2-14 救出
エアロンは階段をいくらか降り、聞き出した部屋を目指した。
てっきり見張りがいるものと思っていたが、辿り着いてみると扉の前に人気はない。それでも念のため用心し、銃を握ったまま扉の傍までにじり寄った。呼吸を整える。扉を開けると共に身を翻して銃口を中に差し込んだ。
真っ暗だった。予想していた応戦の音は聞こえず、くぐもった声だけが彼に何かを訴えている。
暗い部屋の奥にアーヴィンド・マクスウェルの姿があった。椅子に座った体勢で体を縛られ、猿轡を噛まされている。
「アーヴィンド!」
エアロンは彼に駆け寄った。
「よかった。うわぁ、酷くやられてますね。すっごい痛そう」
「んーっ、んんうん、んっ」
殴られて腫れた瞼の下で、目が何かを訴えている。エアロンはその顔を覗き込んだ。
「なんです? 待って、今外してあげるから……」
「んんうんっ!」
鋭利な光が空を切る。
エアロンはくるりと振り返り、ナイフを握るその腕を掴んだ。
「なーんちゃって。全然ダメだよ、気配主張しすぎ」
掴んだ腕を強引に振り下ろし、肩に肘の一撃を叩き込む。次の瞬間には、強襲者フェドロフは床に押し付けられて動きを封じられていた。エアロンは膝立ちになってフェドロフを抑え込みながら、男に無理矢理上を向かせた。
「残念でした。今度こそゲームオーバーだ。観念して?」
「放せ、このクソガキ! 祖国のために、我々はここで負けるわけにはいかないんだ!」
「うるさいな。それって僕に関係ある?」
エアロンはフェドロフの太腿に銃を当て、銃弾を一発撃ち込んだ。フェドロフが痛みに悲鳴を上げる。
「降参してよ。仲間を殺されたくないでしょ?」
「ふざ、けるな! 我らは死を覚悟してこの作戦に挑んでいる。例えこの命果てようとも、祖国への非道に対する我々の主張は世界に――」
「届くわけないでしょ。調停官様が全部揉み消すに決まってるじゃないか。あんたさぁ、それに若い人たち巻き込んで、殉教という聞こえのいい自殺に道連れが欲しかっただけなんじゃないの」
「だ、黙れ……っ! 貴様に何がわかる!」
エアロンは呆れ顔で立ち上がった。見下ろす眼差しは鉛の如く冷徹に、足の傷口を容赦なく踏み付ける。
「わかんないね。生憎僕には帰属意識を持つべき祖国がそもそも存在しないからさ。あんたが命を懸ける『ソレ』は、生きていることよりも重要なこと?」
「当たり前だ。私たちが命に代えても失いたくないものは、先祖たちが悠久の時を経て紡いできた歴史や文化、そして繋がりなのだ! 祖国を失うことは、私を形作るすべてを失うことに等しい。他国に隷属し、何もかもを強要されるなら死を選んだ方がマシだ」
「はっ! 僕からして見れば、あんたはただ『自分』を国という『他人』でしか肯定できない弱い人間だ。なんで自分の外にあるモノに『自分』を求めるわけ? 自分のことなんだから、自分の中から自分の存在を肯定してみせなよ」
フェドロフは痛みに身を捩りながら、それでも笑みのようなものを見せた。精一杯の嘲笑、侮蔑。そして、唾と共に吐き捨てた。
「ふん、哀れな。この豊かさを、貴様は知らないんだ」
「願い下げだね。あんたみたいに惨めになるんなら」
エアロンは蹴った。脇腹を蹴り上げ、仰向けにして更に鳩尾に踵を埋める。呻く男を一瞥すると、彼は調停官の拘束を解きに行った。
解放されたアーヴィンド・マクスウェルは痛む全身を摩りながら、蹲るフェドロフを見下ろした。
「彼に何を言っても無駄だよ、ミスター。だが、私はあなたの主張が間違いだとは思わない。ただやり方が間違っていただけだ」
「黙れ……私はもう、後には、引けないんだ……っ!」
フェドロフがバネのように立ち上がり、アーヴィンド目掛けて襲い掛かる。しかし、散々痛め付けられた体の反応は鈍く、易々とエアロンによって阻止され、拘束されてしまった。
アーヴィンドは緊張の糸が解けたように椅子に崩れ落ち、顔を覆って天井を仰いだ。フェドロフの嗚咽と母国語で吐き続ける呪いの言葉が、この事件の終幕を物語っていた。
「助け出すのが遅れてすみません、アーヴィンド。おかげでボロボロですね」
「ああ、どうやら私は彼らに酷く恨まれているらしくてね。こっぴどくやられたよ」
「とりあえず、〈アヒブドゥニア〉号にご家族も避難しているはずですから、僕たちも向かいましょう。きっとあなたのことを心配していますよ」
エアロンは尚も暴れるフェドロフを乱暴なやり方で気絶させた。ぐったりした男の体を担ぎ、二人は部屋を出た。
「それで、こいつらの目的はなんだったんです?」
「条約さ。例の紛争の和平条約の原案を私が輸送していると思っていたらしい」
エアロンは驚いてアーヴィンドを振り返った。
「え? だってもう協定は済んでいるはずじゃ……?」
「そうだよ。彼らが勝手に勘違いしたのだ。丁度いいのでそう思い込ませておいた。誰に吹き込まれたのか知らないが、ただのデマに命を懸けるなんて、彼らもまったく哀れだよ」
アーヴィンドはちっとも悪びれず、むしろ清々しいほどの澄まし顔である。エアロンは怪訝そうに眉根を寄せた。
「それじゃ、あなたはなんでこの船に乗っているんです? 結局僕には何も知らせてくれてないってことですよね?」
「重要機密を運んでいるのは確かだよ。それが何かは君にも言えないがね」
「それは無事なんですか?」
「もちろん。息子に預けているからな」
エアロンは呆然と調停官を見送った。
涼しい顔で通り過ぎていく調停官は、独り満足げにほくそ笑んだ。
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