3-8 好好とエアロン

 スイス・ガーズに引っ立てられて修道院の門をくぐってからは、エアロンも大人しく彼らに従った。とは言え、眼だけは鋭く辺りを見回し、絶えず情報収集を欠かさない。銃口で急かされながら螺旋階段を下り、薄暗い地下牢に足を踏み入れる。近衛兵は背中をど突いて牢に押し込んだ。

 よろめいて膝をつく。鋭く背後を睨み付けるも、連行してきた衛兵たちは彼に目もくれず歩み去った。エアロンは泥の付いた口元を乱暴に拭い、傷の具合を確かめた。殴られた箇所は痛々しく腫れ上がり、中心部に小さな裂傷ができている。ついでに手枷も擦れて痛いので、そのうち手首も酷いことになるだろう。

 屈辱を紛らわすように大きく一度舌打ちをする。指に付いた血液を舐め取った。


「え、嘘……あなたは……」

「お?」


 隣の牢から声がする。辛抱強く目を凝らせば、暗がりから金髪の神父が姿を現した。筋のような目を薄らと開いて、偽クリストファー・イングリス神父が驚いて叫ぶ。


「エアロン! どうしてあなたが?」

「あっ、好好こうずく


 二人は鉄格子越しに手を合わせた。友人との再会に一端安堵の笑みを浮かべるも、エアロンを見上げる好好の顔はどんどん歪んでいく。その瞳から期待が消えた。


「助けに来てくれた! わけじゃ、ないみたいですね……」


 エアロンは口を尖らせて明後日の方向を見る。


「何言ってんの。もちろん助けに来たんだよ?」

「あらあらぁ、エアロンも下手うって捕まるなんてことあるんですねぇ」

「は? 違うし。好ちゃんに近付くためにわざと捕まったんだってば」

「嘘おっしゃい。エアロンが私なんかのためにここまでしてくれるわけないですもん」

「え、そこまで言う? もうちょっと自信持ってよ」


 二人はそう言ってケラケラ笑い合ったが、その声も虚しく萎んでしまった。後に訪れた間の虚しさ。エアロンは鉄格子に背を預けて座り込んだ。


「くそっ。神官と――あのスイス人め、絶対復讐してやるからな


 エアロンは天井付近に空いた空気穴を見上げ、歯を剝き出して唸った。そこから流れ込む冷気が神官の色の無い姿を思い起こさせ、それがまたなんとも腹立たしい。

 好好は疲れたように苦笑を漏らすと、エアロンに並んで地べたに座った。立てた膝の上にだらりと腕を投げ出す、その肩が震える。


「……好好?」


 項垂れた首筋を伝って金の房が落ちる。エアロンは肩越しに首を傾げ、反射した光に目を細めた。


「どうした? 具合でも悪いの? 奴らに何かされた?」

「いえ、軽い尋問程度で。ただ……」


 見開いた瞳に恐怖の感情がありありと表れていた。懇願するように眉が上がる。彼は擦れた声で囁いた。


「さっき、聞いてしまったんです。神官様の――『奇蹟』について……」

「ああ、その『カラクリ』を?」


 好好こうずくは驚いて顔を上げる。


「まさか、エアロン、あなたもご存知だったんですか?」

「僕も、ついさっきね。運悪くその現場を目撃しちゃってさ。だからここにぶち込まれたってわけ」


 苦々しい顔でエアロンが言う。お互い〈浄化〉という『奇蹟』の恐ろしい真実を、そしてこの先に待ち受けているであろう己の運命を思い、溜息を漏らす。好好は悲しげに微笑みエアロンの横顔を見た。


「グウィードが正しかったようですね。神の力なんて嘘っぱちでした」

「そう? 僕はそんな『兵器』が実在していることの方がよっぽど奇跡みたいだと思うよ」

「どういう意味です?」


 エアロンは肩を竦めた。


「だって、大した技術じゃない? 〈天の火〉のせいで各地の研究施設は台無しになったって言うし、未だに新しい施設を造っちゃあ壊れての鼬ごっこを繰り返してる。いつの間にそんなもの開発したんだろう?」


 好好は目を瞬かせ、考える素振りを見せた。


「……ああ、だから椿姫つばき主任は――」

「え、何?」


 しかし、彼は首を振った。


「私にはそんなことどうでもいいです。自分の身に降り掛かったことの方が重大ですもん」

「うーん……」


 エアロンが唸る。

 二人は改めて自分たちの置かれた状況を思い出して溜息を吐いた。湿った黒い石壁が迫るように彼らの前に立ちはだかっている。エアロンは縮こまって身を震わせた。


「頼みの綱はグウィードだけか。はっきり言って不安だなぁ」

「グウィードはスニーキング特化ですもんねぇ……嗚呼、エアロン、やめてください。なんだか絶望してきました」


 好好は両手に顔を埋めた。


「私まだこんなところで死にたくないですよぅ」

「僕だってそうだよ」


 そもそもグウィードは、エアロンまで逮捕されてしまったことに気が付いているのだろうか。凶悪な外見とは裏腹に、妙に実直な性格の彼のことだから、下手をすれば一晩中壁の近くで相棒の帰りを待ち続けるかもしれない。

 相棒としてグウィードのことは誰よりも信頼しているけれど、エアロンとグウィードは頭脳と肉体で完全に役割を分けている。作戦を練るところから彼にすべて託すとなると――それはまた、別の話なのである。


 好好こうずくはハッと顔を上げる。


「そうだ、無線は? 私、グウィードから通信機を預かりましたよ。これで連絡取れませんか?」


 エアロンは首を振った。


「無理だろうね。好ちゃんが持ってるのがグウィードの無線機だったんだよ。僕のはさっきヴァチカンの奴らに取り上げられちゃったし」

「そうですか……」


 一瞬見えた希望の光が瞬く間に姿を消し、二人は三度目の溜息を吐く。好好は汚れたカソックの内側から通信機を取り出し、手の平に置いたそれをぼんやりと眺めた。当然誰からの通信もなく、助けの手はここまで届かない。


「どーしよっかなぁ」


 重たい空気を払拭するように、エアロンはわざと気怠い声を上げた。寒さで縮こまった背筋を伸ばす。濁った空気に思わず咽返りそうになるも、体内を駆け抜ける冷気は焦燥を掻き消し、頭の中をすっきりさせた。

 そのまま彼は唯一の寝具である薄い毛布を体に巻き付け、鉄格子に凭れて目を閉じた。好好がギョッとする。


「エアロン、まさか寝るんですか?」

「だぁーって、仕方ないでしょ。脱獄だったら焦らないのが基本。しっかり様子を窺って、タイミングを見計らわなきゃ。それに――」


 エアロンは忌々しげに手枷の位置を直しながら続けた。


「もしそのタイミングが来るとしたら、サンドーベからローマへ移送される時だよ。それまでは尋問くらいはされても、命までは取られないでしょ。気長に行こうよ」


 灰色の睫毛がぴくりと震え、すぐにエアロンが小さな寝息を立て始める。その姿は普段の顰め面とは違って少年のような幼さを感じさせた。投獄された身にしてはあまりにも無防備な寝顔に、好好が思わず笑みを漏らす。

 好好は翌日への恐怖を一旦心の奥へ仕舞い込み、エアロンに倣ってきつく目を閉じた。


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