5-11 合流して雑談

 茨野商会ミングカーチ支店は、支店とは名ばかりの単なる一軒家だ。泥を塗ったような茶色い建物で、張り出した二階のベランダを素朴なアーチで着飾っている。

 一階には剥き出しの床の上に机が一つと椅子があるだけ。二階は宿泊用なのでベッドが二台と食卓があるが、全体的に家具に乏しい廃屋のような建物だった。

 こんな所で本当に営業をしていたのかと椿姫つばき主任に問いただせば、当然そんな使い方をしたことはなく、地元の人間を雇って管理だけさせているらしい。


〈アヒブドゥニア〉号から代表の四人が到着したのは、一時間以上経ってからのことだった。セメイルだけはマントとフードで姿を隠しているが、一際目立つ藍色の男は、通行人の視線をものともせず雑踏を通り抜けた。

 椿姫主任は席を立ち、彼女らしいニヒルな笑みで海路組を迎えた。


「長い航海ご苦労様でした、船長」

「エルブールの件、大変だったそうだな。タチアナの様子は?」

「あの方ならお変わりなく。ああ、ミナギ。直接会うのは久しぶりだね。あんたは〈館〉に顔を出さないから」


 航海士ミナギは笑顔で握手を交わした。


「ええ、副主任の顔を見たくないので」

「あんたたち本当に仲が悪いみたいだね……まあ、元気そうで何よりだよ」


 その嫌われ者の副主任は二階から下りて来るなり、相棒に向かって奇声を上げた。


「グウィードおおおぉぉぉ!」

「うわっ、エアロン!」


 対するグウィードも再会を喜びはしたのだが、エアロンの狂気染みた歓迎に戸惑いを隠せない。狼狽える相棒に突進したエアロンは、そのまま抱擁を交わすふりをして懐に飛び込み、相棒の腹部に拳を埋めた。


「ぐえっ」

「遅いよ! 僕がこの二週間ちょっと、どれだけ気まずい思いして神経すり減らしてきたと思ってんの? それをお前は船長とかセメイルと船の上でのんびり仲良くやっちゃってさあ! 僕の苦労を知れ!」

「お、おげぇぇ……」


 エアロンはグウィードの背後で呆然とする神官を見付け、にっこりと微笑んだ。


「やあ、セメイル。元気だった?」

「は、はい」

「無事で何より」

「俺が無事じゃねーよ! 何すんだお前!」


 グウィードは吐き出しそうになった色々なモノを飲み込み、エアロンを押し退けた。


「八つ当たりだよ!」

「自覚あんのかよ!」


 エアロンはぐったりと相棒の肩に頭頂部を預けた。


「だってさ、主任だよ? 主任と二人っきりだよ? 気まずくてホント、死ぬかと思った……」

「エアロン、聞こえてるからね?」


 主任が爽やかな笑顔を向ける。


「ところで主任。二、三日はここに滞在するかと思うんですが、船員のために宿を取りたいと思っています。いい場所をご存知だったら教えてもらえませんか?」


 騒がしい二人に対し、こちらは至って真面目である。ミナギは副主任に軽蔑の視線を投げながら言った。


「そうだね……それなら港に近い方がいいだろう。市街地にも宿はいくつかあるけど、ヴァチカン教徒の民兵がかなり滞在していてね。空きも少ないだろうし、何より衝突は避けたいから」

「セメイルは私と共に〈アヒブドゥニア〉号に宿泊させる予定だ」

「その方がいいでしょう。じゃあミナギ、船長、一緒に行こうか」


 三人は出て行った。


「体調はもう良くなったのか?」

「うん。あー……嘘。悪くなった。胃袋に直接的なダメージを沢山受けた」

「お前は陸にいたんだからいいだろ。セメイルなんか大変だったんだぞ、船酔いで」


 グウィードがセメイルの肩に手を置く。急に話を振られた神官はかぁっと赤面して彼を睨んだ。


「そんなこと報告しないでくださいっ」

「僕だったら船酔いでゲロゲロしてた方がマシ! 考えられるか? 二週間、主任と二人っきり! しかも同じ部屋で寝泊まりだぞ? もう、気を遣いすぎて、休まらない……」

「別々に部屋取ればよかっただろ」

「だって、治安はどんどん悪くなっていってるのに、安宿に女性一人で泊めておけないだろ! 道中危ないことだってあったんだから」


 エアロンは吐き捨てるように言い放つと、そっぽを向いて腕を組んだ。グウィードがニタニタ笑う。


「お前、素直じゃないな」

「僕は護衛で来てるんだから、当たり前のことをしたまでですぅ」


 セメイルがハッと息を呑む。


「男女が同室で二人きりということは……」

「ないよ? 一夜の過ちとかないよ? なんなのこの聖人! 発想が既に清らかじゃないじゃん!」


 エアロンは笑いを堪えている神官を睨むと、不機嫌さを足音に託して階段を駆け上って行った。


***


 談笑は暫く続いた。

 エアロンは着いたばかりの二人をこの地域で広く飲まれている甘いお茶でもてなし、渇いた喉に更なる渇きを与える嫌がらせをした。

 船旅の間に蟠りが解けたのか、グウィードとセメイルは随分仲が良くなったように見える。俯きがちな聖人も少しは笑うようになったものだ、とエアロンはしみじみ観察していた。

 グウィードは硬いベッドに体を投げ出し、揺れの無い微睡に感動を覚えながら言った。


「こうして過ごしていると、戦争とか言ってるのが嘘みたいだな」


 セメイルがびくりと肩を震わせる。エアロンは窓辺に寄り掛かり、バナナの皮を剥きながら蔑むように相棒を見た。


「あのさぁ、お前たちは海の上でプカプカしてたから知らないだろうけど、陸では結構大変だったんだよ? 一週間前にも民兵が帝国に攻め込もうとしてね。ま、民兵と言っても武装した寄せ集めに過ぎないから、あっさり鎮圧されちゃったんだけどさ」

「でも、戦争自体は起きてないんだろ? つまり、国同士のぶつかり合いみたいのは」

「そうだね。ヴァチカンの正規軍は来てないし、今のところどの国も動いちゃいないよ」

「本来、ヴァチカンが有している軍隊はスイス・ガーズだけです。彼らは自衛が目的の組織ですから、他国に攻め込める程の人員が確保できるとは思えないのですが――」


 そう言うセメイルは何か懸念があるらしく、眉間に皺を寄せている。グウィードが不思議そうに首を傾げた。


「それなら、そこまで大事にはならないんじゃないか? 十字軍を名乗っている民兵の奴らが鎮圧されれば、自然と治まりそうな気がするな」


 エアロンが心底呆れた顔をする。


「な、なんだよ」

「グウィードが頭悪いのはみんな知ってる」

「あ?」

「僕らが懸念しているのはね、グウィード。教会のバックにどこかの軍隊が付いているんじゃないかということなんだ」

「軍隊?」

「私のこれを覚えておいででしょうか」


 セメイルは自分の肩掛け鞄を取り上げ、膝の上に乗せた。取り出したのは白いグローブ。それを見たグウィードが顔を顰める。


「〈浄化〉の技術は『研究所』を名乗る者たちが教会に売り込んできたものです。その背後に何らかの軍事力を持った組織が付いていることは、殆ど間違いありません。ヴァチカンには多数の軍人らしき人物が出入りしていましたので、彼らが今回の騒動に介入してくるのも時間の問題でしょう」

「帝国に戦争を仕掛けて、ヴァチカン教会に一体どんなメリットがあるんだろうね? 僕にはそこがわからない」


 セメイルも首を振る。


「残念ながら、私にも思い付くことはありません」

「――ということは、恐らく戦争したいと思っているのは、教会と取引している研究所だか軍隊だかってことになるね」


 エアロンは神妙な面持ちでバナナを咀嚼している。


「一番問題なのは、結局それがどこの軍隊なのかわからないことだよ。スベルディスもそれは明かさなかった。その口ぶりだと、セメイルも知らないんだね?」

「すみません……国旗はもちろん、手掛かりになりそうなエンブレムの類も見たことがないのです」

「ねえ、いつも向こうから教会にやって来るの? セメイルが向こうの施設に行ったことはない? 研究所って言うくらいだから、絶対にそういう施設はあると思うんだけど」

「ありますよ。先月も住んでいました」

「住んでた?」


 エアロンが驚く。セメイルは困ったように眉尻を下げた。


「〈浄化〉のグローブを起動できるようにするためには、定期的にチューニングと呼ばれるものをする必要があるんですよ。だから、何度か彼らの施設に行きました。もっとも、施設の場所も彼らの身元に繋がるものも、すべてが厳重に隠されていましたから、やはり何の手掛かりもお出しできないのですが……」


 すると、グウィードが思い出したように身を乗り出した。


「それ、ずっと気になってたんだよ。確かにサンドーベで壊したはずなのにって。そのろくでもないグローブはそんな簡単に量産できるものなのか?」

「難しいと思います。使用者一人一人の脳波と連携するように作られているので、グローブを生産すること自体よりも、使えるように調整するために非常な手間が掛かりますから」

「でも、不可能じゃないんだな」

「まあ、そうですね」


 二人は居心地悪そうに目を逸らした。エアロンはグローブの仕組みには興味が無いようで、黙々とバナナを咀嚼しながら頭をフル回転させている。


「こんな高い技術力がある国なんて、思いつかないけどなぁ。どこの国も〈天の火〉のせいであらゆる技術革新が白紙に戻ったはずでしょ? 日本やアメリカが無事だったら可能性はあるかもしれないけど、あの有様じゃあねえ……」

「企業や大学は考えられませんか?」

「軍隊まで持てるとは考えづらいなぁ」


 そう言うなり、エアロンはじっと考え込んでしまった。

 沈黙が訪れる。

 下界の喧騒だけがやけに虚しく響き渡り、手押し車の軋む車輪が彼らの心を掻き乱す。

 気まずい空気に耐え切れず、グウィードは寝返りを打って相棒を見上げた。


「ところでエアロン」

「何?」

「お前、民族衣装似合わないな」


 エアロンは華麗なフォームでバナナの皮を投げ付けた。

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