4-21 もう一人の味方

 メイドと神官は北へ向かって人気のない道を走り抜けていた。

 この区域は別荘区と呼ばれているが、冬の終わりの閑散期には当然利用客も殆どいない。伝統的な建築様式を再現していたとしても、整然と家々が立ち並ぶその景色はどこか冷たく、逃亡者たちを庇護することもなく見下ろしていた。


「きゃっ」


 前を行くアンが躓いてよろめく。セメイルはサッとその腕を掴み、彼女を支えた。

 解けた黒髪がうなじから垂れ、メイドの横顔を覆う。常にひっつめてホワイトブリムの下に隠しているには勿体ないほど、綺麗な髪だった。


「大丈夫ですか?」

「はい……さっき飛び降りた時に足を捻ったみたいで。でも、それくらいで済んでよかったわ。神官様は? お怪我は大丈夫ですか?」

「はい、私は。すみません、何の関係もないはずのあなた方を巻き込んでしまって……」

「あら、そんなの神官様が気にすることではありませんわ。それに、うちの社員はみんなタフなんです。これくらい日常茶飯事ですよ」


 アンは髪を掻き上げ、にっこりと笑ってみせた。水色の瞳が筋のように細くなる。釣られてセメイルも微笑みを返したが、彼女が不安げに後方を振り返るのを見逃しはしなかった。


「ううん……このまま道なりに行くと橋の方へ行ってしまうわ。どうしましょうか。一旦市街地に入るしかないかしら? でも、この姿じゃ人目に付くわね……」

「すみません……」

「やだ、神官様のせいじゃありませんから! ただちょっと、ボロボロすぎるかなって」

「そう、ですね……」


 神官は所々破れたり裂けてしまった僧衣を体に巻き付け、露出した肌を恥らうように隠した。対するアンは髪を一つに結い直し、汚れたエプロンを脱ぎ捨てる。


「立ち止まってごめんなさい。今は走るしかないのよね。本当はもう一人くらい、私たちを助けてくれる人がいたら嬉しいんだけど……」


 ヴァチカン教会という敵を前にして、自分たちはあまりに非力すぎるとアンは思った。個々人は決して無力ではない。しかし、組織の規模が違いすぎるし、社長が彼らを売ったとなれば、茨野商会がこの先も組織として機能していられるとは思えなかった。

 自分の同僚たちさえ無条件に信用できないなんて。かつて茨野商会が乗り越えてきたどんな試練より辛い状況だ。


 その時、まるで彼女の呼び掛けに応えるかのように、通りの向こうから二人を呼ぶ声があった。ハッとして顔を上げる。小さな灰色の人影が、懸命に手を振りながらこちらに向かって走って来た。


「あなたは……テレシア!」


 黒髪の少女が二人の前で立ち止まり、ハァハァと荒い息を吐く。メイドが神官を庇うように進み出たことに気付きもせずに、テレシア・メイフィールドは眉を下げて微笑んだ。


「よかった、探したんですよ。町にいなかったから、一体どこに行ってしまったんだろうって……」

「私たちを探してたですって? 誰の差し金で?」


 メイドの目は敵意も露わに少女を睨んでいる。神官は不思議そうにそのやり取りを見守っていた。


「誰って……エアロンさんです。広場で他の人たちとも逸れてしまったし、あちこち探し回っていたんです。そしたら、さっきやっとエアロンさんを見つけて。自分は捕まえなきゃいけない人がいるから、代わりに神官様を探して来てくれって言われました」

「エアロンが……? ねぇ、サイモン社長はどこにいるの? 彼には会ってないの?」

「はい。ウズベラ宮にいらっしゃるとは思うのですが、あそこは今厳重警備に入っていて、私じゃ中に入れてもらえなかったので……」


 年上の女の冷たい問い掛けにテレシアは泣きそうな顔で視線を落とした。長いポニーテールが肩から垂れ、すっかり悄気てしまった彼女の心境を雄弁に物語っていた。

 それがなんだか可哀相に思え、アンは自らの態度を恥じた。


「ごめんなさい、テレシア。私たち今人に追われているものだから、つい警戒してしまったの。えっと、私のことはわかるかしら?」

「あ、はい! アンさんですよね。エアロンさんの、メイドさん」


 テレシアはにっこり笑った。


「神官様とは初めてじゃないのね?」

「はい。何度かご一緒させていただいたことはありますが、お話しするのは――」

「初めまして、ですね。よろしくお願いします、テレシアさん」


 三人は形式ばかりの顔合わせを済ませた。


「ねぇ、テレシア。あなた、エアロンがどこにいるか知ってるの?」

「大体はわかります。きっとそこから少しは移動してらっしゃると思いますが、近くに行けばわかるんじゃないかと……」

「わかったわ。案内してちょうだい、テレシア。できるだけ急いで」

「はい! それじゃあ、付いて来てください」


 メイドがドレスの裾を絡げる。二人は先導する華奢な後姿を追って再び走り出した。


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