5-20 上陸
領海への侵入と同時に激しい砲撃に遭うかと思いきや、そんな事態にはならなかった。
〈アヒブドゥニア〉号の前方ではアバヤ帝国の巡視船がこちらに砲台を向けており、信号旗でこちらの身分を問うていた。〈アヒブドゥニア〉号はそれに金の旗を掲げて応答した。その旗にはアバヤ帝国の皇帝を示す紋章が描かれている。
ミナギが望遠鏡を覗きながら呟いた。
「返答が遅いですね。旗が偽物だと疑っているんでしょうか」
「いや、これはバーブル帝直々に入国を許可したことを告げる証だ。それに対し入国を渋るということは、貴族軍の本隊に指示を仰いでいるのだろう」
船長が答えてから暫くして、巡視船は後に付いて来るよう信号を出してきた。大人しくそれに従う。ダヤ湾に入り、指示された波止場に船を着けるまで、何事も無く進んだ。
首都ダヤの港は、ミングカーチをはじめとした周辺諸国の港と代り映えしなかった。自然の地形を生かした造りになっており、桟橋の一部が木製であるなど、前時代的な光景が広がっている。停泊している船の多くが木造船であることも特徴的だ。
「セメイル、下船だ」
〈アヒブドゥニア〉号の船長は部下に無言で頷いて見せ、セメイルを連れて船を降りた。他にも数名が積荷の木箱を抱えて続く。
桟橋では赤い制服姿の軍人たちが武器を手に整列しており、歓迎されぬ外国船を待ち受けていた。
軍人の中から一人が進み出る。その胸にはいくつもの勲章が輝いており、この男が貴族軍の中で相当の地位にいることが見て取れた。
『アバヤ帝国海軍大将アージャールダッタである。貴様の名と用向きを述べよ』
初めて耳にする言語。力強く独特の響きを持つ言葉だった。
船長は聞き慣れぬ帝国語にじっと耳を澄ませ、やがて古い記憶を探るように、ゆっくりと口を開いた。
『私は〈アヒブドゥニア〉号船長、メリライネン。バーブル帝からの勅命を受け、皇帝陛下に献上する品を持参した。これが書状だ』
書状には旗と同じ紋章が押されている。アージャールダッタはそれを受け取り、粗を探すようにじっくり調べた。
『その品とは?』
『宝飾品と武器、それから書物だ』
『中身を改める』
積み上げられた箱の山。軍人たちが手前の箱を抉じ開け、収められていた拳銃を取り出していく。海軍大将は値踏みするようにそれらを見、部下に向かって早口で指示を出した。帝国語による問答。船長では聞き取れないらしく、青い瞳が警戒するように光っていた。
軍人たちは一斉に〈アヒブドゥニア〉号の船員たちを囲み、銃剣の先で脅して膝を付かせた。武器を取り上げ、順に縄で縛り始める。
何人かが〈アヒブドゥニア〉号に乗り込んで行った。
『これはどういうことだ』
船長が抵抗を見せる。
『我々は皇帝陛下の勅命で参った。このような仕打ちを受ける謂れはない』
『勅命など無い。貴様らは密入国者だ』
『献上品を横領する気か。バーブル帝の耳に入るぞ』
『黙れ。その名は貴様のような下賤な輩が容易く口にしていいものではない。荷は預かろう。貴様らは荷下ろしの後、港を発ったと伝えておく』
そして、アージャールダッタは手にした書状をゆっくりと引き裂いた。
『この者たちを牢に入れろ。尋問は後程』
軍人たちが一行を引っ立てようとする。その内の一人がセメイルのフードを毟り取った。
「あっ!」
『うわっ、なんだこいつは!』
『なんて悍ましい……悪魔の手先か?』
突然、船長がその男を蹴り飛ばした。
「伏せろ!」
次の一瞬に起きたこと。
それは、あまりに劇的だった。
積荷が爆発した。爆風が一同を襲う。木片が頭上に跳ね上がり、怒号と足音、海に何かが落ちる水音が響く。
セメイルが風を感じて振り返った時には、藍色の剣士も長剣を手に赤制服へと飛び掛かっていた。
決着は早かった。爆発によって帝国軍は完全に不意を突かれたのだ。武器を取った上陸組と船内で身を潜めていた乗組員からの挟撃に、為す術なく制圧された。
『王宮に、増援を……』
大将アージャールダッタが腕を押さえて地面を這う。飛び散った何かを被弾したらしく、体の半分から酷く出血していた。〈アヒブドゥニア〉号の船長はその前に立ちはだかり、集合した部下たちを見回した。
「報告を」
「概ね計画通りです。何人かが街の方へ逃げました。残った動けそうな者は海に落としておきました」
「爆発で負傷した船員が二人います。共に軽傷のようです」
縛られていた者たちは縄を切ってもらった。火は既に小さくなっており、じきに潮風で鎮火するだろう。
船長は一同に向かって頷いた。
「ミナギ、負傷した者を連れて船に戻れ。船を沖に出して待機していろ。万が一洋上で攻撃を受けたとしても、できる限り応戦するな。その他すべての判断をお前に任せる」
「はい、船長」
若い航海士は硬い表情で答えた。
「残りの者は私に続け。増援が来る前に先を急ぐ。ジャンルカ、
「承知しました。船長、こいつはどうします?」
船長はアージャールダッタを見下ろした。
「こいつも海に落しておけ」
「うっす」
船長がセメイルを振り返る。セメイルは抱えた鞄を強く抱き締めた。
「走るぞ」
一行は駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます