4-6 晩餐会に訪れた客

 その晩。


 茨野商会の副主任エアロンは、サイモン・ノヴェル、テレシア・メイフィールドと共にウズベラ宮の大会議室にて席に着いていた。この小さな宮殿は会議やコンサートに使われる公共施設となっている。装飾の乏しい外装に反し、内装は豪華絢爛。ここ大会議室も巨大な絵画で四方を囲まれ、神話をモチーフにした彫像が柱のように並んでいた。


 エアロンは会食が始まるのを待ちながら、今彼らを取り巻いている不可解な状況について考えを巡らせていた。

 社長の出馬――サイモンは会社に与える影響について、本当に隅々まで検討したのだろうか。メリットばかりに注意を逸らせ、リスクについてはわざと伏せようとしているように思えてならないのだ。対立候補はサイモンの素性について細かく調べてくるだろうし、茨野商会のことが明るみに出過ぎてしまう恐れがある。

 グウィードがもたらした「神官セメイルに瓜二つの女性がこの町にいる」という報告。あれほど特異な容姿の持ち主にたまたま酷似した無関係な他人がいるわけがない。その女が神官と何らかの関わりを持っているのはまず間違いないだろう。もしかして、セメイル本人もこの町に来ているのか?


 そして。エアロンは隣に座る若い娘のことを考えた。

 瓜二つの他人と言えば、テレシアもそうだ。彼女は本当にメルジューヌに生き写しで――いや、このことを考えるのはもうよそう。見た目がどれほど似ていようとも、無垢で素直なテレシアが人殺しだとは思えない。


 会議室の扉が開き、数人の男女が部屋に入って来た。それに合わせて一同が立ち上がる。

 先頭を切るのは、歳は四十もいっていないだろうか、随分と若く見える吊り目の女性。グレーのスーツを颯爽と着こなし、焦げ茶の瞳によく映える同色の眼鏡を掛けている。髪は肩までのボブヘアー。濃いブロンドの髪だった。


「お待たせして申し訳ありません。汽車が少々遅れまして」


 女はスタスタとサイモンに近付くと、片手を差し出して微笑んだ。


「初めまして。私がケートヒェン・バンベールです。どうぞよろしく」

「初めまして、バンベールさん。サイモン・ノヴェルです。もう一人の候補者が女性だとは聞いておりましたが、失礼ながら、まさかこんなにお若い方だとは思いませんでした」

「こちらこそ。余所からの候補者と聞いていたものですから、てっきりリタイア後の富豪でも来るのかと。あなたのようにお若い方がこんな地方都市に、なぜ?」


 試すようなケートヒェンの眼差しには彼女の怜悧さが窺える。サイモンはわざとらしいほど穏やかな微笑で目を伏せた。


「人が惹かれる理由など、他人にはわかり得ないものでしょう。今は敵同士とはいえ、これから何度も顔を合わせることになるのです。どうぞお気軽にサイモンとお呼びください」

「では、私のこともケートヒェンと。正々堂々戦いましょう、サイモン」


 二人の候補者はしっかりと互いの手を握り、秘めた敵意をぶつけ合った。

 着席した一同の前にスーツ姿の中年男性が進み出る。禿げあがった頭皮に脂汗が滲み、男はかなり緊張しているようだった。


「えぇーっと、オホン。皆様お揃いですね。えー、今回の選挙管理委員長を務めさせていただきます、オットー・ハイエルでございます。ええー、本日は関係者同士の顔合わせということで――」

「オットー、難しい挨拶は不要です。私たちもお互い忙しい身ですから、簡潔に進めましょう。候補者同士の挨拶はもう済みました」


 ケートヒェンは眼鏡を押し上げると横目で選挙管理委員長を睨んだ。ハイエルが縮み上がる。


「え、ええ。はい。そうですね。えー、それではお食事を――」


 わざわざ駆り出された町の女性たちがワゴンを押してやって来る。

 それぞれの目の前に食器が並べられ温かいスープが注がれるが、エアロンはすでに興味を失っていた。今彼の頭の中にあるのは、自室の机に山と積まれた報告書のことだけだった。


 と、そこへまた一人男性が駆け込んで来た。慌てた様子でハイエルに耳打ちし、それを聞いた彼も目を見開いて冷や汗を掻く。二人がそのまま出て行ってしまったため、一同は訳もわからないままスープ皿を前にお預けを食らうこととなった。


「何があったんでしょうか……?」


 こうした会食に慣れていないテレシアは不安そうにサイモンを見た。サイモン・ノヴェルは黙ったまま唇に指を当て、彼女に沈黙を促している。

 やがて見るに堪えない量の汗を掻いた選挙管理委員長が部屋に戻って来た。ハイエルは額とも頭部ともつかぬ部分を頻りに拭い、上がった呼吸を押し殺して言った。


「え、ええと、突然ですが、ヴァチカン教会の方々がお見えになりました。えー、皆様にお話しがあるとのことなので、食事会は一時中断といたしまして――」

「何?」

「ヴァチカンだって?」


 会場がざわめく。


 そして、白の神官が姿を現した。

 あまりに唐突だった。現実味を欠いていた。

 神官セメイルは臆することなく一同の前に歩を進める。


「初めまして、皆様。お食事中にお邪魔してしまい申し訳ございません」


 深紅の瞳がゆっくりと全員を見回す。


「わたくし、ヴァチカン教会で神官の役目を仰せ付かっております、セメイルと申します。町長選という大変な時期の訪問お許しください。この度は、ここエルブールに新たな教会を建設したいという教皇庁の意向の下、まずは皆様にご挨拶に伺いました」


 セメイルの瞳がエアロンを捉えた。視線が重なり合ったのは僅か一瞬。神官は穏やかな笑みを湛えたまま何の反応も示さずに、また次の人物へと目を向ける。

 簡素な白の僧衣を纏った神官は、かつてサンドーベで見た時よりもげっそりと痩せてしまったようだった。元から華奢な体が更に細くなっている。類稀な美しさは顕在であったが、彼の抱えた闇を垣間見たエアロンにとっては、それはもう悍ましさ以外の何物にも思えない。


 今回の訪問は公表していないのか、連れている護衛は四人しかいなかった。

 入室と共に出入り口脇に控えた濃紺制服の衛兵二人。そして、神官の背後にぴったりと付いているのが二人。片方はもちろん見覚えがある。特徴的な灰色の長髪をベレー帽に押し込めたあの青年は、神官セメイルの近衛部隊長、タウォード・スベルディスだ。当然エアロンの存在には気付いているのだろうが、なぜかこちらを見ようともしない。

 そしてもう一人、エアロンが特に注目したのは、タウォードの隣に立つ金髪の男だった。

 その男はスイス・ガーズではないらしく、一般的な黒のカソックを着用している。すらりとした長身と端正な顔立ちは目を引いたが、それ以上に注目を集めるのは服飾品だ。カソックの袖には赤いレースが見え隠れし、ハイヒールのブーツを履いている。耳や目の周りには埋め込まれたピアスが光る。派手な装いは清貧を心掛けるべき聖職者には到底見えず、神官のお付には相応しくない人物だった。


「神官セメイル様。御目文字叶って光栄ですわ」


 ケートヒェンが席を立つ。神官は差し出された手を握ることもなく、白いグローブの両手を重ね合せていた。


「ケートヒェン・バンベールさんですね。ストラスブールの孤児院であなたがなさった慈善事業については伺っております。教会を代表してあなたの慈悲深い行いに御礼申し上げます」

「まぁ! あ、ありがとうございます。子供たちが健やかに暮らせるよう手を差し伸べるのは、人として当然のことですわ」


 神官に微笑み掛けられてケートヒェンは赤面する。それを見て思わずエアロンは鼻を鳴らしそうになった。


「失礼。すまないが、一度これを下げてくれないか。神官様のお話を伺いましょう」


 サイモンの一声で神官に見とれていた給仕係が動き出す。彼女たちは慌ただしくスープ皿を回収すると、衛兵たちに部屋から閉め出された。


「ノヴェルさん、ありがとうございます。ああ、いえ、席は用意していただかなくて結構です。ご挨拶だけで我々はすぐにお暇いたしますので」


 神官は選挙管理委員長に丁重な断りを入れると、改めて一同に向き直った。会場内に緊張が走る。彼は話し始めた。


「昨年の事件で被害に遭われた方々について、まずはお悔やみを申し上げます。あの凄惨な事件につきましては心を痛めるばかりですが、エルブールはあの悲劇を乗り越え、今後更に力強く発展していくことと願っております」


 彼が恭しく首を垂れると、エアロンとサイモンを除く全員がぎこちなく会釈を返した。


「この度ヴァチカン教皇庁では、信徒の方々の強い要望を受け、この地に新たな教会を建設することといたしました。エルブールのヴァチカン教会は宗教改革の後に取り壊されてしまったと伺っています。その土地を改めて買い取り、教会を再建したいと考えております」

「教会跡地……居住区にあるあの空き地ですか?」


 ケートヒェンが控えめに口を挟む。神官が頷いた。


「そうです。わたくしも車窓より拝見したまでですが、現在は遺構が散見される荒れ地となっているようですね。あの場所の所有権は町が持っており、まだ誰の手にも渡っていないと聞きましたが?」

「え、ええ」


 セメイルはにっこりと微笑んだ。


「再建には大々的な工事が必要となりますので、近隣の皆様には多大なご迷惑をお掛けしてしまうことでしょう。ですが、教会の建設は一度悲しみに沈んだこの町に安らぎをもたらすものと確信しております。皆様には我々の意志をご理解いただき、ご支援いただければ幸いです」


 一同は不揃いに頭を下げる。セメイルはちらりと時計を見上げ、それから再び笑顔を繕って言った。


「簡単なご挨拶となってしまいましたが、建設計画などは町連絡を密にして進めていきたいと考えております。本件に関して何か質問等の御用がありましたら、こちらの――」


 セメイルは背後に控える二人を指し示した。


「タウォード・スベルディス隊長、またはフレデリック神父のどちらかを通してご連絡ください。それでは、これにて失礼させて頂きます」


 神官の礼に合わせて、一同が立ち上がる。衛兵たちに先導されて神官セメイルは部屋を出て行った。

 扉を見つめたまま沈黙が続く中、サイモン・ノヴェルが手を叩く。


「皆さん、食事会を再開しましょう。あまり夜が更けぬうちに」


 止まった時間が動き出す。待機していた町の女たちが給仕に入って来るが、提供された濃厚な肉料理は完全に冷め切っていた。


 思案気に宙を睨んだエアロンは、その料理の味も覚えてはいない。


***


 エアロンが〈館〉の自室に戻って来た時には、時計は零時を回っていた。今日彼の前に現れた人々、目まぐるしく変わる状況、そのすべてに心底疲れ切っていた。

 メイドのアンが彼を出迎え、スーツを脱ぐのを手伝った。


「町長選ってだけでも厄介なのに、このタイミングで神官だって?」


 ネクタイを緩めながらエアロンが呟く。アンは吊るしたジャケットにブラシを掛けていた。


「ヴァチカン教会の? 巷ではかなりの人気を集めているそうね」

「見た目だけは美人だからねぇ……アンはヴァチカン教徒じゃないんだ?」

「昔はね。でも、この会社に勤めるようになってから信仰は持たなくなったわ」


 そこへグウィードが訪れた。


「よう、お疲れ」

「グウィード、やっぱり神官が現れたよ。スベルディスも一緒だ」

「偽物?」


 グウィードはベッドの端に控えめに腰掛けた。


「いや、本人だった。あと、気になる男がもう一人……随分とパンクな服装をした神父が一緒だったね」

「何しに来たんだ?どうやって俺たちの居場所を突き止めた?」

「わからない……偶然かもよ? エルブールには教会建設の挨拶に来たんだって」


 すかさずアンが否定する。


「それは嘘よ。そういうことは神官の仕事じゃないでしょう? この辺りにだって担当の司教様がいるはずよ」

「――ってことは、好好がうっかり口を滑らせたか」


 エアロンはどっかりソファに腰を下ろしながら、グウィードに向かって手を差し出した。


「アイマスク取って」

「は? 寝るんじゃないのか?」

「寝るよ。だから使うんだ」

「違う。ベッドに横にならないのかって言ってるんだ」

「仮眠を取るんだよ。三十分後に起こして」


 グウィードは渋々アイマスクを手渡した。エアロンは座面に身を投げ出しながらそれを着用し、ブランケットで体を覆う。アンが彼の髪に触れた。


「だめよ、エアロン。今日はしっかり休んだ方がいいわ。とっても疲れてるように見えるもの」

「そうだぞ。色々あり過ぎた一日だったし、よく眠れないって言ってただろ」

「うるさいな。仕事が溜まってるんだ。そんな暇ない」


 アンが叱るように腰に手を突く。


「過労死したらどうするの。明日からもっと忙しくなるんだし――」

「僕が過労で倒れたことなんてあった? いいから寝かせてよ」

「何度もあったわ。私だって寝かせたいのよ。だから、ベッドで寝なさい」

「なあ、無理は禁物だって言ってるだろ。いい加減にしないと無理矢理運ぶぞ」


 アンとグウィードが交互に彼を止めようとするも、エアロンは全て無視した。アイマスクの上から腕をきつく押し付ける。終いには苛々した口調で二人を跳ね除けた。


「僕に命令する権限がどこにあるんだ? アン、三十分後に紅茶。グウィードは三十分そこにいろ。必ず起こせ」

「……わかったわ」


 アンが項垂れて部屋を出て行く。

 程なくして、エアロンの呼吸が規則正しく整った。

 グウィードは胡坐を掻いてベッドの端に座ったまま、三十分間言われた通りそこにいた。不思議なことに、この三十分でエアロンがうなされることはないようだった。夢も見ず、儚い睡眠を貪るように摂る。その寝顔をずっと見ていた。


 グウィードは相棒が眠っている三十分間、悪夢から彼を護っていた。

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