2-15 小さな英雄

 幼い二人組は縺れるような足取りで廊下を走っていた。小さな体には豪華客船は広すぎて、走り通しのハーキュリースの体力は限界に近い。しかし、ここで倒れ込むわけにはいかなかった。彼には大切な使命があるのだ。


 絶対にルチアを守らなければ。


 ヘルは壁に手をついて息を整えると、不安そうに周囲を見回すルチアを振り返った。


「ルチア、大丈夫?」

「うん……」

「もうちょっとだから、頑張って」


 船尾に向かって角を曲がると、前方に立ちはだかる影があった。


「やあ、ごきげんよう」


 小柄な老紳士が目の前に立っていた。服装は小洒落ていて、笑い皺の目立つ柔和な顔立ちをしている。


「あれっ。おじさん、なんでこんな所にいるの? 悪い人たちがいるから危ないんだよ」

「平気だよ。みんな本当のことを知らないからね」


 ヘルとルチアは顔を見合わせた。相手は微笑む。


「実はね――この船に乗っている悪い人は私だけなんだ」


 紳士は真っ直ぐに銃を構えた。


「ヘル!」


 ルチアが悲鳴を上げる。ヘルは彼女の手を掴んで踵を返した。


「こっちだ!」


 弾丸が少年の金髪を掠り、壁を穿った。


 弾丸が貫く。反対側に走る。

 誘導されているとも気付かずに、二人はとうとう突き当りに追い詰められてしまった。


「あまりちょこまかしないでもらえんかな。私ももう歳なのでね」


 柔和な顔を冷徹に歪め、男が笑う。ヘルはルチアを背後に庇った。


「あっちへ行け! ルチアに手出しはさせない!」

「そのお嬢さんはルチアと言うのかい? べっぴんさんだ。将来が実に楽しみだが――しかしね」


 男は茶目っ気たっぷりに指を振って見せた。その瞳は笑っていない。


「私の目的は君なのだよ、少年。『アレ』は君が持っているはずだ。渡したまえ」

「何の話だ? ぼ、ぼくは知らないぞ!」

「だろうね。そんな危険な物、お父上が明かすわけないだろう。時に、最近病院か何かに行かなかったかね? その足の怪我とか?」


 男の視線が少年の太腿に向かう。ヘルは果敢に声を張り上げた。


「お前の質問になんて答えるもんか。なんのことだかわからないけど、お前の望み通りになんてさせないぞ」

「仕方ないねぇ。まあ、問題はないよ。恐らくだが、君が死体になっても『アレ』を取り出すのに支障はないはずだ」


 男の口が一音、一音、ゆっくりと動く。


 さ、よ、う、な、ら――と。


 ぽっかり空いた黒い穴が虚ろに少年を捉えた。

 震えた吐息が肩に掛かっていた。怯えるルチアの熱が背中に伝わる。


「ヘルぅ……」

「大丈夫、ぼくが守ってあげるから」


 船長さんが託したんだ。

 英雄の名を持つ、このぼくに。

 だから必ず。


 身を固くし、腕で体を庇い。

 


 パァンッ。



「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」



 一発の銃声。

 少女の悲鳴。




 ――そして、長い沈黙。


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