5-4 神官の釈明

 オリヴィエ、グウィード、船長、そして神官セメイルの四人はテーブルを囲み、気まずい沈黙を味わっていた。

 淹れ直した紅茶が穏やかな香りで四人を取り巻くも、その香りが余計に沈黙を意識させ、一同は手を付けることもできずに座っていた。

 マダム・オリヴィエが口を開いた。


「それで?」


 茶色の視線が男たちを睨む。三人は何から話せばいいのか、思案気に顔を見合わせた。


「オリヴィエ――」

「リヴ、あんたは黙ってな。私は神官様の口から直接聞きたいんだ。一体何が真実で、何を偽ろうとしていたのかを」


 セメイルはごくりと唾を呑みこんだ。

 目が合った瞬間に心に鈍い痛みが走り、手の平がじんわりと湿っていく。

 それは彼が今まで行ってきたどんな演説よりも重い意味を持ち、自分が人々の信仰の対象なのだと強く意識させる瞬間だった。

 紅茶を一口だけ口に含む。熱が喉を焼いた。


「私……わたくしは……」


 咄嗟に握り締めた右手。

 セメイルは深紅の瞳を真っ直ぐ老婦人に向けた。


「世界大戦の後、戦乱に対し無力を極めたヴァチカン教会は、多くの信仰を失いました。その教会がかつての権威を取り戻すために目を付けたのがわたくしです。わたくしは〈浄化〉の力によって罪人たちから悪しき心を取り除き、沢山の『奇蹟』を行ってまいりました――」


 グウィードが彼を見ている。その視線には気付かないふりをした。


「多くの信徒がわたくしを信じてくださいました。おかげで教会はかつての勢いを取り戻し、再興への道を歩みつつあります。しかし、更にその上の段階に進むためには、民衆を扇動する悲劇が必要だったのです」


 人間は自分以外の多くの物事に無関心だ。そのくせ、自らを善なる存在と思いたくて堪らない。


 群衆を団結に導くのは何か?

 それは華々しい善――つまり、わかり易い悪だ。


「教会はわたくしをエルブールという町に視察と称して送り込みました。その町は、彼ら茨野商会の本拠地がある土地です。その町長選の折、何者かによって候補者が狙撃されました。本来の計画では、わたくしもそこで殺されているはずだったのでしょう。わたくしは悲劇の象徴としてそこで殉教するはずでした――しかし、グウィードさん、そして茨野商会の方々によって命を救われ、教会の第一の企みは阻止されました」


 ここで神官は一息吐いた。オリヴィエは眉間に皺を寄せたまま瞬きもせず耳を傾けている。セメイルは瞼を閉じ、その時の苦悩を思い返すように言葉を継いだ。


「ところが、ヴァチカン教会はより恐ろしい凶行に出ました。オリヴィエさん、あなたもきっとその時の新聞をご覧になったかと思います」


『ヴァチカン教会の聖人、神官セメイル――スーバール教国家、アバヤ帝国のテロリストに拉致される』


「――教会はあの拉致事件をでっち上げたのです。教会の思惑は見事に当たり、神官セメイルを取り返そうと十字軍が結成されました」


 オリヴィエはカラカラに乾いた喉で囁いた。


「ということは、あの事件は……」

「すべて嘘。アバヤ帝国は今回の件に無関係です。それなのに、ヴァチカン教会はかの国に濡れ衣を着せて戦争を仕掛けようとしています――その理由は恐らく、信徒団結の音頭を取ることで、教会の権威をより強固なものにするためでしょう」


 彼は僅かに俯いてみせることで、語り終えたことを示した。

 真剣だがどこか感情に欠けたその顔は、確かに神官セメイルの顔であって、一人の青年の顔ではなかった。

 オリヴィエは両手に顔を埋め、深い溜息を漏らした。


「そんな……ねぇ? 馬鹿な話があるわけないよ。教会は平和のためにあるものだ。それがなんで、戦争なんて……」


 終戦からたった十六年しか経っていない。

 今教会を治めている者たちも、少なからずあの惨状を見ているはずなのだ。

 それを、あの悲劇を、繰り返すだなんて。

 戦地で娘や兄弟を失っているマダム・オリヴィエには、その計画の愚かさを指摘するのも辛かった。


「なぁ、そこのあんた。グウィードって言ったっけ? あんた、本当に帝国とは何の繋がりも無いんだね?」

「あ、ああ。確かに俺は中東系の血が入ってるけど、生まれはスペインだ。スーバール教徒でもない」

「茨野商会に帝国出身の人間はいない」


〈アヒブドゥニア〉号の船長が口を挟む。オリヴィエは頭を抱えたままだ。


「じゃあ、なんで帝国なんだい? アバヤ帝国の人間が教会に何か――?」

「それはわたくしにもわからないのです。少なくとも、わたくしの知る限りでは、何も」

「本当にとばっちりじゃないか! そんな、無関係の国を巻き込んで戦争なんて――教皇聖下がそんなことするわけないよ。そんなはずはないんだよ……」


 セメイルは身を乗り出し、老婦人の細い腕を取った。その手がビクリと跳ね上がる。無意識に体を引きつつも、オリヴィエは彼の瞳の赤に魅了され、その眼を逸らすことができなかった。


「オリヴィエさん、信じてください。わたくしたちはこれからアバヤ帝国に渡り、戦争を止めて参ります。言うまでもなく、こんなことは間違っている。わたくしは教会の過ちを正したいのです」


 長い沈黙。


 オリヴィエは神官の目を見つめ。

 そして、絞り出すように呟いた。


「もう一つだけ、聞かせておくれ」

「なんでしょうか?」

「神官様の奇蹟の力は――本物なのかい?」


 セメイルは息を呑んだ。

 呑んでしまったのだ。


「――その質問について、わたくしは答えることができません」


 彼は唇を舌で湿らせた。


「ただ、わたくしには神より授かった力があるということ。必要があれば、この戦争を止めるためにその力を使うことも厭わないということが、わたくしの答えです」


 セメイルはオリヴィエを見つめている。それなのに、視界の端にいるグウィードと船長の視線が酷く意識されるのはなぜだろう。

 やがて、マダム・オリヴィエは目を伏せた。


「……あなたを、信じます」

「ありがとうございます」


 窓の向こうから笑い声が聞こえる。陽気で、幸福に満ち溢れた声。それがあまりにも現実味を失って聞こえるので、セメイルは心で耳を塞ぐことしかできなかった。

 時を告げる教会の鐘さえ、今はもう。


〈アヒブドゥニア〉号の船長は席を立ち、窓から下界を見下ろした。


「……ルチアが帰って来た」

「リヴ、夕飯は?」

「……船で。私には仕事がある」


 船長は振り返り、項垂れる一同を見渡した。


「明日だ。明日の夜、出航する」

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