3-11 通信

「なるほど。話はわかりました」


 運転手ヴィスベットはカプチーノのカップを置き、縁に付いた口紅を拭った。

 警戒心露わに目の前の男を睨む彼女は、食事中も一切隙を見せず、背筋を伸ばした姿勢を崩すこともなかった。下ろした前髪の隙間から秀でた眉が覗き、グレーの瞳は彼女自身の淡泊な性格を象徴しているようだ。彼女の美貌はまさに文句の付けどころがない――グウィードの言葉では「よくできている」――美しさだった。


好好こうずく、副主任の両名は逮捕され、救出の目途は立っていない。現状の任務遂行は不可能」


 淡々と事実を列挙する言葉が暗に彼らを責めているように感じられ。グウィードは視線を逸らし、返事を濁すようにコルネットを頬張った。


「それで、お二人の居場所は?」

「あー……好好の居場所はわかっているんだが、エアロンもそこにいるかは……」

「早く調べてください」


 ヴィズの口調は常に機械のように単調で、グウィードは会話に息苦しさを感じていた。同僚として数年同じ敷地内に暮らしているとは言っても、普段の接点は殆どないのだ。


「……無線は?」

「エアロンが持ってる可能性は低いだろうな……たぶん没収されたと思う。俺のは好好に渡してしまったから、連絡を取る術が――」

「あります。私の車に、無線機が」


 それを聞いてグウィードはパッと顔を輝かせる。


「あっ、そうか。これで好好に連絡が取れるな」


 先程まで絶望の淵に追い詰められていただけに、彼女の援助はまさに天の助け。


「駅の向こうの休耕地が仮設駐車場として解放されています。車はそこに」

「わかった。なら早速行こう」


 残った料理を掻き込んで、グウィードが食事の締めに入る。すでに食後の一杯まで辿り着いていたヴィズはそれを眉一つ動かさず見守った。二人前近くあろうかと言う色とりどりのサラダと、卵とオレンジも胃の中に消える。卓上が白い皿で埋め尽くされると同時に彼は手を挙げてウェイターを呼んだ。


「会計を」


 ウェイターが伝票を手渡す。グウィードはそれをちらりと確認すると、ポケットから皺の寄った紙幣を数枚取り出し、ウェイターに持たせた。そのまま立ち上がった彼の服をヴィズが遠慮がちに掴む。


「支払いは」

「いい。巻き込んで悪いな。これはそのお詫びってことで」


 何食わぬ顔で返す男に、女運転手は一瞬面喰った様子を見せる。が、彼の視線が袖を掴む指に注がれていることに気付くと、サッと身を引いてそっぽを向いた。


「いえ。好好の回収が私の仕事ですから。そのために協力するだけです」

「そうか」

「……でも、ありがとう」

「えっ。お、おう」


 店を出た二人は気恥ずかしさを紛らわすように、速足で仮設駐車場へ向かった。

 不真面目な警備員が管理する仮設駐車場は、各地から駆けつけた様々な種類の車が詰め込まれていた。その光景は寒々しい冬空の下、圧巻である。


 ヴィズは助手席を開けてグウィードに乗るよう促し、無線のアンテナを立ち上げた。

 搭載された無線機は、電源を入れられると何度かランプを点滅させた。事前に好好こうずくと打ち合わせていたチャンネルに設定する。


「傍受される可能性は?」

「あるけど……他に方法もないし」


 グウィードは通話ボタンを押し、数秒待ってから手を離した。それに応えるように、無線機が赤いランプを点らせ、ノイズが数回に渡って鳴り響く。彼はそっとマイクを手に取った。


「……こちら〈狼〉。おい、聞こえるか」


 一瞬の間を置いて、無線機が探るように返事を返す。


『……えっと――まさかまさか、グウィードですか?』


 聞こえた声は安堵と興奮で掠れている。


「バカ、名前出すなよ。今大丈夫か? 看守に聞かれる心配は……」

『ない、と思います。ちょうど今他の囚人を連れて行ったところですから』

「そうか。とりあえず今の状況を聞きたいんだ。えっと、〈黒猫〉は――」

『いますよ。今起こしますね』

「えっ。あいつ寝てるのか」


 車内の二人は顔を見合わす。暫くの沈黙の後、再びランプが点滅した。


『はいはい、にゃんにゃーん』

「あっ! お前!」

『おっ、わんわんじゃん。僕だよ、にゃんにゃんだ』


 電波状況が悪いため若干音声が途切れるものの、無線機から聞こえた弾むような口調は、間違いなく副主任エアロンのものだった。その不快なテンションの高さにヴィズが思わず顔を顰める。


「二人一緒か。今どこにいるんだ?」

『もちろん、修道院の地下牢だよ。今は好好のお隣さん。〈狼〉、無線機持ってないはずだろ? 一体どうやって――』


 ヴィスベットが無表情でマイクを取った。


「おはようございます、副主任」

『……ヴィズ?』

「はい」


 さすがの黒猫も驚きを隠せない。


『なんで君がここに? わんわんが呼んだの?』

「主任が好好をお連れするようにと。直接お話を聞きたいそうです」

『ああ、あの人戻ってきたんだ』


 一先ず、無事に連絡が取り合えたことに安堵する。車内の二人は無線機を見つめ、現四人の中の司令官、エアロンの言葉を待った。


『それじゃ、最低でも好好こうずくを無事にエルブールに届けることが僕らの任務だ。今まで見てきた警備の厚さから考えて、修道院からの脱獄は難しそうだった。そこで、ローマへの移送時に脱出を図りたい。今日は正午から奇蹟の実演があるから、この街を去るのは恐らく明日の朝だ。その時までに準備を整えてほしい』

「……なあ。〈浄化〉をやめさせたいんだが、それはできないか?」


 グウィードが口を挟んだ。脈絡のない突然の要求に無線機が黙り込む。


『はぁ? いきなり何だよ』


 彼は躊躇いがちに説明した。


「好好はわかると思うんだが、今日〈浄化〉される男に〈浄化〉の真相を聞いたんだ」

『それなら僕も知ってる。悪いけどわんわん、僕の話ちゃんと聞いてた? 僕らの最優先事項は好好をエルブールに連れて行くことだって言ったろ。そんな余計なことしてる暇はないんだ』

「だけど! お前だってアレは非道なことだって思うだろ? やめさせるべきだ。それに俺、マッシモに助けてくれって頼まれたんだよ」

『何? それは「仕事として」頼まれたわけ?』


 一瞬の間を空けて発せられた声は、苛立ちと冷酷さを孕んでいた。逆鱗に触れた印であるワントーン下がった声音を聞き、グウィードがしまったと顔を歪ませる。


「違う……けど」

『じゃあほっといて。下手に手を出した挙句失敗して、会社に不利益を与えたらどうする? 僕らは目立つことだけは避けなくちゃいけないんだ』

「でも……」


 グウィードがきつく目を閉じる。ヴィズがその様子を盗み見た。


 気まずい沈黙が流れる。

 他の二人にしても、グウィードの気持ちがわからないではない。人の良い彼のことだから、〈浄化〉という人道に反する行為を見過ごせないのだろう。それでも、『会社』という枠の中で、『社員』という肩書でしか存在を証明できない彼らには、会社以上に大事なものは存在しないのだった。


 黙り込む友人たちの間を取り繕うように、口を開いたのは好好だった。


『でもエア……〈黒猫〉さん、〈狼〉さんの案は悪くないかもしれませんよ』

『なんで?』

『〈浄化〉の儀式中は警備が広場に集中するはずです。その隙に脱出するのはアリじゃないですか?』

『それはわかるけど、正午までもう何時間もないんだよ? 準備が間に合わないでしょ』

「副主任、私もそれに賛成です」


 ヴィズも口を挟む。グウィードが驚いて彼女を見た。彼女はその視線をわざとらしく無視すると先を続けた。


椿姫つばき主任より、副主任はできるだけ早く連れ帰れと仰せつかっています。今日脱出できるのなら、それにこしたことはありません」

『げぇー。なんで僕だけ名指しなんだよ……』


 エアロンは口を噤み、どうやら考えているようだった。


『ヴィズ、今日実行するにしても作戦は変わらない。陽動している間に救出だ。修道院の警備が手薄になるってことは、言い換えれば陽動役の人間はより危険になるってことだ。そのうえ、〈浄化〉を止めたいと言うなら、かなりの規模の騒ぎを起こさなきゃならない。君たちのどっちがそれを担うにしても、それ相応の覚悟と用意がいるんだよ』

「承知しています。私が〈浄化〉を邪魔して注意を引きましょう。算段はついています」


 ヴィスベットは引かなかった。エアロンは無線機の向こうで肩を竦めただろう。結局、彼は折れた。


『……いいよ。じゃあそうしよう。ヴィズ、十分に注意するんだよ。〈浄化〉を中止させられればそれでいい。くれぐれも、マッシモとかいう奴を助けようと無茶はしないで。最小限の行動だけで済ませるんだ。いいね?』

「エアロン、それじゃ――」


 言い掛けたグウィードからヴィズがマイクを奪い取る。


「はい。わかっています」

『ありがとう。グウィード、ここが僕らの妥協点だ。見ず知らずの男のために、仲間を危険に晒すことはできないだろ?』


 グウィードはぐっと言葉を飲み込んだ。


「……ああ、わかった」


 好好こうずくののんびりした声音が張り詰めた場を和ませる。


『随分とざっくりした作戦ですねぇ……結局、私たちの命運はお二人に委ねられているわけです。頼みましたよ、二人とも』

「おう」

『それで、グウィードに追加のお願いなんですけどね?』

「なんだよ。まだ何かあんのか?」

椿姫つばき主任には申し訳ないんですけど、私はここを出たら他に行きたいところがあるんですよ。エルブールには行かずにね?』


 ヴィズが顔を顰めたが、見えていない好好は先を続けた。


『その代わり、私が調べたことを纏めた資料があるんです。それを椿姫主任に持って行ってもらえませんか?』

「それは構わないけど……今言うことか?」

『もちろん。だって、作戦を決行したらそのままこの街からも離れるでしょ? あれは隠してありますので、先に回収をお願いしたいんです』

「ああ、確かにな。どこに隠したんだ?」

『えっとですね……私のいた教会の、『死者を弔う聖母のお膝下』に隠してあります』

「……あ?」


 ぽかんと口を開けるグウィード。その様子が伝わったのか、無線機から押し殺した笑い声が流れる。


『もう一つのヒントは既にお伝えしてありますよ? 私、最初から〈狼〉さんに取りに行ってもらうつもりでしたし、そう述べたはずですもん』

「はぁ?」

『おっと、これ以上は言えませんねぇ……傍受されてる可能性がありますから。後は頼みましたよ』

「お、おい待てよ。そんなんでわかるわけないだろ!」


 ところが、好好こうずくの答えより先にエアロンの声が遮った。


『しっ。誰か来そうだ。じゃあね。ちゃんとやれよ、わんわん』

「あっ、こら! 待てって……!」


 向こうが電源を切ったらしく、無線機は完全に黙り込み、グウィードの呼び掛けは虚しくスピーカーに吸い込まれていった。

 ヴィズが振り返る。


「大丈夫ですか?」

「全然。好好のヒントはまったくヒントになってないし」


 グウィードは深い溜息を吐いた。俯いたために黒髪が瞼に掛かり、鋭い眼光が一時身を潜める。ヴィズは小首を傾げてその横顔を眺めた。


「では、私は陽動の準備を始めます。あなたは急いで謎解きを」


 グウィードは我に返った。


「ダメだ。陽動は俺がする。広場の方が警備が厚いんだ、安全の保障が――」

「それはどちらにしてもありません。騒ぎを起こすだけなら姿がバレることはありませんし、日中ではあなたの容姿は人目に付きます。ここは私が行くのが無難でしょう」


 彼女の言うことはもっともだ。つい先ほども警官に追われていただけに、反論の仕様もない。グウィードの少し傷付いた素振りに気が付いたのか、ヴィズは珍しく表情を崩して付け加えた。


「それに、好好が言っていたでしょう。もう一つのヒントはあなたが知っているんです。だから、広場は私に任せて、あなたは資料とお二人を」

「……わかった。気を付けろよ」

「あなたも」


 二人は車から降りた。

 駐車場の入り口では、地元の日雇い警備員が『満車』の札を掲げ、『奇蹟』までに滑り込もうとする観光客を必死で追い返していた。二人は互いの健闘を祈り、小さく頷き合ってその場を離れた。



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