3-2 サンドーベ到着
翌朝、エアロンとグウィードはヴィスベットに駅まで送られ、トランク片手に列車に乗り込んでいた。経費で落とした一等車両は広々として居心地がよく、車窓を流れる寒々しい農村風景が冬の訪れを物語っていた。
グウィードはエアロンを見ていた。どう見ても睨んでいるようにしか見えないが、彼なりに相棒を心配した気遣いの表情である。癖が付いた量の多い黒髪と、吊り上った金の瞳。筋肉質な体は真っ黒な衣装によって更に引き締まって見えるが、トンネルを通るたびに車窓の闇に溶けてしまう。ワイシャツに灰色のベスト、赤ネクタイというきちんとした身形のエアロンとは、つくづく対照的だった。
エアロンは窓の桟についていた肘を離し、不機嫌そうにグウィードを見た。
「何」
「え。いや、別に……」
グウィードが目を逸らす。長い付き合いだからこそ、機嫌が悪い時のエアロンの恐ろしさを知っていた。
「言いたいことがあるんだろ。言えよ」
「……何考えてるのかと思って」
エアロンはピシャリと言った。
「なんだっていいだろ。お前には関係ないんだから」
再び外の景色に集中し始めたエアロンは、これで終わりとでも言うかのように人差し指で耳を塞いでいる。グウィードは深く溜息を吐いた。
リンデマン一家の件で気持ちが塞いでいたエアロンも、〈エウクレイデス〉号での任務を終えて気を元に戻ったかのように振舞っていた。だが、身近でよく観察している者にはわかる。彼は未だにあの件を引き摺っているのだ。
時折、エアロンはこの顔をする。視線は遠くを見つめているが、そこに何かよくないモノの姿を見出しているらしく、僅かに眉根を寄せるのだ。
彼は今その脳裏に何を見ているのだろう。
亡くなったハロルド・リンデマンとその妻子か。多くの謎を残して消えたメルジューヌ・リジュニャンか。それとも、祖国や故郷を知らぬエアロンを「哀れだ」と蔑んだマクシム・フェドロフか。
グウィードには相棒の胸中など知る由もない。こういう時のエアロンに対して彼ができることは、下手に刺激せず穏便に機嫌が直るのを待つことだけである。
***
列車は緩やかに速度を落とし、サンドーベ駅に停車した。到着前から廊下は人でごった返していた。誰かが車両扉のレバーを下げると、煙に紛れて冬の澄んだ空気が音もなく車内に這い忍ぶ。
通路の混雑が落ち着いたのを確認し、グウィードも椅子から立ち上がった。網棚から荷物を降ろしかけて手を止める。降りる気のない相棒を怪訝そうに振り返った。
「エアロン?」
鉛色の瞳は雪化粧の山々を眺めて動かない。その横顔は深く思案しているというよりは、むしろ、そのまま無機質な彫刻になることを愉しんでいるように見えた。
「おい、降りるんだろ?」
再び声を掛けてみるも、エアロンはやはり返事をしない。グウィードは小さく溜息を吐いた。
「……ったく」
仕方なくエアロンの荷物に手を伸ばす――と、その手がピシャリと叩かれる。猫の目がギロリと睨んだ。
「……触んな」
エアロンが立ち上がる。コートに袖を通し、トランクを掴んだ。
鉛と琥珀がぶつかる、一瞬の間。エアロンはグウィードの厚い胸板に手をついて押し退けた。
「邪魔」
板張りの廊下を足音高く遠ざかって行く。グウィードは足元に感じた冷気にぶるりと身を震わせた。
「……やれやれ」
厄介な仕事になりそうだ。エアロンが機嫌を直すのにどれだけの時間がかかるだろう。
再びの溜息は白い水蒸気となって、サンドーベの街へ漂い消えた。
***
意外なことに、先に行ったはずのエアロンは駅の前で待っていた。腰に手を当て、これまた不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。グウィードは警戒しながら近付いた。
「……どうした?」
「なんか、すごい、人」
ぶっきら棒に単語だけを並べ、エアロンが眼下を指差した。
出口の向こうは煉瓦のアーチが続き、緩やかな階段が裾を広げている。階段の麓にはずらりと並んだ人の足。押し合いへし合いする群衆に紛れ、制服姿の警官たちが声を張り上げるも、誘導しようと伸ばした手は見向きもされず。
群衆は何かを待ちわびていた。
祈るように手を組んで。彼らの胸に垂れるのは、純白のロザリオ。
グウィードは目を細めて睨むように辺りを見回した。
「今日は何かあるのか? ヴァチカン教の祭りとか?」
「グウィード、あそこ」
群衆より頭一つ分背の高いエアロンが何かに気付く。グウィードも相棒の肩に掴まってつま先立ちになった。
それらは出現だけで喧騒を黙らせた。波打つような静寂が、感嘆の吐息と共に群衆の海を渡る。
行列の先頭は近衛歩兵団だ。濃紺の制服にベレー帽を阿弥陀に被った衛兵たちが、長槍の石突を打ち付けて街道を進む。続いて、黒いスーツに小銃を携えた近代的な兵士たち。
そして、彼らが護るのは。
白だ。
一点の曇りもない純白。
誇り高く神聖な白がそこにいた。
大勢の護衛に囲まれて白い人影が進み出る。フードを目深に被っているために顔は見えないが、辛うじて聖職者用の僧衣を着ていることが見て取れた。項垂れて歩みを進める様は慎ましくも、その姿からは厳かな雰囲気が漂っていた。
服装を見るに、その人物はヴァチカン教会の聖職者の中でも特に高い地位に就いているとわかる。身に付けるものすべてが白一色で統一されているものの、そこには金や銀の糸を交えた豪華な刺繍が施されていた。これほど煌びやかな衣装が用意されているのは、頂点に立つ教皇を除いて他にないだろう。
グウィードは強い興味を覚えて一層背伸びをした。
眩しいフラッシュにも、観衆の視線にも動じることなく、その人物は定められた道を突き進む――と、ふいにその顔が上がった。
「あっ」
何十という観衆をすり抜けて、真っ直ぐにこちらを見る眼差し。
衣装や透き通るような肌だけでなく、その人物は髪までも色がない。すべてを白が覆う中で、瞳だけが存在を際立たせていた。銀糸のような睫毛の下から覗くのは、世にも珍しい深紅の瞳。そのあまりの美しさに、グウィードをはじめ、観衆一同が息を呑んだ。
深紅の視線が狼の瞳を突き刺した。そして、微かに口角が上がる。
「え……?」
改めて目を凝らした時には、純白の聖人は既に通り過ぎてしまっていた。
群衆は行進を見届けるなり、思い思いに散らばっていった。熱狂したまま行進に付いて行く者、興味を失って宿に帰る者、吸い寄せられるように土産物屋に流れて行く者。
「エアロン! グウィード!」
うねる人の波を掻き分けて、こちらに向かう影があった。その人物は人混みに揉みくちゃにされながらも、黒い僧衣をたくし上げ、懸命に手を振りながらこちらに向かっている。やっとのことで二人のもとへ辿り着き、男は膝に手をついて息を整えた。緩く結った金髪が簡素なストラと共に肩から垂れる。
グウィードが驚嘆の声を上げた。
「お前……
「はぁ……やっとお会いできました。お二人のことは見付けていたんですがね、何分人が多くって」
好好は顔を上げ、筋のような糸目をより一層引き伸ばして笑顔を浮かべた。
「長旅お疲れ様でした。お会いできて嬉しいですよ、二人とも」
彼が探していた友人だとわかるとエアロンも思わず破顔する。
「久しぶり。またその髪型に戻ったんだね。今度は神父になったの?」
エアロンは上から下まで好好の全身を観察した。釣られて好好も自身の姿を見下ろし、それからケラケラと笑い声を上げた。
「ちょっと前の街にいられなくなりまして、ね。あー……今の私はクリストファー・イングリス神父です。お間違いなく」
「はいはい」
似非神父はにっこり微笑むと先に立って歩き出した。
「それでは、我が家にご案内します。こちらへどうぞ」
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