4-5 グウィードの町案内
グウィードの案内はざっくりしていたが、テレシアにはむしろそれがわかりやすかった。
北西の営業所を出発し、大きな通りを梯子して市街地まで南下する。途中、駅前の観光案内所で地図を貰い、二人でそれを覗き込んだ。
「エルブールはおよそ三つの地区に分かれている」
緑と橙で色分けされた地図の上をグウィードの浅黒い指がなぞる。
「中央駅から南下する目利き通り周辺の商業区。さっきまで俺たちがいた北半分の居住区。西側に広がるのが別荘区だ。庁舎やウズベラ宮は商業区にあるから、主に用があるとしたらこの辺だな」
「ウズベラ宮?」
「広場の前にある古い宮殿だ。見た目はただの四角くてでかい建物だけどな。エルブールで何かあるっていうと必ずここが使われる。たぶん、選挙とかもここを使うぞ」
テレシアは場所を覚えようと熱心だ。
「なるほど。覚えておきます」
「一番広いのは居住区だが、まず用はない。本当に民家と公園くらいしかないからな。営業所の場所だけ覚えておけばいい」
と、グウィードは山際の一点を指差す。
「で、俺たちが今いる駅は大体中央の――ここ」
「うーん……商業区と別荘区は地図があれば大丈夫そうですが、居住区は随分と入り組んでいますね……」
「まあな。エルブールは山に挟まれた町だから、北と南では高低差が大きいんだ。特に居住区は坂も多いし変な裏道も沢山ある。迷いたくなければ独りで行くなよ。商業区は大通りを伝って行けば案内標識も出てるし、そこまで迷うことはないと思う」
「……私、ちょっと自信がなくなってきました」
項垂れる主人に合わせて長い髪の房が肩に垂れる。
「普段は社長と一緒に行動するんだろ?」
「そのはずなんですけど……」
「じゃあ問題ないだろ」
斯く言うグウィードは方向音痴とは無縁らしい。テレシアは肩を縮めて地図の向こうに顔を隠した。
二人は目利き通りを南下し、途中で西に逸れて別荘区へ向かった。この辺りはきちんと区画整理がされており、碁盤目状に道が通っている。道も乗り物が通れる広さを確保されていた。
「別荘区の地図は後でエアロンにもらえよ。俺はどれが誰の家かなんて知らないしな」
「わかりました」
「あと案内すべき所は……橋、か――」
ぼそりと一人呟いて、グウィードは不安そうにテレシアを見遣る。
やはり彼の目から見ても、テレシアはメルジューヌ・リジュニャンに瓜二つと言わざるを得ない。その彼女を『あの』橋に連れて行くというのは、なんとなく気が進まないのであった。
あの吊り橋からエアロンとメルジューヌは落ちたのだ。その時二人の間でどんなやり取りが為されたのか、グウィードは知らない。急いで駆け付けてなんとかエアロンだけは救出できたけれど、メルジューヌは――……。
「あれ……?」
なんだろう。何かがおかしいと立ち止まった彼を淡い藤色の瞳が不思議そうに覗き込んだ。
「グウィードさん?」
「あ……悪い」
見間違いだ。気のせいだ。
だって、そんなことはあり得ないのだから。
グウィードは気を取り直して説明を続けた。
「町の境界に沿って川が流れているのは来る時に見えたろ? エルブールに入るには絶対に川を渡らないといけないんだが、車両が通れる鉄橋ともう一つ、徒歩専用の古い吊り橋がある」
「そこに行くんですか?」
「ああ。吊り橋を渡ってすぐに山を降りるためのバス停があるから、一応知っておいた方がいいだろうしな」
二人は北上し、吊橋に向かって歩き出した。
この二時間余りの間に、グウィードとテレシアは大分打ち解けた仲になっていた。人懐こいテレシアはグウィードの凶悪な外見にもすぐに慣れたようで、初めて見る山間の風景に終始目を輝かせていた。聞けば、彼女の家は教育が厳しく、滅多に外を歩かせてもらえなかったのだと言う。
「人生でこんなに遠出したのは初めてかもしれません」
テレシアは川岸にめり込むように造られた建物群を興味深そうに見下ろし、ぽつりと呟いた。今でも町の外周に散見される、岩肌と木材を絶妙なバランスで組み合わせた建築は、遥か昔に鉱山で栄えたこの地域ならではの特殊な技法となっている。
「親に連れてってもらったりはしなかったのか?」
「はい。父は仕事熱心な人で、職場を離れることができないんです。母は幼い頃に亡くなりましたし……」
渓谷が近付くにつれて並木を抜ける水の音が大きくなる。グウィードは苔生した石段を先に立って下りた。
「滑るから気を付けろよ」
「はい」
気温が一気に下がった。水音と共に風が刺すように吹き抜けて行き、思わず身を縮めて立ち止まる。コートの前を掻き合わせるテレシアに、グウィードが心配そうに振り返った。
「大丈夫か?」
「は、はい……やっぱり山は冷えますね」
「位置だけ確認したらすぐ帰ろう」
突如開けた眼下には、銀雪の峰々とは対照的に、ぽっかりと暗い谷が横たわっていた。水の音は増々大きくなり、声を張り上げなければ隣人の声も聞こえない。荒削りの岩肌が所々顔を出す急流は豊富な水量を保っていた。そして、崩れかけた看板の向こうに、その橋はあった。
「あれがその吊り橋な」
グウィードが指差した。
人が二人並んで通れるか通れないかくらいの、古い小さな橋だった。車や鉄道を利用する人が増え、今ではこの橋は殆ど使われていないのだろう。この橋を使う者の多くはトレッキング目的の観光客か、バスを利用する地元住民だけだったが、それも冬の間はめっきり減っている。
「街灯もないからな。夜は絶対に通るなよ。落ちたら一溜まりもない」
「わぁ……気を付けます……」
テレシアは自然が生み出す造形美に暫し心を奪われていた。渓谷を見つめるその横顔は美しい。しかし、前髪の陰になった双眸からは何の表情も窺えなかった。グウィードもまた、複雑な胸中を表現する術を知らず、ただ反響する川の音を聞いていた。
暫くの沈黙の後、テレシアがグウィードを見上げて言った。
「あの、もう少し近くに行ってみてもいいですか? 川を覗いてみたいんです」
「え。それは別にかまわないが……寒いんじゃないのか?」
「大丈夫です」
テレシアはぐっと気を引き締め、渓谷沿いを橋に向かって歩き出した。その小道には町中で見なかった残雪が散見される。
と、テレシアは看板から数メートルの所で足を止めた。
「どうした?」
グウィードが後ろから声を掛ける。
テレシアが立ち止まったのは、橋の反対側から人が渡って来ていたからだった。
人が通るなんて珍しい。グウィードはぼんやりとその姿を目で追った。
その人物は雪のように白いコートを着ていた。ファー付きのフードを被っているため顔立ちは分からないが、すらりとしたシルエットは背後の雪山が妙に似合う。まるで雪の世界から生まれ出でたかのような印象を受けた。
二人の視線に気が付いたのか、橋を渡りきったその人物が足を止めた。コートのポケットに両手を突っ込んだまま、僅かに体をこちらに向けて。灰色の毛皮越しにガーネットが光る。
グウィードは思わず息を呑んだ。
「お、お前は……!」
薄っすらと血管の透けた素肌に、シルクのような色のない髪。
柔らかい色味で浮かび上がる唇とその眼差しは。
脳裏をサンドーベの記憶が駆け巡り、地下墓所の一幕が展開された。
「神官セメイル……!」
その名に反応して相手が素早く身構える。白いコートが翻った。
「えっ?」
テレシアがぽかんと口を開けて振り返った。
神官は敵意を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。例のグローブは填めていないが、背中に回した右手は明らかに何か武器を握っているようだ。
テレシアを前に一戦交えるか、とにかく先に身を隠すか――しかし、グウィードは動けなかった。だらりと両手を下げたまま、彼が注視していたのは相手の胸囲だった。襟巻の下でU字に大きく開いた胸元。僅かに見えている張りのある双丘は。
「お前、やっぱり女だったのか……!」
「えっ?!」
驚愕に目を見開くグウィード。理解できずに左右の男女を見比べるテレシア。
神官らしき女は赤面して胸元を隠し、踵を返して逃げ去って行った。
あっという間の出来事だった。状況が呑み込めないテレシアが走り去る女の後姿を見、その姿が見えなくなるとグウィードのもとへ駆け寄って来た。
「あの、グウィードさん。今のはもしかして……?」
「ああ……ヴァチカン教会の神官だ」
「でも、神官様って男性だって――」
「俺だってそう思ってたけど……」
いや、違う。
自分が地下墓所で捻り上げた人間は、あの肉の硬さは、華奢ではあれど確かに男性のものだった。
『ご安心ください。『神官』はちゃんと広場にいますよ』
ふいに脳裏の神官が、にっこりと彼に笑い掛ける。
「……そうか、あれが影武者か……」
グウィードは目頭を押さえ、指の隙間から女が消えた道の先を見つめた。
神官の影武者がここに来ているということは。
「テレシア、悪いが俺は先に会社に戻るわ」
「どうかされたんですか?」
「おう……ちょっとエアロンに会ってくる」
そう言い残し、グウィードも町へ走って行った。
静けさの中に水の音が木霊する。
テレシア・メイフィールドは吊り橋に歩みを進めると、欄干から身を乗り出した。
激流は轟音と共に淡々と谷間を流れて行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます