2-19 エピローグ―白の神官
エアロンが帰途についた頃、グウィードは
「ふー……あっちいな……」
避暑地として知られるエルブールは、気温こそ上がらないものの、日差しは十分夏を物語っていた。火照った肌に、エントランスのひんやりとした空気が心地良い。
「おかえりなさい、グウィード」
アンが出迎えに顔を覗かせる。グウィードは額に滲んだ汗を拭った。
「ただいま。主任から何か連絡はあったか?」
「特にないわ。けど、エアロンは一ヶ月早く戻ってこれることになったって」
「へえ。それじゃ、俺たちが静かに過ごせるのもあと少しだな」
アンはクスクス笑いながら仕事に戻っていった。
自室に荷物を置いたグウィードは、とりあえずシャワーを浴びに行くことにした。着替えを手にして浴場へ向かう途中、向こうから来た男に呼び止められる。
「グウィード」
それは赤茶色の髪に緑の瞳という目立つ容姿をした男だった。生まれ持った色彩こそ鮮やかだが、身に付ける衣服や本人の仕草は落ち着いた印象を受ける。顔立ちもそれなりに整っており、シルバーフレームの眼鏡が殊更理知的に見せていた。
この男こそ、茨野商会の現社長、サイモン・ノヴェルであった。
「社長」
グウィードは若干身構えつつも礼儀正しく答えた。
「今戻ったのか」
「ああ」
「顧客の依頼……ではないな?」
サイモンは素早くグウィードの全身に視線を走らせる。グウィードはその探るような眼差しに居心地の悪さを覚えた。
「主任にお使いを頼まれてたんだ」
「ほう、椿姫に」
サイモンは表情を変えない。彼がそれ以上何も言わないのを見て、グウィードは説明を求められているのだと気付いた。
「あ、えっと、本当にただのお使いだよ。知人に荷物を受け取りに行って、それを別の所に発送してくれって言われただけだった。だから、その通りにしてきた」
「それは何だった?」
「知らない。中身は見なかった」
答えながらグウィードは疑問に思った。
なぜ社長はそんなことを気にするのだろう?
「本当に個人的な用事だって言ってたぞ」
「ああ。部下を『個人的な用事』如きで勝手に私用したと」
グウィードは慌てて弁解する。
「それはあの、俺がちょうど暇だったんだ。最近俺が指名されるような依頼もないし」
サイモンは僅かに目を細めた。
「……そうか」
グウィードは落ち着かなげに視線を廊下へと彷徨わせた。
サイモン社長は昔からよくわからない人だ。厳しく高圧的で、少しでも反抗的な態度を見せると暫くはネチネチ皮肉を言われることになる。とは言え、彼が社長という絶対的な地位にあり、またその役に見合うだけの能力を持っているのだから、誰も無暗に逆らえはしなかった。
そんなグウィードの様子を見て、サイモン・ノヴェルは安心させるよう微笑んだ。
「いや、なに。そう畏まるな」
その笑みは表面的で不気味だったけれど。
「
「ああ、エアロンは調停官からの任務で――」
「知っている」
サイモンは短く遮った。
「椿姫がどこに行ったか知らないか? こちらは何の連絡も受けていないのだが」
「俺も知らない。主任はいつも何も言わないんだ、エアロンにも。ただ、今度はかなり長く〈館〉を空けるって言ってた」
「……迷惑な女だ」
そう言ってサイモンは歩き出した。去り際に言う。
「椿姫とエアロンに伝えておけ。お前たちの尻拭いはしておいてやったぞ、とな」
それはつまり、ドレルム町長及びリンデマン一家殺害事件に関する一連の問題を片付けたということだ。エアロンに掛かっていた殺人の容疑もどうにか握り潰したのだろう。
吉報だ。きっとそれを聞けばエアロンの気も晴れる。
グウィードは安堵しながら彼の後ろ姿を見送った。
***
さて。
エアロンともグウィードとも全く関係のない、どこか別の街では。
祈りを捧げる大勢の信者たちの前で、みすぼらしい身形の哀れな男が膝をついていた。彼の遥か頭上、天蓋には天使たちが白い翼を広げ、その祈りを聞き届けんと手を差し伸べている。
大聖堂は冷たく暗い。その広くガランとした聖域において、男は大勢の祈り手と共にありながら、同時にたった独りであった。
「罪人、カルロ・バジーリ」
ビクリと身を縮めた男の前に影が落ちる。
「顔を上げなさい」
その声は穏やかだが、およそ感情と呼べるものは宿していない。
恐る恐る顔を上げた罪人の目に映ったものは。
あまりに白く。咎人には直視することも許されぬ、穢れなき白だった。
「恐れることはありません。あなたを蝕む悪しき心から解放されるのですから」
神官セメイルはそう言って男の魂を〈浄化〉した。
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