3-16 帰還
サンド―べからいくらか離れた別の街で、コート姿の青年が車窓を覗き込んでいた。足元には灰色の巨大な犬が寄り添い、尻尾を振ることもなく車体を見上げている。
「送ってくださってありがとうございます。ちょうど次の汽車に乗れそうです」
「本当にエルブールには来ないのか? アンも好好に会いたがってたぞ」
と、助手席のグウィード。好好は眉を下げた。
「アンにも椿姫主任にも、会いたいのは山々なんですけどね。やっぱり調べ物が気になるので」
「その調べ物って、例の子供の行方不明事件でしょ? そんなに重大なこと?」
そう言うのはエアロンだ。彼は後部座席に長々と横になっている。
「ヴァチカン教会が確実に関与していることは掴めましたからね。これ以上手掛かりを揉み消されないうちに真相を明らかにしちゃいたいんです」
「ふーん……ま、この封筒はちゃんと主任に渡しておくよ」
「お願いします。それから、神官セメイルの〈浄化〉の秘密についても、私の代わりに説明してあげてください」
「ええ? いいけどさあ……」
エアロンは女上司の顔を思い浮かべて嫌な顔をする。同時に足に痛みが走ったのは何か関係があるのだろうか。痛がるエアロンを見て好好はクスクス笑った。
「エアロンはすぐに病院に行ってくださいね」
「くそー、絶対にヴァチカン教なんか信じないぞ……」
再びグウィードが言う。
「落ち着いたらまた連絡しろよ。また困ったことがあれば協力するから」
「有料でね」
「そこは友情に免じてまけてくださいよ」
三人は和やかに笑い合った。
「それでは、主任によろしくお伝えください」
「うん。好ちゃんも気を付けてね」
「またな、好好」
「ええ、また。ヴィズさんもありがとうございました」
「仕事ですので。その……お元気で」
ヴィスベットがエンジンを掛ける。好好と犬は一歩退いた。
車が滑らかに走り出す。
***
エルブールにて。
茨野商会の本拠地、通称〈館〉では美貌の日本人女性が暖炉の前で珈琲を啜っていた。そこにグウィードが入ってくる。彼は薄汚れた封筒を差し出した。
「これ、好好からだ」
「ありがとう、グウィード。エアロンは顔を見せないのかい?」
「あいつは負傷したからベッドで寝てるってさ」
「ふうん、あの子が言うと仮病臭いね」
「〈浄化〉について?」
椿姫は説明を求めてグウィードを見上げた。
「サンド―べでヴァチカン教の神官に会ったんだ。そこで俺たちは〈浄化〉の真相について知った。あれは奇蹟なんかじゃない」
グウィードは神官セメイルの〈浄化〉に纏わる恐ろしい真実を告げた。
〈浄化〉の絡繰りは神官が身に付けているグローブにあること。それが脳波を感知して衝撃波を放つ兵器であること。〈浄化〉とは則ち、対象の前頭葉を破壊する残虐な処刑方法であること。
椿姫は好好から託された資料に目を通しながら、彼の話に耳を傾けていた。
彼女の脳内で様々な情報が飛び交い、連結し、ある一つのストーリーを形作る。
初めの電磁波災害から十九年。
世界大戦を機に多くの信徒を失ったヴァチカン教会は、電磁波災害を『天の裁き』だと祀り立てる大衆の動きに翻弄されていた。教皇を神の代理人とし、地上の神そのものとして崇める彼の宗教では、超越存在が直接手を下す〈天の火〉は肯定しかねる危険な存在であった。
ヴァチカン教会は〈天の火〉を神の御業とは認めなかった。あくまでも自然災害として、利用する道は取らなかったのである。
代わりに教会が選んだ道。
それが、神官の登場だ。
――神官セメイル、〈浄化〉、脳波と連動した最新鋭の兵器。
――ベルモナ、観測された人体への被害、日本が被災した十六年前の電磁波災害。
――そして、エルブール。彼女自身も体験した強烈な頭痛。奇妙な装置。不審な集団。
「〈天の火〉を……応用している?」
少なくとも、神官セメイルの〈浄化〉については、それを発明した何者かが存在している。いつ〈天の火〉に被災するかもわからない現状で、それでも高い技術力を維持発展し続けられる程の。それは絶対に教会などではない。教会に『ソレ』をもたらした何者かが別にいるのだ。
椿姫はある疑惑を知っていた。そもそも彼女は、その疑惑を明らかにするために欧州へやって来たのだ。それが今、確信へ変わろうとしている。
けれど、肝心なことは未だ謎に包まれたままだ。
――一体誰が?
その正体を明らかにするまでは、調べ続けなければならない。
ふと、紙切れが落ちたことに気付く。好好の資料に同封されていたものだ。
「これは……」
思わず眉を吊り上げる。
どうやらあの詐欺師はとんでもないものを掘り当ててきたようだ。
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