3-5 逮捕
礼拝堂の中は屋外と変わらないほど冷え切っている。
最上部に開いた窓から微かに光が差し込む他は、信徒が灯した祈りの蝋燭だけが光源だった。観光客のお陰でその数は普段より多いけれど、それでも内部はあまりに暗い。
祭壇の向こうに佇む影があった。開かれた聖書に指を走らせ、慈しむような眼差しを注いでいる。薄暗がりの中でもはっきりと視認できる白。その姿を見紛うはずがなかった。
「初めまして、クリストファー・イングリス神父」
神官セメイルは言った。彼の声は落ち着き払っていて、澄んだ荘厳さに包まれている。
「神官様……」
「勝手にお邪魔して申し訳ございません。どうぞ、こちらへいらしてください」
間近で見る神官の姿は一層現実味を欠いている。これまで美しいと感じる人には様々会ってきたが、セメイルが持つソレは他の誰とも異なっていた。
一体どれほど神に愛されればこのような容姿に生まれ落ちるのだろう。
なんと繊細な、なんと鮮明な。
儚すぎるあまりにむしろ際立っている造形美は、内からくる信仰の力強さによって強烈さを増していた。直視するのも烏滸がましいほどの。けれど、確かに同じ世に存在している天上の存在。もしも天使が実在しているならば、きっとこのような姿なのだろうと好好は確信した。
「名乗る必要もございませんね。私のことを調べておいでだったのでしょう?」
神官セメイルは薄っすらと笑みを浮かべ、祭壇を回ってこちら側へ歩いて来た。好好が無意識に後退りすると、すぐ後ろにスベルディスが立ちはだかっていることに気付く。逃げ道は塞がれていた。
「過去を詮索されるのは気持ちの良いものではありませんね。代わりと言っては難ですが、私にもあなたのことを教えて頂けませんか? クリストファー・イングリス神父。あなたの本当のお名前は何というのでしょうか」
偽神父はビクリと身を震わせた。
「ええっと、仰る意味がわかりませんが……私はクリストファー――」
「イングリス神父はミラノにおられます。本物のイングリス神父は、ですが」
好好はあくまで足掻いた。
「何のことでしょうか? あっ。もしかして、同姓同名の――」
「――私が知りたいのは」
神官は更に偽神父に近付いた。放射状に傷を付けたような赤い虹彩が彼を捕らえて離さない。
「あなたが、何者かということです」
好好は答えられなかった。この男はすべて知っているのだ。そう悟る。神官は彼を見つめ、ふっと表情を緩めた。
「有名になると、強硬的な手段を取るパパラッチにも沢山出会います。ですが、神父を騙って教会に潜り込むなんて大胆なことをした方は初めてです。だから、純粋にあなたに興味があるのですよ。何が目的だったのですか? 私の何をお知りになりたかったのでしょう?」
答えに躊躇していると、背後でスベルディスが聞こえよがしに足音を立てる。好好は乾いた唇を噛み締めて湿らせた。
「お金に……困っておりました」
「ほう?」
セメイルが眉を上げる。好好は勢い付いて続けた。
「ミラノの酒場で会った記者に言われたんです。『神官様のスキャンダルを持ってくれば金を出す』って。昔侍者をしていたこともありますし、教会にだったら潜り込めると思ったんです」
「そうでしたか。それで、何か面白いネタは見つかりましたか?」
好好は腹を決めた。反応は悪くないようだ。噓八百だが、この場はこの筋書きで乗り切るしかない。彼はおどおどと哀れを誘うように早口で言った。
「い、いえ。まだです。セメイル様がサンドーベにいらした時のことを調べていたんです。でも、買ってもらえそうな話は何も……だ、だから、今日神官様がいらっしゃる時に、何か見つけられればと思って――」
「それは残念でしたね。まあ、当時の私は修道院の外に出ることもまずありませんでしたから、記者さんに喜んで頂けるような出来事は何もなかったでしょう」
神官は優しく微笑んだ。
「他には何も知りませんでしたか?」
「あ、はい。あなたがどこの部屋を使っていたかとか、毎日何度お祈りをされていたかなど――」
「結構です。では、これについては?」
唐突にセメイルが腕を突き出した。その瞬間、好好は小さく悲鳴を上げて飛び退いた。スベルディスが受け止め、逃げられないよう両腕を押さえる。
神官は笑っていた。そこに聖人の慈愛は無く、挑発的に唇を引き上げている。
「そう。ご存知のようですね」
神官の腕には白いグローブが填められていた。それ自体が分厚く、難解な装飾が施されている。中央にはセメイルの瞳と同じ赤い宝石。血管の如く管を放射状に伸ばしたそれは、まるで鼓動する心臓のようだった。
「クリストファー・イングリス神父――いえ、偽イングリス神父。あなたには児童誘拐の嫌疑が掛けられました」
「な……っ?」
好好は近衛兵の腕の中で藻掻いた。セメイルが微笑む。
「ええ、そうですよ。あなたが調べていたあの事件です。その犯人になっていただきましょう」
好好がそれ以上何か言うよりも先に、彼は冷たく言い放った。
「スベルディス隊長、この方をお連れしてください。お話は後程じっくり伺いたいと思います」
タウォード・スベルディスが好好を連行する。教会の入口に控えていた彼の部下たちがすぐさま加わり、偽神父は誰にも見られることなく表に停められていた車へと押し込まれた。
***
「まさか本当に捕まるなんてね!」
エアロンは自嘲気味に笑った。
顛末はバルコニーから中を覗っていたグウィードによって報告された。エアロンは近くの路地で待っていて、旧友の乗った車を横目で見送っただけだ。
「向かった方向から察するに、やっぱり修道院に連れて行ったのかな? しっかし、神官様も顔に似合わず喰えない奴じゃないか。尋問までやってのけるとはね。聖人ってのはもう少しお淑やかなものだと思ってたよ」
グウィードは慌てた様子でエアロンを見た。
「そんなことより、どうするんだよ。助けに行くよな?」
「まあ……仕方ないよね。そのために僕らはここに呼び出されたみたいだし」
エアロンは余裕綽々だ。否、不安げなグウィードを前に心配を表に出す気になれないだけかもしれないが。
「よし。とりあえず、俺は何をすればいいか指示をくれ」
「オッケー。恐らく好好は明日まで修道院にいるはずだ。まずは正確な居場所を特定しよう」
二人は頷き合った。
そして、夜を待つ。
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