3-15 vs タウォード・スベルディス
修道院、回廊。
エアロンは拳銃の引き金に指を掛けたまま、軍服姿の近衛隊長と対峙していた。
「タウォード・スベルディス……!」
エアロンはさも不機嫌そうに舌打ちした。
「よりによって隊長のお出ましか。神官様の護衛しなくていいの? 広場で暗殺されちゃっても知らないよ?」
「問題ない。兵の大半を向こうに付けているからな。お前たちの通信は傍受させてもらった。そのうちヴィズとかなんとかいう女が広場で騒ぎを起こすんだろ? 全部知ってる」
タウォードはせせら笑いながら、地面についた長い棒状の物体に体重を預けた。それは形から見て明らかに小銃なのだが、なぜか布を掛けている。そのあまりに余裕そうな態度にエアロンは苛立ちを募らせた。
「まさかお前らだけで脱獄するとはな。警備を薄くしすぎたな。〈狼〉を誘き出す餌にするつもりだったんだが……ま、その行動力だけは褒めてやるよ」
「あ? その偉そうな態度ムカつくね。ホントこいつ、嫌い」
「俺もお前が嫌いだよ。どうする? 降伏するか?」
「はぁ? するわけないだろ、バカ。お前こそ僕らを見逃してくれてもいいんじゃない? 僕はなんにも悪いことしてないし、〈浄化〉の秘密だって黙っててあげるよ。僕には関係ない話だしね」
「黙れ、犯罪者。お前みたいな胡散臭い野郎の口約束を信用するわけないだろ。大人しく縄につけよ。じゃないと無理矢理にでもひっ捕らえるしかない」
タウォードは手をついていた物体から布を剥がした。現れたのは予想通り小銃だ。磨き上げられたウォルナット材に黒い金属の銃身を持つ。しかし、それはエアロンが見知った小銃とは明らかに異なった部位を持っていた。銃身には握ることを想定された突起が垂れ、それと引き金の間に腰を据える湾曲した弾倉。
「げぇぇっ? 自動小銃か――……っ!」
エアロンは奇声と共に蒼褪める。近衛隊長は慣れた手付きでそれを構えた。
「何か?」
「はっ。ずいぶん金持ってるんだねぇ、教会ってのは!」
「まあな。羽振りのいい寄進者がバックに付いているんでね」
「冗談じゃない。こんな所でそんなもんぶっ放したら――」
「まぁ、酷いことになるな。お前らが」
近衛兵は涼しい顔で笑う。エアロンはキッと相手を睨みつけながら、必死で頭を回転させた。
「エアロン、どうするんです……?」
完全にエアロンの陰に隠れた
どうするもこうするも、ないだろう。
自動小銃相手にハンドガンで挑むのか。威力も弾数もあちらが勝り、ましてや連射速度という絶対的な優位を取られている。それに――エアロンは背後の偽神父を盗み見た――好好の足では絶対に逃げ切れない。
「僕が戦うしかないか」
エアロンは銃を構えた。
「む、無理ですよ! いくらあなたでもミンチ肉です!」
「わかってる。だから、好好は早く逃げるんだ。生きたまま捕まったら絶対に許さないからな。逃げ切るか自害するかのどっちかにしろよ」
「ひぃっ。そ、そんな無茶な……エアロン、降参しましょう。ここは大人しく捕まって、再度隙を見て逃げ出した方が――」
「おい、何をごちゃごちゃ言ってるんだ。降伏するならさっさとしろ。しないなら、俺は遠慮なく引き金を引くぞ。いいのか?」
タウォード・スベルディスは標的に狙いを定めた。エアロンはこめかみに冷や汗を浮かべながら、それでも不敵にニヤリと笑って見せた。
「撃ちたいなら撃てよ。っていうか、なんでさっさと撃たないわけ? 本当は撃てない理由でもあるんじゃないの?」
「そりゃあ、尋問して色々と聞きたいことがあるからさ。できる限り生きたまま捕まえてやるから安心しろ」
「安心できない、ねっ!」
立て続けに三度発砲し、エアロンは横跳びで柱の裏に逃げ込んだ。その足取りをアサルトライフルの弾丸が追う。同時に好好が汚れた神父服をたくし上げ、回廊を突っ切って礼拝堂の方へと消えた。
「意外と瞬発力はあるみたいだな」
一列に並ぶ柱の陰に身を潜め、エアロンは荒い息を吐いた。
回廊に立つタウォードからは柱が邪魔をして彼の姿は見えないだろう。あの銃の威力では石の柱は撃ち抜けない。一時の安息を得た彼の耳に相手の足音が聞こえた。
少しでも柱から頭を出そうものなら、銃弾が耳元を掠めて空を切る。逃げ道は一つ、真後ろしかない。エアロンは柱越しに何発か撃ち込み、即座に中庭を走り抜けた。枯れた草木を飛び越えて、井戸を回り込む。銃弾が弄ぶように彼を追い立てた。
向かいの回廊まであと少しのところで、鉛弾が右足を撃ち抜いた。もんどりうって身を翻したエアロンの手から拳銃が弾け飛ぶ。その衝撃で柱に頭と背中を強打した。
「うっ」
息を詰まらせる、次の瞬間には、タウォードの顔が目の前にあった。
銃口がエアロンの鳩尾に埋まる。肺の空気を叩き出された。
「がは……っ!」
「俺の勝ちだな」
長い髪の隙間から黒い瞳が勝ち誇った。
「どうした? 随分とあっけなかったじゃないか」
「うっさいな……僕は事務職なの。脳筋のお前らとは違うんだよ」
逆光になったスベルディスの顔を見上げ、エアロンは痛みに顔を顰めた。
嗚呼。
ここでは生きるか死ぬかの戦いをしているというのに、石壁の向こうの群衆はそんなこと知る由もない。太陽が、歓声が、あまりにも眩しくて目が眩む。
突然、遠くで響いていた歓声が止んだ。
奇妙な静けさと――続く、悲鳴。
何百、何千という人々が悲鳴を上げていた。
タウォードが一瞬気を取られ、視線を逸らす。エアロンはその隙を見逃しはしなかった。
相手の腕を掴み、片膝を勢いよく振り上げる。蹴り上げられた自動小銃が宙へ跳ね、タウォードの顔面を強かに打った。間髪入れずに奪い取った銃でこめかみを強打する。地面に突っ伏した相手の首筋を靴底で捕らえた。
「おっと、僕の勝ちだね?」
自動小銃の銃口が近衛隊長の後頭部に当てられる。エアロンは踏み付けた片足に体重を乗せながら満足げに笑った。
「うわっ、すっごいいい気分。悔しいでしょ、兵隊さん?」
「くそっ……やるならやれよ!」
タウォードが挑戦的に言う。しかし、エアロンはスッと目を細めただけで、引き金を引きはしなかった。
「どうした? その勇気もないのか?」
「……生憎、僕は兵士でもなければ処刑人でもないんでね」
脳裏に神官の姿を思い浮かべながら、エアロンはゆっくりを銃口を離した。
「僕らはこのままこの街を出て行く。僕の要求はそれを邪魔しないで見逃して欲しい、それだけだ」
「見逃す? 無理だな」
エアロンは再度銃口を後頭部に押し付けた。圧迫された骨が不吉な音を立てる。だが、スベルディスは屈しなかった。
「俺たちスイス・ガーズは教会に楯突く人間を許さない。お前らみたいな悪人は尚更だ」
エアロンは嬲るように更に体重を掛けた。
「それじゃ、それができないように関節全部砕いて動けなくしちゃおうかな? とりあえず、足は撃っていい? お前に撃たれたとこ物凄く痛いんだよね」
「やれよ。兵士の代わりなんていくらでもいるんだ。俺が死んでも、教会はお前たちを逃がさない――絶対にだ」
揺るがない瞳。エアロンは冷たく相手を見下ろした。
二人の沈黙を遮るように、回廊に衛兵が二人駆け込んできた。共に銃を携えており、片方は汚れたカソックを纏う神父を連行している。
「スベルディス隊長、報告いたします! 広場で騒動がありました。複数個所で煙が上がりましたが、火の手は確認できず――」
「隊長、たった今修道院の敷地内にて不審な神父を――」
衛兵たちは俯せに倒れた隊長と、彼に足を掛ける脱獄犯に気が付いた。すぐさま銃を構えるも、隊長を人質に取られているため身動きが取れない。タウォードは部下に下手な動きはしないように目で合図をした。
衛兵に拘束されたまま、
「えへへ。さすがですねぇ、エアロン」
「もーっ、好ちゃんったらまた捕まっちゃったの? いちいち助けに行くこっちの身にもなってよね!」
「いやぁ、お恥ずかしいですぅ」
その時、地下牢の入り口からまた一名現れた。
グウィードである。
「エアロン! 好好!」
「グウィード! なんでお前そんなとこから……って、うわっ、汚っ。お前汚っ」
エアロンが露骨に嫌そうな顔をする。グウィードは慌てて全身の塵を払った。
「う、うるさいっ。こっちだって色々あったんだよ! おい、例の資料は回収したぞ。さっさとずらかろう」
グウィードが封筒を掲げる。エアロンは
「さっすがわんわん。偉いぞ」
それから足元の捕虜に向き直る。
「さて、隊長さん。これで僕らの優勢が確立したね? 僕の提示した条件は呑んでもらえそう?」
「黙れ、くそ」
「グウィード、そこの兵隊さんたちを縛って転がしといて。僕は隊長さんを縛っとくから」
衛兵たちは抵抗の意を示したが、エアロンに踏まれた隊長の呻き声を聞くと大人しくなった。タウォード自身も手錠で自由を奪われ、他の二人と一緒に柱に縛られる。
エアロンは拾った拳銃をベルトに挟んで満足そうに腰に手を付いた。
「ふぅ。これで一件落着かな?」
「待てよ。おい、そこの〈狼〉、セメイルはどうした?」
グウィードは額を掻きながら答えた。
「神官か? 神官ならカタコンベに置いてきた。別に閉じ込めたわけじゃないから、そのうち自力で出て来ると思うけど」
「そうか」
タウォードがホッと溜息を吐く。続いて、彼はエアロンを見上げた。
「どうして俺たちを殺さない?」
「だから言ってるじゃん。僕たちはただの会社員だってば。放っておいてくれればそれでいいんだよ」
「……そうか」
彼がそれで納得したかどうかはわからない。だが、エアロンには心底どうでもいいことだった。
「よし、じゃあ帰ろうか。グウィード、好好、行くぞ」
三人のならず者は、拘束されたスイス・ガーズを放置して立ち去った。
彼らの姿が完全に修道院から消えた頃、地下牢の入り口から白い人影が現れる。
冬の太陽の光を浴びて。
色の無い青年は、眩しそうに目を細めた。
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