5-14 野営地

 神官十字軍の野営地はそこから二十分程歩いた所にあった。

 寄せ集め民兵の野営地にしては随分と見栄えがいい。というのも、簡易テントに混じって木造の掘立小屋が二軒ほど並んでおり、立ち釜や調理台といった生活に必要な家具まで揃っているのだ。十日近くこの場所に留まり仲間を集めているそうで、規模は小さいながら立派な集落と呼べる代物になっていた。


 エルマンは三人の新参者を連れて、キャンプの外れ、見張り番が集う焚火へと近付いた。


「遅かったな」


 彼らに気付き、一人の男が立ち上がる。炎が面長の横顔を照らした。


「同志を三人連れて来た。こっちはどうだ? 異変はないか?」

「何も。おや……随分変わった取り合わせだな」


 エルマンが双方を引き合せた。


「こっちはアグネスと彼女の護衛。エアロンとグウィードだ。それから、こいつはラファエル。俺たちの副指揮官を務めてもらってる」


 アグネスこと椿姫つばきが二コリと笑みを溢す。ラファエルは彼女の手を取ると朗らかに笑い返した。


「そんな大層なことはしてないさ」

「ラフィ、アグネスにゃ手は出すなよ。旦那持ちだ。それから護衛の二人は怒らせない方がいいぞ。かなりの手練れらしい」

「おいおい、お前と一緒にしないでくれないか。初めまして、アグネス、エアロン、グウィード。君たちを仲間にできて嬉しいよ。仲間が増えるに越したことはない」


 天使の名前を持つ男は、厳めしい顔付きに似合わず温厚な為人のようだった。栗色の長髪を一つに纏めて結っていて、曝け出した額に小さな裂傷がいくつか残っていた。初対面の人間には愛想よく振る舞うが、ふとした瞬間に物憂げな表情を見せる、中々に不思議な印象を受ける男だ。

 ラファエルはそれぞれと握手を交わした後、改めて椿姫に向かって首を傾げた。


「君たち、随分と軽装なんだな。テントを一つ貸してやりたいけど、女性は小屋の方が安心か? 女性は他にも何人かいるから、共同で使ってもらうことになるけどな」

「気遣いありがとう。でも、あたしはこの二人と一緒にいた方が都合がいいんだ。たぶん、この二人だけで置いておいたら、そちらとしても少し不安なんじゃないかい?」


 彼女は無意識に首に手をやるエルマンを見てクスクス笑いを漏らした。ラファエルは不思議そうに二人を見るが、エルマンは咳払いで説明から逃げた。


「それもそうだ。よし、付いて来い。まだ空きは何箇所かある」


 四人は野営地を歩いた。

 ざっと見ただけでも三、四十人はいるだろうか。皆が値踏みするような目で彼らを見る。その多くが屈強の男たちだが、中には田舎から出てきた神父や今時珍しい隠修士、女子供も混じっている。

 熱心な信徒は焚火を囲んで聖書を読み、またある者は星に祈りを捧げていた。目に付くのは身形の貧しさ。軍隊と呼ぶにはあまりに異様な光景だった。


「ここ使え」


 エルマンはテント群から一つを選び、入口を捲って中を見せた。布と棒と紐だけでできた最小限のA型テント。簡易設計の割にはきちんと居住スペースが確保され、強度も信頼が置けそうだ。


「毛布は不足してるんだ。悪いが自分たちでなんとかしてくれ。机や椅子が必要なら俺に言えよ。作るから」

「作る?」


 グウィードがぽかんと口を開ける。エルマンは胸を張って答えた。


「俺は大工だ」

「へぇ。それは頼もしいな」

「任せろ。ところで、今後のことなんだが」


 エルマンは椿姫つばきを見下ろした。


「実は、明日から二手に別れて行動する予定でな。先に帝国へ向かう班と、ここに残ってミングカーチからの同志を集める班だ。俺は前進班を、居残り組はラファエルが指揮を執る。あんたたちはどうしたい?」


 椿姫は悩む素振りを見せる。全身をすっぽりマントで覆っているせいもあるのだが、男三人に囲まれた彼女は一層小さく見えた。


「そうだね……先を急ぐんだ。あたしたちはあんたと行くよ」

「旦那はどうする? 名前とか外見を教えてくれれば、俺たちも捜索に協力できるんだが」

「いや、居場所はもうわかってるんだ。色々とありがとう、エルマン。世話になるよ」


 感謝の気持ちを込めて、大工の逞しい二の腕を叩く。エルマンは目尻に皺を寄せて笑った。


「あんた、強い女なんだな」

「愛する人のためなら、女は強くなれるんだよ」


 エルマンは一度だけ名残惜しそうに彼女のことを振り返り、自分のテントへと帰って行った。

 エアロンがいそいそとテントに入る。二人も後へ続いた。


「うおっ。布一枚あるだけで暖かい」


 グウィードが歓喜の声を上げる。早速寝床を確保したエアロンがちらりと入口を見遣った。


「見張りはいらないかな?」

「これだけ沢山人がいるんだから大丈夫だろう。一応武器は所持したままで」

「俺が入口側に寝るよ」


 布製の壁は外からの音を完全に遮断してはくれない。横たわれば地面の凹凸が必要以上に意識され、地を這う虫の足音すら聞こえてきそうに感じられた。

 異国の地で全く知らない共同体に紛れ込み、保護を受けながら眠りに落ちるのはなんとも奇妙な感覚だった。時折聞こえる低い祈りは安心して眠れと囁きかけるのに、それがかえって疎外感を掻き立てる。眠れそうもない、とエアロンは思った。


「そういえば、主任。あんたいつヴァチカン教徒になったんですか?」


 腕に顎を乗せてエアロンが尋ねる。片目で見上げた女の顔は影になってよく見えない。


「なってないよ」

「え」

「ロザリオは神官様からの貰い物」

「洗礼名は?」

「旧友から拝借した」


 エアロンが狐に摘ままれたような顔で口を窄める。


「ヴァチカン信者と遭遇することになるだろうと思って、予め用意しておいただけさ。あんたたちもあたしの部下なんだから、それぐらいの用意はしておいてほしかったね」


 主任はフンと鼻を鳴らし、嘲るように部下二人を見た。男たちが目を逸らす。


「だって、ねぇ? 裏側を知っちゃうと嘘でも信じてますなんて、言いたくないっていうか……」

「神官様が泣くよ」

「僕は正直者だから嘘とか吐けないし……」

「いいから寝な、この大法螺吹き」


 椿姫つばきが髪を掻き上げる。ふわりと香水が香るのが、土臭いテントの中で妙に後を引いて鼻腔に残った。例え野宿の時だって、彼女は女としての隙を見せない。


「進行速度が少し遅れると仮定しても、明後日の明け方にここを抜け出せば、きっと西門の最終開錠に滑り込める。今日明日はここの人たちに甘えさせてもらって、できるだけ体力を温存しておくんだ」

「一緒にいていいのか? 俺たちはここの奴らにとって敵になるんじゃないか?」


 指名手配犯が不安げに眉を寄せる。椿姫は安心させるように一瞬微笑み、それから唇をキュッと引き結んで言った。


「あたしたちは神官様を手伝って、この意味の無い戦争を止めに行くんだよ。つまり、彼らを守りに行くんだ。気を強く持ちな、グウィード。あんたは無実を証明するために行くんだろ」


 暗闇の中で、グウィードが小さく頷くのが見えた。


 どうして自分はここにいるんだろう、と長い道中何度も思う。そしてその度に彼らは、それがなぜだったのか知るために。そして、それを証明するために行かなければならないのだと、漠然とした決意を確認するのだった。




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