4-17 裏切り

 戦況ははっきり言って好ましくない。

 グウィードは痛む腹を庇いながら、横目で前方のセメイルを見た。

 向けられた銃口に戸惑いを隠せず、神官は呆然と近衛部隊長を見つめ返している。耳の出血が首を伝って僧衣を汚すが、その痛みすらセメイルの注意からは消えていた。


「タウォード……?」


 囁いた問い掛けは、返答も待たずに漂い消えた。


「やれやれ。随分と遅いじゃあないですか。待ち草臥れて、あなたの代わりに殺るところでしたよ、隊長殿」


 タウォード・スベルディスは標的から目を逸らさずに神父に答えた。


「悪いな。部下の指示に手間取った。お前たちを見付けるのもかなり苦労したんだ」

「そうでしょうねぇ。こんな入り組んだ町です。怖気付いて逃げ出したかとも疑いましたが、今回は仕方がないですね」


 フレデリック神父は肩を竦めると、愉快そうに神官の横顔を眺めた。


「悪いな、セメイル。これが教皇聖下が用意した、神官の最期なんだよ」

「どういうことです……?」


 タウォードは濁った瞳で神官を見ている。


「犠牲ってのは結託を生む。古の救世主だってそうして人々の信仰を勝ち取ったんだ。彼の御方の受難の下にヴァチカン教会は始まった。語弊はあるが、まぁそういうことだ」


 それはつまり。

 セメイルは変色した右手を握り締めた。


「私に、殉教しろと仰るのですか……?」


 漆黒の瞳が穏やかに緩み。

 タウォード・スベルディスは優しくにっこりと、微笑んだ。


「その通りだ、セメイル。だってお前は聖人だろ? 聖人ってのは殉死してこそ完成されるものだから、やっぱり悲劇の下に死んでもらわないと。問題ない。福音書に勝るとも劣らない立派な最期を執筆してもらえるさ」


 神官セメイルは掠れた声で問う。


「それが、教会の決定だと」

「そうだ」

「でも、でもあなたは……!」


 ――決して私を裏切らないと、思っていたのに。

 言葉にならない最後の叫びから、タウォードは目を逸らした。


「ら……ラスイルは……? 妹はどうなるんです? 彼女は……!」


 セメイルが縋る。隊長の薄ら笑いが一瞬たじろいだように見えた。


「大丈夫だ、セメイル。最後まで、俺が守るよ」


 それが何を意味するのか。

 今にも泣き出しそうな裏切者の顔が、セメイルに本当に独りぼっちなのだということを物語っていた。


「そういう……ことですか……」


 人工の聖人はがっくりと膝を付き、両手に顔を埋めた。銃口が真っ直ぐその脳天に当てられる。


「馬鹿っ、逃げろ!」


 銃声と同時に神官を突き飛ばす。グウィードは弾丸が掠った頬を拭い、倒れ込んだセメイルを無理矢理立ち上がらせた。


「お前、それでいいのかよ! 殉教だか妹だか、事情はよく知らないが、教会が決めたことだったら自分の命まで投げ出すってのか?」


 セメイルは顔を覆ったまま震える声で答えた。


「だって、私は『神官』なんです……」

「だからなんだってんだ!」

「おおっと、部外者は黙っててくれませんか、グウィードさん? 神官様はそれでいいと言っているんです。大人しく犬死させてあげてくださいよぉ……」


 上品な顔を下品に歪めて、フレデリック神父が笑っている。グウィードは背後にセメイルを庇い、教会の暗殺者たちに対峙した。

 タウォード・スベルディスがショルダーホルスターから拳銃を一丁抜き、並ぶ神父に投げ渡す。フレデリックは片手で受け取って安全装置を外した。


「二対二……いや、一ですか。せいぜい足掻いてご覧なさい」

「セメイルは俺が仕留める。お前は手を出すなよ」


 タウォードが言う。


「仕方ないですねぇ。では、私は害獣駆除を」


「――ざぁんねん、二対二だよ。僕のことを忘れてもらっちゃ困るね」


 ひらりと長い影が落ち、相棒の横に着地する。

 エアロンが参戦した。


「神官なんかいいからさ、決着を付けよう、スベルディス。お前には沢山借りがあるから、一度蹴り飛ばさないと気が済まないんだよね」


 鉛色が光る。迎え撃つ黒は皮肉な笑みを浮かべた。


「だってよ、フレデリック」

「おやまあ。せっかく私が捕まえて差し上げたのに、隊長殿はまーた逃がしたんですか? 本当に無能な人だ……いいでしょう、神官は生け捕りに。そちらは任せましたよ」


 エアロンはグウィードに体を寄せると、敵二人を睨んだまま小声で相棒に囁いた。


「……グウィード、神官を連れて外周に出るんだ。ヴィズが車で迎えに来る。事が済んだら〈館〉か……〈館〉が無理そうなら、橋で落ち合おう」


 橋――グウィードがちらりとエアロンを見る。

 相棒は頷いた。


「いくぞ!」


 グウィードは神官の腕を掴み、矢のように走り出した。

 黒のカソックがすかさず後を追う。はためくストラをやり過ごして、護るように立ちはだかるは鉛色の青年。


 鬼ごっこはお終いだ。

 次は鬼退治をしようじゃないか。

 エアロンはベルトの後ろからハンドガンを抜き払い、銃口を真っ直ぐスベルディスに向けた。顔の横で人差し指を二度、折り曲げる。


「おいで、スベルディス。僕と遊ぼう」

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