5-12 暴動

 それから数時間が経った。セメイルが椿姫つばきのベッドで仮眠を取っている。エアロンとグウィードはこの二週間にあったことを互いに報告し、グウィードは持参した装備の確認を、エアロンは病院に置いてきたメイドや女運転手の様子を話して聞かせた。

 ヴィスベットは足の切断手術が上手くいったそうだ。とはいえ、相変わらず誰とも会いたがらず、リハビリにも取り組めていないらしい。

 暗い話に見切りをつけて、エアロンは窓の外を眺めに行った。目利き通りから少し離れた場所のため、遠くに市場の表門が見える。市場前の広場は相変わらず人で賑わっていたが、なんだかいつもと様子が違う。


「なあ、主任たち遅くないか?」


 ベッドの上に胡坐を掻いてグウィードが言う。エアロンは窓から身を乗り出したまま答えた。


「遅い。来て、グウィード。広場の様子がおかしいんだ」


 グウィードは場所を開けたエアロンの隣に立ち、広場に向かって目を凝らした。狼のような琥珀色の瞳がごった返す人の群れを掻き分ける。人よりも優れた視力がその事態を把握した。


「暴動だ」

「なんだって?」

「暴動が起きてる。武器を持って暴れている奴らがいるんだ」


 確かに人混みの動き方がおかしい。その波は寄せては引きを繰り返しているようで、明らかに対立する二つの軍勢が押し合っていた。

 喧騒に混じる破裂音。銃声だ。


「まさか巻き込まれたとか」


 グウィードの顔は緊張で強張っている。エアロンは険しい顔で首を振った。


「大丈夫でしょ。船長が付いているんだし、ミナギだっている」

「探しに行った方がいいと思うか?」

「いや、やめておこう。入れ違いになる方がまずい」


 ところが、まさにそのタイミングで、階下に三人が飛び込んできた。息を切らして階段を駆け上る椿姫主任。ミナギは拳銃を上着の中に仕舞い込み、最後に背後を警戒しながら船長が続いた。

 セメイルが何事かと目を覚ます。エアロンは椿姫に駆け寄った。


「主任!」

「はぁ、まったく大変なことになったよ」


 椿姫が乱暴にマントを脱ぎ捨てる。グウィードが水を持って来た。


「何があったんだ?」

「武装したヴァチカン教徒とミングカーチ市民が衝突したんだ。広場から始まって、もしかすると港の方にも広がるかもしれない」


 船長は自分の船が気になるようで、無言のまま窓の外を見ていた。セメイルが不安そうに眉を寄せる。


「一体どうして……」

「ミングカーチは帝国との交易で栄えた町だからね、あくまでアバヤ帝国に対して中立でいたいんだ。何が火種になったのかはわからないけど、協力を求めるヴァチカン教徒と出て行ってほしいミングカーチ市民の対立が表面化したのさ」


 ミングカーチは帝国へ至る道中の最後にある主要都市だ。ヴァチカン教徒が押し寄せたことで宿屋は大変繁盛したが、住民とのトラブルも多発している。外国人の流入で飽和状態になった国境沿いの小さな町は、これ以上は受け入れられないと悲鳴を上げていた。

 船長は意を決して振り返った。


「私は船へ戻る」

「俺も行きます」


 階段に向かう二人をエアロンが阻んだ。


「だめだ、船長。今外に出るのは危ない」

「邪魔するな。部下が心配だ」

「だめったらだめ。下手に巻き込まれて連絡が取れなくなったら困る。心配なのはわかるけど、落ち着くまでここにいて」

「断る。彼らを放ってはおけない」

「ここに居てもらう。上司命令だよ?」


 二人は黙って睨み合った。緊迫した空気が流れる。ミナギがエアロンに食って掛かろうとしたが、椿姫つばきが片手で制した。


「大丈夫だよ、船長。港に一報入れて、〈アヒブドゥニア〉号に使いの者を走らせます。あたしからもあなたに聞いてほしい話がありますので」


 一瞬躊躇ったが、船長は彼女の眼差しに一応の信頼を見出し、身を引いて従うことを示した。ミナギも渋々右に倣う。

 椿姫はグウィードの腕を軽く叩いた。


「近くの店に電話を借りに行ってくる。グウィード、悪いけど一緒に行ってくれるかい? すぐに戻るよ」


 緊張感をあえてぶち壊すようなのんびりとした足取りで二人は出て行った。

 船長は黙ってエアロンを見ていた。エアロンは同じ部下である船員たちと船長一人を天秤に掛けたのだ。青の瞳は無言のうちにそれを責める。エアロンは澄まし顔で肩を竦め、やり取りはそこで終わった。


 宣言通り、椿姫つばきとグウィードはすぐに帰って来た。外の様子はどうだったと訊ねれば、暴動に便乗する形で窃盗や暴行といった別の犯罪が広まり始めたらしく、事態は悪化するばかりだと言う。

 それでも無事に伝言だけは頼めたそうで、船長が安堵の溜息を吐いた。


「予定を早めよう」


 椿姫主任は取り囲む男達を見回して言った。


「これ以上この町に留まってはいられない。帝国に向けて出発だ」


 ミナギが顔を曇らせる。主任が同情を示した。


「到着したばかりの〈アヒブドゥニア〉には申し訳ないけど……暴動が港まで広まれば出航にも影響が出るだろう。遅くとも明朝までには出航してほしい」


 船長は黙って頷いた。


「出発の前に、みんなにアバヤ帝国の内情について知っておいてもらいたいんだ。まず、帝国がスーバール教国家であることは、皆知っていることだと思う。スーバール教は初代教祖の転生を信じていて、始祖の『印』を持つ者を最上位――つまり皇帝として崇める宗教共同体がそのまま国家になっている。彼の国における皇帝は現人神なんだ」

「ちょっとヴァチカン教会に似てるんじゃない?」


 エアロンが訊ねる。彼女は首を振った。


「ヴァチカン教皇と違って、実権を握っているのは皇帝に仕える貴族たちだ。皇帝は王宮に幽閉された宗教的シンボルに過ぎないのが実態だね」


 部屋の隅でセメイルが頭を垂れる。神官としては思うところもあるのだろう。

 続いて椿姫は、アバヤ帝国の二つの軍隊について説明した。


「一つは貴族軍。一般的な国が保有する軍隊に近いのはこれだ。帝国領を囲う長壁の内側から、王宮までの全領域が彼らの支配下にあると考えていい。つまり、接触は免れ得ない」


 それを聞いて皆の顔が強張る。


「もう一つは禁軍。帝国語ではイエニチェリって言うらしいね。下層階級から皇帝が個人的に構築した軍隊で、つまりは私兵さ。彼らは主に王宮の内部を警護しているから、あたしたちが気にするべきは貴族軍の方だけだ」

「待ってください。主任、あなた皇帝と商売してるって言ってませんでした? それなのに軍隊と戦わなくちゃいけないんですか?」


 てっきり相手にするのはヴァチカン教会だけかと思っていたのだが。

 エアロンが不満と絶望の入り混じった顔で主任を見下ろした。海路組の指導者である船長は予め話を聞いていたらしく、眉一つ動かさずじっとしている。


「まあね。それこそが今回の任務の核心なんだ」


 椿姫つばきはここで一息吐き、胸元の刺繍を何ともなく弄った。


「実は今、帝国内で謀反の動きが出始めている。現皇帝と貴族軍の対立は今に始まったことじゃない。それが具体的な動きになったきっかけは、現皇帝バーブルの新しい妻――バーブル帝が第三夫人として外国人女性を娶ることを発表したんだよ。異教徒との婚姻はスーバール教の経典で明文化されているわけではないが、代々暗黙の内にタブー視されていたことなんだ」

「国政を牛耳っているのは貴族たちなんでしょう? 皇帝の嫁選びに彼らは関与できなかったんですか?」

「今まではそうだった。けど、三人目の嫁だけは皇帝自らのご指名でね。もし予め皇帝が貴族たちに相談していたら、当然結婚は成立しなかっただろう」


 今度はセメイルが口を挟んだ。


「あの、質問いいでしょうか」

「どうぞ」

「なぜ皇帝はあえてそんなことをしたのでしょうか? タブーを犯せば信徒の反感を買うことくらい、想像がつくと思うのですが」

「そりゃ、それだけ新しいお嫁さんが良い女だったってことじゃない?」


 茶化すエアロンを睨み付けながら椿姫は答えた。


「神官様と違うのはね、バーブル帝はあくまで一国を治める立場だということだよ。彼はただシンボルとしてそこにいればいいわけじゃない。この不穏な世界において、アバヤ帝国を存続させなければならないんだ」


 セメイルが息を呑む。


「政略結婚……ですか?」

「そう。バーブル帝は帝国の鎖国政策の限界を悟っている。かと言って、いきなり全世界に門戸を開くのは危険すぎるだろう。どのような道が国家にとって一番ダメージが少ないのか、それを模索するための一手段としてお考えなのさ」


 椿姫は腰に手をつき、今一度鋭い眼差しで部下たちを見据えた。


「そこであたしたちの出番だよ。件の第三夫人はちょうどこのタイミングで帝国入りを計画している。あたしたちはその囮役ってわけさ。彼女と同時に入国してひと騒動起こし、貴族軍の目を逸らさせる。〈アヒブドゥニア〉号は海から、あたしとエアロン、そしてグウィードは陸路で入国し、皇帝陛下の待つ王宮を目指す」

「ゴールは王宮?」

「そうだよ。入国するのは簡単だろうけどね。国から出るには皇帝陛下、そしてイエニチェリの保護が必要になる」

「ひと騒動起こすっていうのは?」


 質問するグウィードの声には緊張が混じっていたが、その目は落ち着いていた。


「そこは〈アヒブドゥニア〉の仕事さ。船長、任せていいですね?」

「ああ。承知している」


 船長は目を伏せたまま答えた。


「心配しなくても、あたしたちの入国に気付けば貴族軍の方から仕掛けてくるよ。あたしたちは国境を跨いだら迅速に王宮を目指すだけでいい。むしろ、生きて王宮に辿り着くことこそが、あんたたちの任務だと思いな」


 念を押すように、一人一人の顔を見回して。

 ――危険な任務を課す罪悪感など、あの日病院に置いてきた。


「貴族軍が全力で殺しに掛かってくる可能性もある。くれぐれも、死ぬんじゃないよ」


 陸路組と海路組が別れの挨拶を交わす。

 いまいち実感の湧かない死地を前に、再び生きて相見えますように。


 遠い広場での喧騒が、じわりじわりと焦燥感を掻き立てていた。

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