4-24 事故現場

 白い改造車は派手な音を立てて衝突し、十メートルほど弾き飛ばされた。車体の側面を鉄橋の柱に強打し、停車。燃料タンクの損傷のため激しく炎上した。

 後続のバイクは前輪を軸に一回転して宙を舞い、車体は対向車線へと突っ込んだ後、別の車を巻き込んで衝突。乗っていた男の体も高く投げ飛ばされ、棒切れのようにコンクリートに叩き付けられる。

 被害が被害を呼んだ大惨事となった。


 ヴィスベットは頬に熱を感じて意識を取り戻した。全身が痛い。早くここから抜け出さなければと思うのに、何かが下半身を圧し潰しており、全く身動きが取れなかった。

 自分はまだ生きているのだろうかと、ぼんやりした頭で考える。

 朦朧とした意識の彼方からハイヒールの足音が響いた。足を引き摺っているためにどこか不規則なその音は、瀕死の彼女に最期の時を告げるように、一歩ずつ、残酷に距離を詰めてくる。

 その音に何とも言えない恐怖を覚え、ヴィスベットは全身に震えが走るのを感じた。

 長い男の影が落ちる。その手が彼女の金髪を掴み、瓦礫の下から引き摺り出した。折れた足に激痛が走る。乱暴に鉄橋の根元に投げ捨てられ、声にならない悲鳴を上げた。

 男は凭せ掛けるように彼女の体を起こし、その前に膝をついた。


「大胆な女は嫌いではありませんが」


 黒手袋が顎を掴む。無理矢理口を抉じ開けて、その痛みで彼女にはっきりした意識を取り戻させた。

 灰色の視界に映ったのは端麗な若い神父。背後の炎が顔面のピアスに光を投げていた。神父は切れた唇をベロリと舐め、口を左右に吊り上げた。


「……これはちょっと、やり過ぎですねぇ」


 フレデリック神父はカソックの裾をたくし上げた。筋肉が影を落とす太腿を革のベルトが締め付けている。そこから試験管を一本引き抜いた。ヒビの入ったそれを見せつけるように顔の前に掲げる。


「貴女にはお仕置きが必要のようだ」


 パキッと小さな音がして、試験管が割れる。零れた液体が容器と共に下に落ち、動けない女の腿に大きな染みを作った。硫酸はたちまち衣服を溶かし皮膚を焦がす。熱と痛みにヴィスベットが大きな悲鳴を上げた。


「あああっ……!」

「おや、いい声で啼く」


 破れた制服の胸元を広げ、白い首筋を曝け出す。浮き出る鎖骨を指でなぞる。神父の愛撫に彼女は体を震わせ、恐怖に瞳を見開いた。

 足を広げて女の下肢に跨って。ヴィスベットの視界は濃紫に染まる。

 神父の瞳孔が蛇のように裂けた。


「それでは、もう少し啼いてもらいましょうか」


 男の膝が折れた足に乗った。


「いっ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 そのまま全体重で圧し掛かる。折れた骨がミシミシと音を立てて砕け、皮膚を貫いて血を撒いた。

 神父は愉しそうに顔を歪め、まるで接吻でもするように、嗚咽を漏らす女の唇に息を吐き掛けた。


「他人を痛めつけるのはむしろ好きな部類ですが、自分が痛い思いをするのは大嫌いでして。ただ始末するだけでは腹の虫が治まらないのですよ。貴女のように美しい方には優しく接してあげたいものですが――」


 黒手袋が乳房を包む。あやすように軽く揉みしだきながら、耳元でそっと囁いた。


「――生憎、優しい扱いというのは不得手でしてねぇ」


 後頭部を鉄橋の柱に押し付けて、男の指がヴィスベットの瞼を開く。顔を押さえるように固定したもう片手には、別の試験管が握られていた。

 足には絶えず激痛を与え続け、フレデリックは試験管の先を灰色の瞳に向けた。


「い……ぃや……やめ、やめて……っ」

「ん? よく聞こえませんねぇ?」


 全身がガタガタと震え、角膜を涙が覆った。水気を失った喉を熱と恐怖が駆け上る。抵抗しようにも弱った体は言うことを聞かない。

 ヴィスベットが最後に見たのは、にんまりと上機嫌に笑う、悪魔のような神父の顔だった。


「いやああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」



 硫酸が迫る。



「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉ!」



 黒い弾丸が飛び出した。カソックに体当たりをかまし、もんどりうってコンクリートの上を転げ回る。男たちは絡まりながら一瞬の殴り合いを交わした。


「ヴィズ!」


 駆け付けたメイドが彼女の脇に膝をついた。煤と涙でぐしゃぐしゃに汚れた頬を拭い、そして、安心させるように手を握る。


「フレデリック、てめええぇぇぇ!」


 グウィードは神父の体に馬乗りになり、容赦なく拳を浴びせた。神父は腕を突っ張るが、激昂した狼に力で勝てるはずもなく、為す術もなく顔面を晒すしかなかった。

 とどめ代わりにフレデリックの太腿を弄って試験管を奪う。それをカソックの上でぶちまけ、右胸から肩にかけて濃硫酸を浴びせた。


「うっ……あああああああああああああ!」


 フレデリックが激痛に叫ぶ。微かな異臭が鼻を突いた。


「グウィード!」


 アンが呼ぶ。グウィードが振り返った一瞬の隙に、神父は体の下から抜け出した。


「あっ、待て!」


「グウィード!」


 逃げる神父。

 後を追おうと立ち上がったグウィードをメイドが再度呼び止めた。怒りに駆られた横顔に縋る。


「だめ、行かないで! ヴィズが、ヴィズが……! お願い、ヴィズを見捨てないでちょうだい……っ!」


 逃走する後姿とぐったりした運転手を見比べる。グウィードは悔しさから悪態を吐き、それでもヴィスベットの元に戻った。

 アンが泣きそうな顔で彼の視線からヴィズの体を庇った。


「かなり酷い怪我を負っているのよ。足の骨折は特に酷くて、動くこともできないと思うわ。硫酸もすぐに洗い流さないと――」

「ちょっと退いてろ」


 グウィードは上着を脱いでヴィズの体に掛けた。細心の注意を払って抱き上げる。それでも僅かな振動で激痛が走り、ヴィズは声にもならない喘ぎを漏らした。メイドが上着を整え、彼女の視界を覆った。


「どこか安全な所まで行けるかしら……」

「行くしかない。この際だ、手段は選んでられないな。その辺の車を奪おう」


 その時、渋滞の合間を縫うようにして赤い車体が飛び出してきた。

 立ち尽くす二人に気付いて数メートル先で停車する。窓から顔を出したのは黒髪の日本人だった。


「グウィード! アン!」

「主任!」


 トレンチコートが降りて来る。

 椿姫つばき主任は二人の顔を交互に見、それからグウィードの腕に抱かれたヴィズを見た。傍目にも酷いその有様に思わず顔が歪む。


「なんであんたがここに?」

「ちょうど今出張から戻って来たんだ。一体何が起こったんだい? ヴィズはどうして――」

「説明してる暇はないんだ。急いでヴィズを手当てしないと、このままじゃ命も危ない。車を出してくれ」


 主任は頷いた。

 三人は車に乗り込んだ。すぐに発車。大事故の名残を横目に道路を駆ける。

 椿姫はハンドルに手を掛けたままバックミラーの部下を見た。


「何があったんだい? 順を追って全部話しな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る