5-13 セメイルの地図
陸路組三人は夜中の内に町を出た。
暴動は夜になるにつれ少しずつ治まっていったが、町を歩けばその凄惨さが目に付いた。破壊された建物と放置された銃火器の残骸。煙に混じった血の臭いが嫌でも鼻孔を這い上る。闇に紛れて啜り泣く声が聞こえ、どこか遠くでは新しい暴力が始まった。
三人は町から離れ、人気が無くなった場所で歩みを止めた。
グウィードが火を起こす。マントでしっかり体を覆い、身を寄せ合って暖を取った。エアロンは出発時からワイシャツとベストという洋装に戻っており、相変わらず洒落っ気の無いグウィードと合わせると、民族衣装の
「主任、ちょっといいですか」
凍える椿姫にエアロンがにじり寄る。彼女は白い息を吐きながら頷いた。
「これ、セメイルからなんですけど」
取り出したのは折り畳まれた紙切れ。二人は額を付き合せて覗き込んだ。
か細い線で描かれた大雑把な地図。その下に流れるような筆記体で道順らしきものが記されていた。
「地図? なんだい、これ」
「今度の仕事の依頼料だと。別にいらないと言ったんですけど、どうしてもって」
主任は紙を受け取り、地図を上下に回転させながら首を傾げた。
「イタリアの湖水地方だってことはなんとなくわかるけどね……どう見ても山の中じゃないか。一体何を受け取ったんだい?」
「それがよくわからないんですよ。神官のことだから金ではないと思うけど、だからって修道士上りが財産持ってるとは思えないし。あの後すぐに別れてしまったから、詳しくは聞き出せていないんです」
セメイルは怪訝そうなエアロンに向かってくすりと笑みを溢しながら、その紙を無理矢理握らせてきたのだった。
『私たちが再び生きて会うことができなかった時のために、あなたにこれを託します。この仕事が終わったらそこへ行ってみてください。細やかですが、あなた方の助けになるでしょうから』
椿姫はその紙をじっと見つめると、エアロンの膝の上に乗せてそっぽを向いた。エアロンはきょとんと彼女を見る。
「あんたが持ってな」
「え。でも、主任が持ってた方がいいんじゃないですか? ほら。最後に僕が無事とは限らないし」
僕はあんたを守るために行くんだから、生き残る確率はそっちの方が高いでしょう。
エアロンはいつもの調子でそう付け加えた。ところが、
「だって僕、ナイトだし? お姫様のためなら命投げ出す覚悟だし?」
甘く見積もっても半分以上は嘘である。
茶化したつもりが伝わらなかったようで、椿姫は更に沈痛な面持ちで地面を見つめた。
「守ってくれる騎士様が死んだら、残された姫も死ぬんだよ。受け取ったあんたが持っとくべきだ」
「えぇー……なんでそんなにネガティブなんです? そりゃあ危険な仕事だっていうのはわかりますけど、僕はこんな所で死ぬつもりないし。あんただってそうでしょ? 簡単なことです、二人とも生き残ればいい」
「それじゃ、どうせ二人とも生き残るんだから、あんたが持ってな。無くすんじゃないよ」
椿姫はそう言って腕に頬を預けた。
なんだか空気が悪くなってしまった。エアロンは紙切れをベストの内ポケットにしまい、立てた両膝を抱き寄せた。
何かがどこかで鳴くのを聞いた。炎が咳き込むように火の粉を吐く。橙の粒が天に向かってするりと消えた。
気配を感じてエアロンが顔を上げる。椿姫はいつの間にか眠りに落ちたようだが、エアロンが焚火に砂を掛けて消す音で目を覚ました。
グウィードが戻ってくる。護身用のナイフが月夜に輝いていた。
「何?」
エアロンが囁く。荷物からハンドガンを抜き出した。
「人だ。町の方から、五人くらいかな」
「なんだろう、ミングカーチ市民?」
「いや、西洋人だ。フランス語と……時々英語が混じってる」
グウィードは二人を守るように暗闇の前に立った。エアロンが主任を立ち上がらせ、背後に庇う。
足音は段々と近付いてきた。こちらの場所は特定できていないらしいが、それでも彼らを探しているのは間違いなかった。どうしようかとグウィードが振り返る。エアロンは待てと合図を出した。
懐中電灯が闇を切り裂く。光線が彼の姿を捉えた途端、捜索者たちは一斉に銃を構えた。
「何者だ!」
少し訛りのある英語。エアロンは銃口を向けて答えた。
「通りすがりの西洋人だ。こちらに敵意は無い。銃を下ろして、身分を明かしてもらおうか」
先頭の男は鼻で笑った。
「銃を下ろすのはお前たちだ。こっちは五人いる」
「ふぅん? そうやって余裕こいてる間に四人になっちゃうかもしれないね」
男は息を呑んだ。
全く気が付かなかった。すぐ隣に男が立っている。闇の中から遊離するように、彼の首にナイフを突き付けて。
エアロンはにっこり笑って銃を下ろした。
「いつのまに……!」
「グウィード、そのままで。さあ、自己紹介をどうぞ」
「わ、我々は神官十字軍の民兵だ。ミングカーチを出てアバヤ帝国の西ゲートへ向かっている。そっちにその気が無いのなら、こちらも危害を加えるつもりはない――から、そのナイフを退けてくれ」
エアロンが頷く。グウィードもナイフを収め、身を引いて相棒に並んだ。
民兵の代表者は銃を手にしたまま、怪訝そうに闇夜に目を凝らした。
「こちらは身分を明かしたぞ。お前たちはなんなんだ?」
「あんたたちと一緒さ。帝国に向かっいる」
「十字軍か?」
「組織立ててはいないけど、個人で戦う意志はある」
「証拠を見せろ」
ヴァチカン教徒である証拠を。
予想され得た要求だが、エアロンは返答を詰まらせた。当然そんなもの持っていない。相手の眼差しが猜疑に変わり始めた頃、助け舟を出したのは
「ここに」
差し出した指からロザリオが垂れる。代表の男の顔付きが緩んだ。
「あんた、もしかして日本人か?」
「終戦後に移住してきた」
「洗礼名は?」
「アグネス」
男は銃を下ろした。
「同朋がいるなら手を上げるわけにはいかない。しかしどうも……一般人には見えねぇな。軍隊経験者か? そっちの男は中東系にも見えるが」
「この二人はあたしの護衛さ。二人は信徒じゃないけど、身元はあたしが保証する。彼らはエアロンとグウィード。あんたは?」
先頭の男は仲間が落とした光の輪の中に進み出た。かなり大柄な男だ。粗野な性格が無精髭によく表れているが、きちんと身形を整えればそれなりの顔になるだろう。
男は笑みも返さず自己紹介した。
「俺はエルマン。一応ここの指導者ってことになってる。それにしても、女が来るなんて珍しい。アグネスはなんで帝国に?」
「夫に会いに」
エルマンの口から悲しげな溜息が漏れた。
「……なるほどな。それなら俺たちの軍隊に加わればいい。俺たちはこっちで同朋を集めてるんだ。あんたの旦那も合流しているかもしれないぜ」
三人は躊躇うように顔を見合わせた。指名手配犯のグウィードは特に不安そうだ。それを見たエルマンが慌てて言う。
「ああ、いや、嫌ならいいんだ。帝国までの道中、仲間が多い方が安心だろうと思っただけだ。そっちの兄ちゃんはお気に召さないようだしな」
「いいや、有難くお言葉に甘えさせていただくよ。信徒じゃない人間も歓迎してもらえるのかい?」
「俺たちの信仰を馬鹿にするような真似をしないならな。あんたの護衛さんたちは腕も立ちそうだし、戦力になってくれればこちらも助かる」
エルマンが手を差し出す。アグネスは薄い笑みを浮かべて握り返した。
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