3-13 地下牢からの脱出

 エアロンと好好こうずくは足音に耳を澄まし、見張りの兵たちが定位置に付いたのを見届けた。


「グウィード、上手くやってくれますかね」

「どうかなぁ。ま、あれでも僕の相棒だからね。信じてるよ、僕は」

「あっ、いや、私だって信じてないわけじゃないんですよ? ただ……」

「何もしないで助けを待ってるってのは、なかなか辛いものだよね」


 好好の後を継いでエアロンが言う。好好は同意を示すと、不安げに溜息を吐いた。

 空気穴から微かに流れてくる子供たちの讃美歌。好好は壁の向こうで繰り広げられるお祭り騒ぎに思いを馳せ、なぜ自分だけこんなところに監禁されているのだろうと、遣る瀬なく目を閉じた。


「……だめだな」


 突然、エアロンが身を起こした。好好が驚いて彼を見る。


「どうしました?」

「待ってちゃダメだ。受け身でいたら逃げ出せる可能性も低くなる。やるぞ、好好。僕らからも仕掛けるんだ」


 そう意気込むエアロンの表情は、普段の声音に反して随分と硬かった。が、その横顔がまた頼もしくも見え。彼が現役で前線に出ていた時もこんな風に窮地に立たされ、相棒と協力して脱出したことがあったのだろうかと、好好はぼんやりと考えた。


「仕掛けるって言ったって、何か案があるんですか?」


 訊ねるとエアロンはスラスラと答えた。


「うん。やっぱり会社の秘密を守ることが一番だと思うんだ。万が一、拷問なんかで口を割られたら、会社の存続に関わるからね。まずはその可能性を排除することから始めよう」

「……え?」


 こちらを向いた青年の顔はにこやかだ。瞳に宿る鉛色の光は無機質な金属を思わせる。その笑みは悪魔のソレ、そのものだった。


「え、エアロン……? あなた、何言って……っ」


 背筋を冷たいものが駆け抜けた瞬間。

 好好は鉄格子越しに喉を掴まれ、エアロンに首を絞められていた。


「ひっ……! う、うぐっ……な、なに、すっ……!」


 膝立ちになったエアロンが腰を曲げ、髪の毛を振り乱す。首を絞める手は氷のように冷たく、彼の息遣いだけが顔に掛かって熱かった。


 好好こうずくは何の冗談だと目を見開くが、瞳に潜む狂気の色に気が付いた途端、この行為が悪戯などではなく、明確な殺意から為されているのだと悟った。


「や、やめ……っ、かぅ……っ」


 重なった親指が喉笛を圧迫し、動脈が強く波打つ。逃れようと絞める腕に爪を立てるも、殺されるという恐怖と、酸欠による焦燥で何が何だかわからない。好好は大きく口を開け、声にならない悲鳴を上げた。


「ごめんね、好ちゃん。僕には会社が第一だからさ、万に一つの可能性だって残しておくわけにはいかないんだ。だから大人しく、逝っ、て……!」


 一層強く力を込める。燭台に照らされた彼の顔は、邪悪な愉しみに歪んで見えた。


「かっ……はっ、こっ、のぉっ!」


 最後の力を振り絞り、好好が両足で鉄格子を蹴る。エアロンは掴んだ手を離さなかったが、束の間息を吸う余裕ができた。


「たっ、助けてくださあぁい!」


 好好は有らん限りの大声を張り上げた。エアロンが振り返ったのは一瞬で、すぐに再度彼の首を狙う。

 漸く内部の騒ぎに気付き、見張りの兵士が駆け付ける。間もなく牢屋の鍵が開き、エアロンは二人の衛兵によって羽交い絞めにされた。なんとか隣の牢から彼を引き離すと、衛兵の一人が好好に向き直った。


「何があったんだ?」

「と、突然彼が首を絞めてきて……って、えっ」


 涙目で訴える好好に濃紺の制服が迫る。鉄格子に兵士が倒れ込んでいた。続いて鈍い音と小さな悲鳴が重なったかと思えば、ぽかんと口を開けた好好の上に長身の影が落ちた。


「大成功だね。はぁー、疲れた」


 エアロンがにっこり笑う。その手が好好に差し伸べられた。


「えっ、えっ?」

「お疲れ。ミッションクリアだよ」


 そう言いながら額の汗を拭うエアロンの笑みは、先ほどの残虐な行為からは想像ができないほど朗らかだ。状況が呑み込めず、好好は促されるままにその手を取った。

 衛兵は二人共倒れていた。一人は後頭部を殴られ、もう一人は蹴り飛ばされた拍子に壁に頭を打ったらしい。

 エアロンは彼らの体を漁って拳銃を奪った。牢を出て、好好を閉じ込めている牢屋の鍵を撃って破壊する。


「早く行こう。気付かれるとまずい」

「ちょ、ちょっと、エアロン! 何も首絞めることはなかったじゃないですか!」


 好好こうずくが半泣きで縋り付く。エアロンはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて彼を見下ろした。


「しょーがないじゃん。彼らに扉を開けてもらう必要があったんだから。全部演技だってば。本当に殺すつもりなんてなかったよ」

「嘘だっ! あなたの目、本気でしたよ!」

「酷いなぁ。僕のこと信用してくれてないわけ?」


 好好は痛む首を摩った。指の痕が痣になりかけている。


「一言言ってからやってくれたっていいでしょう!」

「だって、予告したら好ちゃんの演技がわざとらしくなっちゃうじゃない。ほら、行くよ」

「うぅ……本気で殺されるかと思った……」


 脱獄犯二人組は螺旋階段を駆け上り、修道院の回廊へと飛び出した。一夜ぶりに吸い込む新鮮な空気に、思わず好好が安堵の笑みを漏らす。エアロンは警戒して辺りを見回した。


 讃美歌は止んでいた。

 代わりに拡声器越しの神官の声がサンドーベの街に響き渡る。


「〈浄化〉が始まるね。ヴィズとグウィードは、ちゃんとやってくれたのかな」


 エアロンが呟く。と、好好が彼の袖を引いた。


「エアロン!」


 切羽詰まったその声に振り返る。

 灰色の長髪が風に靡いた。


「よう、犯罪者共。勝手に出てきたらダメじゃないか。ちゃんと牢屋に戻れよ」


 濃紺の制服に、黒く輝く銃を携えて。

 スイス・ガーズ近衛隊長、タウォード・スベルディスが二人の前に立ちはだかった。


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