通りへと引き返した。慌ててセメイルが後を追う。


「船長さん?」

「付いて来い。私が合図したら突入だ」


 セメイルの背後には栄誉ある突入班に抜擢された〈アヒブドゥニア〉の精鋭たちが控えている。


 船長は一人大通りに身を晒し、門に向って全ての手榴弾を投げた。


 一瞬の間を置いて、爆発。


 キンッと張り詰めたような空気の振動を感じた刹那、セメイルは目の前に立つ〈アヒブドゥニア〉号の船長を見上げていた。ふわりと広がった蒼い外套が、包むようにセメイルの視界を覆う。船長は屋内から顔を出した部下たちを見上げた。


「必ず助けに戻る。それまで持ち堪えろ」

「はい、船長!」

「行くぞ」


 船長が投げた弾の中には発煙弾が多く混じっていたらしく、炎が治まっても尚、煙は膨張し続けていた。

 視覚を奪われ立ち尽くすセメイルの腕を船長が掴む。剣士は鞘で地面を叩きながら走り、部隊はその音を頼りに後へ続いた。




***


 狼狽える帝国軍を薙ぎ払い、青の一団はついに正門を突破した。


 一同が転がり込んだのは緑溢れる楽園だった。下界の貧困など知りもせず、椰子が頭を垂れ、咲き乱れた花々の間を小鳥たちが歌い踊っている。その中央を白く舗装された道が貫き、王宮の中へと消えていく。


 王宮内部でも赤制服の貴族軍が彼らの前に立ちはだかった。迫り来るタルワールの攻撃を、剣士はただ切り崩す。突き抜ける。あれよあれよという間に大理石を赤く染め、一行は先を急いだ。


 セメイルはできるだけ目立たぬよう縮こまっていたが、彼に気付いた一人の兵士が色の無い風貌に恐れをなし、奇声交じりの罵声を浴びせながら襲い掛かって来た。セメイルは悲鳴を上げて鞄を盾に突き出す。


 次の瞬間、彼は降り注ぐ血飛沫の中にいた。


「セメイル」


 男の声で彼は顔を上げた。

 迎撃の第一陣を退け――そうだ、彼らはまた走らなければならない。


 立ち上がろうと身を起こすと、膝が砕けてセメイルは崩れ落ちた。全身がガクガクと震える。剣士の足の間に主を失った腕を見て、途端に込み上げた吐瀉物を抑え込んだ。


「セメイル……」


 船長が膝を付く。外套が赤い血溜りに広がった。


「怪我は無いか」

「は、い……ぁ、ありません」


 酸が喉を焼く。

 支えるように彼の腕を掴んだ白い手袋はじっとりと濡れ、そうかこの手が今目の前で人の腕を切り落としたのかと、セメイルはついに体を捻って嘔吐した。


 船長がそっと彼の頬に手を添え――血と汗の湿り気が頬に貼り付き――焦点の定まらない赤の瞳孔を覗き込んだ。


「しっかりしろ」

「……ぁい」

「しっかりするんだ」

「大丈夫……で、す……」


 立ち上がった船長が手を差し出した。

 そしてその手を、セメイルは握った。


「我々は先を急がなければならない」

「すみません、動転してしまって。助けてくださってありがとうございます」


 船長は無言で彼を一瞥し、そのまま進路に向き直る。


 藍色の剣士が血路を拓く。

 一対一の交戦に持ち込めば〈アヒブドゥニア〉号の船長に敵う者はいない。時々部下たちに任せて呼吸を整え、再び自ら先陣を切って突き進むのであった。


 角を曲がる度に先の長い廊下が絶望感を煽る。それでも、立ちはだかる兵の数が減ってきた――と、一同が微かな希望を見出した時だった。

 前を行く船長が唐突に足を止め、横跳びにセメイルを抱えて押し倒した。


「きゃっ」


 悲鳴と共に投げ飛ばされる鞄。

 瞬間的に耳が捉えた鈴の音は、まるで幻聴のようだった。

 セメイルはきょとんとしたまま覆い被さる男を見上げた。船長は両手をついて身を起こし、口を一文字に引き結んだまま前方を睨む。


 再び、鈴の音。

 釣られて振り返ったセメイルが見たものは、白の美を体現する彼ですら息を呑む、黒曜石の美青年だった。


 しなやかな猫のように四足をついて着地し、こちらを睨むは金色の瞳。歳はまだ二十歳くらいだろうか、華奢な体付きに少年らしさが窺える。ターバンから豊かな黒髪が零れだし、ツンと尖った顎を取り巻いていた。

 不思議なことに、この青年は軍服でも召使の制服でもなく、一般的な市民服を着ている。なぜ王宮にいるのかもわからない身分不詳の青年は、ゆったりと立ち上がると唇を舌で湿らせた。


『余の奇襲を躱すとは、なかなかやりおるの』

『……何者だ』


 船長も長剣を構えて立ち上がる。セメイルは鞄を確保しに這って行った。


『今はわからずともよい。手合せ願おう、藍の剣士よ。新しく入手したこの刀を試したいのだ』


 青年が刀を構える。それはスラリと光る日本刀だった。


 褐色の素足が地面を蹴った。アンクルベルが音を奏でる。

 謎の青年は突き出された長剣の刃を刀身に滑らせ切り払う。返しの一振りを藍の剣士が屈んで避ける――と、間髪入れずに足払い。跳び退った青年は三つ足で着地し、ゴムのように弾みを付けて突進した。

 再び打ち合う二本の刀。突きのレイピアは打ち合えば敵わない。しかし、日本刀の一太刀は振りが大きく、剣士はそこに突き入った。互いの弱点を狙い打つような攻撃を続けながら、二人の剣豪は一進一退を繰り返した。


 日本刀がレイピアを強く弾いた。大きく振れた船長の右腕が弧を描く。

 謎の青年は男の空いた左半身目掛け太刀を振るった。刃が胴に届くその瞬間、藍色の剣士は外套を巻き込むように翻し、反った刃を絡め取った。


 誰もが固唾を呑んで見守っている。そんな中で、セメイルは青年に助太刀しようと体を起こした貴族軍の兵士に気が付いた。その手が落としたタルワールに伸びる。

 セメイルは男に駆け寄り、護身用として与えられた拳銃で後頭部を強打した。


「船長さんに手出しはさせませんよ!」


 神官の雄叫びに藍色の剣士は一瞬注意を奪われた。

 そして、その隙が命取りとなる。


『無礼な。余所見などさせぬ』


 耳元で声が聞こえた。

 そう思った時には、青年が彼を軸に後方に回り、剣士を羽交い絞めにしていた。右手を封じるように捩じ上げる。


『これで剣も振るえぬ。余の勝ちのようだ』


 船長は咄嗟に体を大きく丸め、背面で拘束者を押し返した。僅かに自由を得た右手を振り、レイピアの鍔を逆手に持ち替える。いつでも反撃できる姿勢を取った。


『そなたの太刀捌き悪くない……が、心に隙があるようでは最期まで届かぬ。降伏しろ』

『断る』


 船長は右足に全体重を乗せ、青年の素足を踵で踏んだ。


『いぎゃっ!』


 潰れた猫のような悲鳴を上げ、青年が思わず身を屈める。船長はすかさず拘束をすり抜けた。避け切れなかった刃が頬を切り裂き、藍髪を散らす。


〈アヒブドゥニア〉号の船長は再び間合いを取り、長剣を垂直に構えた。対峙する青年も既に立ち上がっており、痛みと恥辱に顔を歪めながら日本刀を拾い上げた。


『むぅ、油断したの……良いだろう、剣士よ。余は先へ行きそなたらを待っておる。死なずに参れ』

「何……?」


 謎の青年はアンクルベルを響かせ、そのまま王宮の奥へと逃げ去った。

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