3-3 好好の家
サンドーベの街は重たい冬の空を戴きながらも、静かな活気に満ちていた。降誕祭前のアドベントの時期ということもあり、あちこちにオーナメントやクリッペを売る出店が建ち並ぶ。近くを歩けば、焼き栗やソーセージの屋台が人々の鼻孔をくすぐった。子供たちは買ってもらったばかりのクッキーを頬張り、大人はホットワインで談笑する。和やかな冬の景色だった。
「なかなか素敵な家でしょう?」
好好が自慢げに家を指し示す。エアロンは呻いた。
「ちょっと小さいし、立地も悪いかな。うわぁ、まだガーデニングに凝ってるの?」
空と同じ鉛色の視線が、嫌悪も露わに小さな庭へ注がれる。丁寧に整えられたウサギ型の植木。門から家にかけての短い小路は大小様々な植木鉢が並べられ、冷気に負けず鮮やかな色の花を咲かせている。低木の間から小人の像が顔を出し、それがまた暗い冬空の下、なんとも言えない不気味さを醸し出していた。
唯一まとまった面積が確保された一角には畑が作られており、種を捲いた直後なのか、明るい色の土がこんもりと山を作っている。その端で群生する様々なハーブに目を留めて、そういえば好好は料理や食材に関しては凝り性だったと、エアロンはぼんやり思い出していた。
「ええ。私、今イギリス人なもので。なかなか癒されますよ? どうです、エアロンもこの機会に始めてみませんか?」
「……僕はやめとく。グウィードなら喜んでやるんじゃない? こいつ、いつも暇そうだしさ」
「確かに暇だけど……遠慮する」
「おやまあ。二人とも、それは食わず嫌いって言うんですよ。グウィードには滞在中に一回は土に触れてもらいますからね。新しい趣味を持つのはいいことですよ」
グウィードが嫌そうに小人を見遣る。堪らず好好が吹き出した。
「あはは、冗談ですよ。お二人は早いところ用を済ませたいでしょう? きっと天下の副主任様にはお仕事が沢山あるでしょうし」
地雷を踏んだ。
グウィードは嘆くように顔を覆った。好好はエアロンを見てビクリと身を縮ませ、自らの失言に気が付いた。
「ま、まあ、こちらにいる間はゆっくりしてくださいよ。小旅行だと思って。せっかく面白いタイミングに来てもらったんですから」
好好に促されて二人は家の中に入った。
陰鬱な外観に反して中は案外居心地が良さそうだ。布張りのソファが中央に据えられ、色褪せたラグに木製のローテーブル。物が極端に少ないこともあって、暖炉の上の聖母像だけが異様に存在感を放っていた。
「紅茶淹れますね。ハーブティーでいいですか? エアロンはミルクも?」
好好が台所へ消える。入れ替わりに巨大な黒灰色の犬が現れ、尻尾も振らずにエアロンに擦り寄った。ソファに収まったエアロンは犬の長い鼻面に指を這わせながら、グウィードが暖炉に火を起こすのを見守った。やがて好好が机に紅茶を並べると、一同は改めて席に着いた。
「いやぁ、本当に久しぶりに感じます。お変わりありませんか?」
好好が訊く。グウィードはエアロンに視線を走らせた。
「俺は相変わらず。こいつはちょっと不機嫌」
「お前のせいでね」
エアロンはティーカップを両手で包むと、頻りに吹き冷ましながら好好を見上げた。
「そっちは? カソックなんて着て、今度はどんな詐欺を働いてるのさ」
「今は詐欺師じゃないんですよ。身元は詐称していますけど。この街で調べ物がありまして」
「というと?」
「うーん、どこから説明しましょうかねぇ……」
好好が天井を見上げて悩んでいる間にエアロンが再度口を開く。
「ねえ、なんでわざわざ今日を指定したの? やっぱりあのお祭り騒ぎのため?」
好好は紅茶を飲んで一拍置いた。金の睫毛が僅かに持ち上がり、水色の瞳が顔を出す。
「そうですよ、エアロン。お二人は神官様をご覧になりましたか?」
『神官』という聞き慣れない単語に、グウィードがちらりと相棒を見る。エアロンは澄まし顔で答えた。
「うん。やっぱり写真で見るのと大分印象が違うね」
「いやぁ、お綺麗でしたねぇ。神官様がお見えになると決まってから、サンドーベは大変だったんですよ。観光組合はてんてこ舞いで。修道院も警備だもてなしだって、今大忙しです」
昨日までの苦労を思い出し、好好がこれ見よがしの溜息を吐く。エアロンも負けじと捲し立てた。
「ここまで来るのも大変だったよ! 本当は一本前の列車に乗りたかったのに、一等は満席で取れないし。駅じゃ観光客は間誤付くし……なんでよりによってこんな日を指定するかなぁ」
「なぁ……」
グウィードがおずおずと口を挟む。黒髪の下で片眉が怪訝そうに上がっていた。
「その『神官』って誰だ? さっきの女か?」
「えっ」
一瞬の間。
まずエアロンが吹き出した。続いて好好が憐れむような、半ば諦めの混じった視線を向ける。足元で伏せた犬までもが顔を上げ、蔑むように彼を見た。状況が読めずにグウィードが睨む。
「なっ、なんだよ」
「お前はほんっとに馬鹿っていうか、頭が回らないというか、思考回路が鈍足というか……」
「エアロン、それはつまり馬鹿って意味です」
「まぁ馬鹿ではないとしてもさ、教養と観察力は皆無だよね。グウィードさぁ、新聞はちゃんと読んだ方がいいよ? 宿舎に引き籠って筋トレばっかりしてないでさ!」
そう言ってまたエアロンが笑い転げる。グウィードは傷付いた顔をした。
「そこまで言うことないだろ……俺、なんか変なこと言ったか?」
「まぁ……そうですね」
好好が眉を下げる。陶器がカチャリと音を立てた。
「男性なんですよ、グウィード」
「は?」
「だから、神官様は男性なんです。女性じゃないんですよ。確かにあの方は女性と見紛うほどお美しいですが、歴とした男性なんです」
こみ上げる笑いを押し殺し、好好が優しく解説を述べる。垂れた目じりが弧を描いた。
「お、男? え、男?」
「そうです」
「あれが?」
「ええ」
「嘘だろ」
「残念ながら」
「嘘だ」
信じられない、とグウィードが首を振る。
体の線は男にしては不自然なほど華奢だったし、睫毛を伏せた横顔の美しさはヴィーナスだって嫉妬する。血管が透けた滑らかな肌も、白さを際立たせるような赤い唇も、あの容姿が同じ男の持ち物だなんて、到底信じられるわけがない。
「そんなにショックを受けるなよ。あっ、でもグウィード、かなり鼻の下伸ばしてたもんね? そりゃあショックか」
エアロンがニヤニヤ笑う。グウィードは紅潮した顔を誤魔化すように歯を剝き出して唸った。
「そんなことしてねぇよ! お前だってボケッと見てただろ!」
「はぁ? 有名人がいたから目で追っただけですぅー。僕はお前と違ってちゃんと男だって知ってたもんね。一緒にしないでくれる?」
「あぁ? この……っ」
「まあまあ、二人とも……」
見かねた好好が仲裁に入る。
「グウィードが間違えるのも無理はありませんよ。むしろ、教会がどんなに否定しても神官女性説は根強く信じられていますからね。自然な誤りかと思います」
「どぉーかなぁー? グウィードってば美人に弱いところあるからなぁー?」
エアロンは尚もネチネチと過ちを責めるが、グウィードが目で黙らせた。腹の立つ相棒は無視することにして、好好に向き直る。
「で、その神官ってのはなんなんだ? 教皇とは違うのか?」
「違いますね。教会の序列には属していませんが、司教クラスの扱いを受けているようです。彼は神官セメイル。今ヴァチカン教会が一番推している聖人です」
そう言うと好好は立ち上がって本棚に向かった。雑誌を一冊引き出して二人の前に広げて見せる。エアロンとグウィードは額を寄せて覗き込んだ。
「神官が何なのか実は僕もよくわかってないんだよね。何する人?」
雑誌は演説する神官のバストアップから始まり、好感度獲得用の子供との触れ合い写真、そしてどう見ても盗撮としか思えないグラビアページへと続いた。『悪を裁く神の代理人』という見出しの後、簡単な経歴が述べられ、所属していた修道院の風景写真が紙面を飾る。
雑多な写真の切り抜きの中でも、やはり彼の美貌は際立っている。その美しさは悪趣味なゴシップ雑誌の紙面さえも宗教画の世界に変えていた。
好好は二人が読み終えたのを確認すると、更にページを捲った。
「神官様は『奇蹟』を起こすのです」
「奇蹟?」
「ええ。〈浄化〉と呼ばれる奇蹟を」
次のページは薄汚い男の凶悪な指名手配写真で始まった。白の聖人とあまりに対照的なその男は、四件の強姦殺人事件を犯した死刑囚だという。解説の下にコマ割りのように掲載された写真を追えば、衛兵に押さえられ暴れる男。歩み寄る神官。神官が男の額に手を置いて――そして、男はがっくりと首を垂れた。
「何これ。どういうこと?」
エアロンが目を細める。好好は薄く笑った。
「写真だけじゃわかりにくいですよね。私も生で見たことはありませんが……神官様が手を触れるとどんな悪人も心が洗われ、善人へと更生するらしいのです。それが神官様の奇蹟、〈浄化〉です」
その効果を示すように、雑誌では死刑囚の顔写真二枚で記事を締め括っている。一枚は指名手配と同じ凶悪な面。もう一枚はとろんとした目付きの呆けた顔になっている。
グウィードは疑わしそうに眉を寄せた。
「とんだ茶番だな」
「やっぱりそう思いますよねぇ? ところが、どうも本物らしいのです。映像も公開されてますしね」
「映像なんかいくらでも捏造できる」
「疑い深いですねぇ。それじゃ、自分の目で確かめていただきましょう。明日の正午過ぎに奇蹟の実演が行われるんです。街の広場でやるそうですから、是非見に行きましょう」
好好はウキウキと微笑んでいる。どこか俗っぽいところのあるこの詐欺師は、そういった流行り物が気になって仕方ないらしい。
「うーん、なら行ってみるか……」
エアロンがニヤニヤしながらグウィードを見た。
「またぁ。やっぱり気になってんじゃん。本当に美人に弱いよねぇー?」
次の瞬間、エアロンはソファに引き摺り倒され、クッションを顔に押し付けられていた。もがくエアロンの顔面に全体重を掛けながら、グウィードは真顔で振り返る。
「話を遮って悪かったな。で、結局俺たちを呼んだ理由は何なんだ?」
「グウィード、エアロンが死にますよ……」
奇声を上げてエアロンがクッションを跳ね飛ばす。衝撃で食器が大きな音を立てた。エアロンはくしゃくしゃに乱れた頭で相棒を睨んだ。
「グウィードぉ……? 覚えてろよ。お前、絶対後で……」
好好はにっこり微笑んで答えた。
「いやぁ、それがですねえ。実は私が個人的に調べていた事柄が、ここサンド―べで神官様に繋がっちゃったみたいなんです。真相は私もまだ掴めていないんですがね?
きゅぴーん。
好好は年甲斐もなくピースサインでポーズを決める。それはさらりと無視をして、エアロンは興味深そうに目を瞬いた。
「個人的に調べてたのに、いちいち主任に報告入れてるの?」
好好は宙ぶらりんになったピースサインを泳がしながら答えた。
「ええ、まあ。理由は私も知らないですけど、主任も神官様にご興味がおありのようなんですよね。私に連絡が来たのも、神官様について情報を集めてほしいってことでしたから」
「なんでまた?」
エアロンは不思議に思った。エアロンも椿姫の頼みでベルモナで起きた〈天の火〉についてレポートを書いたが、彼女が調べていることには一貫性がなく、その目的が不明に感じた。
「さあ。理由は私も聞いてません」
好好は椿姫の目的に関心などないらしい。肩を竦めるだけだった。
「ま、いっか。それで? 好ちゃんは何を調べてたの?」
「孤児の行方不明についてです」
「はあ」
若干拍子抜けするエアロン。好好は居住まいを正して話し始めた。
「前にいた街での話になるんですが、孤児院出身の方と知り合いましてね。その孤児院から連れ出された子供の行方がわからなくなっているというんです」
「連れ出されたって、引き取られたってことか?」
グウィードは真剣に話を聞いている。彼自身が孤児院出身ということもあり、他人事に思えないようだった。
「いいえ。別の施設に移すためだったようです。その孤児院では数年前から時折そういうことがあり、その度に修道士らしき人が子供を迎えに来ていました。ところが、それから何年経ってもその子から一切連絡が無いんだそうです。普通なら手紙のやり取りくらいはあってもおかしくないでしょう?」
「そりゃあ孤児なんだから色々事情はあるんじゃないの? そんなの調べてどうするのさ」
エアロンにはどうもピンと来ない。好好は微苦笑した。
「私だっていつもなら放っておきますよ。お金になる話じゃありませんし。ただちょっと……その知り合いがね、気にしていたものですから」
「へぇー?」
好好は詮索を避けるため先を続けた。
「早速その孤児院、というか、そこを運営している修道会に潜入して調べました。すると、連れて行かれた子供たちは大概このサンド―べに送られていることになっているんですね。それで私もこっちへ来たわけなんですが、やっぱり送られた子供たちはいないんです。一応孤児院はあるにはありますが、規模も小さいし、子供の新規受け入れができるような経営状況には見えません」
「きな臭いな」
グウィードは顔を顰めた。
「売られちゃったんじゃないの。よくある話じゃん。売られた先が花屋か肉屋か鉱山かは知らないけどさ」
「エアロン」
グウィードが嗜める。エアロンは悪びれもせず「だって本当のことじゃん」と言ってそっぽを向いた。
「そーれがですねぇ、ここへ来てぱったり足取りが途絶えてしまいましてねぇ。本題の方はさっぱりでしたが、その代わりに得た情報と言うのが神官様でして。セメイル様は一年程度の短い間ですが、ここサンド―べの修道院にいらしたことがあるそうなんですよ」
「神官って修道士なのか?」
と、グウィード。
「ええ。元々は修道院が経営する孤児院で育ったそうで、そのまま修道士の道に進んだということですね。神官様は〈浄化〉の力が認められて列聖されるまで、ここよりうんと北の山の方にある修道院で過ごされていましたが、それ以前にいくつかの修道院を転々としたことがあったようです」
「なんとまあ綺麗な経歴で」
エアロンが皮肉交じりに相槌を打つ。好好は楽しそうに指を唇に当てた。
「うふふ。ところが、ですよ。神官様が所属していた歴代の修道院は――どこぞの記者が探り当てただけなので真偽は定かでないですが――知られているものの、その当時に行われた奇蹟については一切明らかにされていないんです。本当に神様から神聖な力を賜ったのだとしたら、列聖以前から何がしかの兆候を見せていてもおかしくないと思いませんか?」
グウィードが不思議そうに首を傾げる。
「でも、そういうのって突然天啓があったからだったりするんじゃないのか?」
「おや、よくご存知で。しかし、ヴァチカン教ではすべての天啓を授かるのは教皇です。セメイル様の場合も、教皇ベルナルドゥス四世が天啓を受け、彼に伝えたものとされています」
「つまり、教皇が〈浄化〉の力も授けたのか?」
好好は悩ましい笑みでうーんと首を捻った。
「そこがミソなんですよねぇ。力自体はセメイル様自身が持っていたもので、それを正しく使えるよう教皇様が導いた、という形になっています」
なるほどねぇ、とエアロンが腕を組む。元より非科学的なことに心を開かない彼は、ヴァチカン教の神秘についても懐疑的だった。
「なんかこじ付けがましいね」
「そうそう。それで面白くなって色々調べて回ってたんですが――」
そこで好好はだらしなく表情を崩した。
「ちょっとヘタこいちゃいまして。バレちゃったかもしれないんですよねぇ」
「……は?」
「なーんにもなければいいんですけどね。神官様ご一行がこのタイミングでいらしたのは、もしかして、私と関係あったりするのかなぁーなんて? それだったら急いで逃げなきゃいけませんから、念のためお二人にも助力を請うておきましょうかねっというわけなんです」
ちょうどブレッドを齧っていたグウィードが激しく噎せた。エアロンも全力で顔を顰める。好好は「てへっ」と笑いながら肩を縮めた。
「なんだよそれ! だったらここでお茶なんかしてないでさっさと街を離れればよかっただろ!」
グウィードに次いでエアロンも言う。
「グウィードの言う通りだよ。ぜんっぜん僕が来る必要なかったじゃん」
「まあまあ。それはそうなんですけど……こちらとしてもこのタイミングに賭けているところがあるんです。ここにきて気になることがありましてね? 上手くやれば子供の行方だけでなく、神官様の秘密も明らかにできちゃったりできなかったりして」
エアロンは全力で溜息を絞り出した。犬が体を捻って耳の後ろを掻き始める。
「もういいよ……来ちゃったものは仕方がないしね。ただし、きっちり依頼料は納めてもらうから」
「ええっ、酷い。そこは親友のよしみでまけてくれたり――」
「しません」
好好は身をくねらせてねだったが、エアロンは歯牙にも掛けなかった。
暫しそんなやり取りを続け、手元の紅茶がなくなった頃、好好はポンと膝を叩いて立ち上がった。
「さ、お喋りはこのくらいにして、ちょっと町を見て回りませんか? 屋台も沢山出ていますし、お散歩にはぴったりですよ」
「お。いいな」
「嫌だよ、寒いじゃん」
エアロンは身を投げ出して犬に抱き付いた。犬は嫌そうに身を捩って抜け出すと、暖炉の前に丸くなり、聞こえよがしに鼻息を吐く。好好はエアロンに上着を投げながら笑った。
「エルブールの方が寒いでしょ。お気に入りの屋台を見つけたんですよ。なんたって種類が豊富で……」
好好とグウィードは美味しいソーセージの話をしながらさっさと出て行ってしまった。エアロンは名残惜し気に暖炉を見、渋々彼らに従った。
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