5-21 ダヤの街を行く

 陸路組の三人は人目を忍んでダヤ市街を進んでいた。

 浮浪者は怪訝そうに三人を見上げたが、主任が硬貨を落とすと何も言わなくなった。

 遭遇した中で厄介だったのは、ギラギラした目を持つミイラのように痩せた老人だった。色取り取りのボロ布を巻き付けた杖を持っている。その老人は小さな絨毯の上に胡坐を掻いて座っていたが、三人の姿を見ると勢いよく立ちあがった。


『……!』


 黄ばんだ歯を剝き出して何事か叫ぶ。振り回された杖から椿姫つばきを庇いながら、エアロンは不快そうに眉を顰めた。


「え、何? この人?」

「スーバール教徒の出家僧だよ。気にしなくていい。行こう」


 椿姫はフードを引き下げ足早に退散する。グウィードが威嚇しながら殿しんがりを務めた。


 彼女の言った通り、出家僧は追い掛けては来なかった。それでもこの老人のおかげで観光気分が一瞬にして萎え、護衛二人は警戒を強めることとなった。


 エアロンが椿姫主任の腕を掴み、頭上から囁くように問い詰める。


「ねぇ、さっきの人、なんて言ってたんです?」

「さあね。知っても仕方ないだろ」

「でも、あんたに向かって喚いてませんでした?」

「異国の女が嫌いなのさ。外国人ってだけでここでは嫌われるんだから」

「おい」


 二人の会話にグウィードが割って入る。琥珀に光る狼の目は鋭く、睨むように前方の路地を見つめていた。エアロンがさっとホルスターに手を添える。


「どうした?」

「付けられている。二人だ」

「一ヵ所に二人?」

「ああ」

「それじゃ、前から増えるな。グウィード、後ろは頼んだ」


 護衛二人は今まで通り前を向き、意識だけは四方から来るかもしれない奇襲者に集中させる。


 エアロンは主任の体を隠すように半歩先を歩いていたが、十字路の真ん中で突然立ち止まった。彼の前に小さな女の子が立ちはだかったのだ。貧しい暮らしをしているのか、棒切れのような腕を伸ばして彼を指差す。


『……!』


「今度は何? 主任……」


 エアロンが不安げな顔で振り返る。胸に手を置いて彼を制し、椿姫つばきは一歩進み出た。

 褐色の少女は表情一つ変えずに、相変わらず無垢で、それでいて虚ろな目を見開いたまま正面の彼女を指差していた。


『……』


 椿姫が帝国語で答える。しかし、少女は同じ単語を繰り返すだけだった。


『……!』


 機械のようにその単語だけを繰り返す少女。見る見るうちに椿姫の表情が曇っていく。

 その時、グウィードが叫んだ。


「エアロン、前!」


 エアロンの反応は素早かった。

 十字路の左右から現れたのはマントを纏った二人の男。払ったマントの隙間から赤い制服が覗く。


 エアロンは肩で椿姫を後方へ押し遣ると、ホルスターから拳銃を抜いた。右の男の顔面に一発――弾は外れたが、奇襲者は怯む。その隙に身を捩って左の男の脚を撃ち抜いた。


 グウィードも後を付けていた二人組と交戦を始めたようだった。見事な瞬発力でカットラスの軌跡を避け、一人の男の懐に入り込んで間合いを詰める。男の腕を壁に打ち付けて剣を落とさせれば、その手を抱き込むように身を翻し、男の背中でもう一人の攻撃を受ける。


 二人を突き飛ばすと同時に、グウィードはナイフを左前方に投げた。切っ先は相棒に襲い掛かる刺客の肩を掠め、マントを割いて民家のドアに突き刺さった。


 奇襲者はすぐに立ち上がる。エアロンはすかさず銃口を上空へ向けた。狙うは民家の窓を繋ぐ物干し紐だ。弾丸は正確に留め金を撃ち抜き、簡素な枠組みが派手な音を立てて崩壊した。

 一瞬、太陽が上空から消えた。舞い落ちたボロボロの衣類、そして解れた絨毯が負傷した刺客たちを押し潰す。


「走れ!」


 エアロンは椿姫の手を掴んで十字路を駆け出した。グウィードも後へ続く。

 迷路のような路地を無作為に走り、追っ手を完全に撒いたことが確認できると、三人は放置された荷車の脇で息を整えた。


「なんだったんだ? さっきのは……」


 エアロンが空を睨む。グウィードは回収したナイフを装備し直した。


「貴族軍?」


 椿姫つばきはマントの首元を緩め、火照った頬を手で仰いだ。


「そう……大方、ゲートにいた誰かが仲間に連絡したんだろう」

「なんで? 軍隊なんだから、もっと大々的に逮捕しに来ればいいのに」

「説明しただろう? 貴族軍は異教徒が妃となることを阻止したいんだ。だから、皇帝に知られないように姫を始末したいんだよ」


 グウィードは考えるということをすべて相棒に任せているらしく、話も聞かずに辺りを警戒し続けていた。彼は身を低くして通りから顔を出し、行く手の状況を確かめた。


「主任」

「ん? なんだい?」

「大きい通りが見える。なんだか騒がしいみたいだ」


 椿姫とエアロンはこそこそとグウィードに並び、数本先の通りに目を凝らした。

 籠を抱えた女性たちが通り過ぎていく。その彼女らを押し退けるように駆けていったのは赤い制服――貴族軍だ。


「船長は……上手くやってくれたようだね」


 民家の壁に手をついて、椿姫がぽつりと呟いた。フードの下で真珠が光る。白い額に苦悩の影を落とし。


「王宮はこっちだ。急ごう」


 三人は異臭の漂う路地を急ぐ。

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