2-12 交戦
閉ざされた扉の前で立ち止まり、二人は呼吸を整えた。
ヘルは随分と健闘した。結局一度も遅れることなく、泣き言も言わず、船長の早足に付いて走り続けたのだ。息は上がり、立ち止まった時には思わず尻を着いてしまったが、まだ根を上げてはいない。
同じく肩で息をする船長も、壁に背を預けて天を仰いだ。
「心の準備は」
ドアノブに手を掛けて船長が問う。ヘルは彼の脚に掴まって立ち上がった。
「大丈夫。ぼくまだ行けるよ」
「ここが操舵室だ。用心しろ。逃げろと言ったら、すぐに逃げろ。いいな?」
「はい」
「……よし」
僅かに開いて一度間を開け。勢いよく扉を押す――……。
黒。灰色。
そう思った瞬間、船長は側面から衝撃を受けて扉に叩き付けられた。咄嗟に少年を掴んで庇うように抱き込む。長剣が床に当たって大きな音を立てた。
ぶつかって来たのはエアロンだった。青年は素早く手をついて立ち上がると、船長の長剣を引き抜いた。切っ先を並行に構え、敵に切り掛かって行く。
一息吐いて、船長は腕の中の少年を覗き込んだ。
「小僧、大丈夫か」
「ん、うん……」
鉄臭い外套に埋もれ、ハーキュリースが頭を振る。船長はほっと息を吐いた。
エアロンは二人の男とやり合っていた。そのうち大柄な方――フェドロフは弾切れなのか拳銃を捨て、ダガーナイフ一本で切り掛かって来ていた。エアロンの腕前は船長程ではないものの、長剣の長いリーチを活かして、器用に二人からの攻撃を躱している。
彼は善戦したようだ。部屋の隅にはすでに一人が倒れ、もう一人が身を起こそうとしていた。
それでも、いつまでも優勢は続かない。多勢に無勢。人数差は著しい体力の消耗という形で、エアロンに襲い掛かっている。早く助けに行かなければと、船長は辺りを見回した。
「ねぇ、船長さん」
ヘルが這って行き、何かを引き摺って戻って来た。見ると、それはエアロンの銃である。先程の衝突の際に落してしまったのだろう。
「そんなもの、小僧が持ったら危ないぞ。捨てろ」
「うん……意外と重いんですね、これ。でも船長さん、これ使ったらいいと思うよ」
船長は渡された鉄の塊を見下ろした。ひんやり冷たいそれは、殺人兵器として確かな重みを持っている――のだが。実は船長、セミオートマチックのハンドガンを使った経験が殆どない。
「船長さん、早く! エアロンさんが圧されてるよ!」
少年に急かされて銃を構える。銃口を敵に向け、引き金を引く――が、弾が出ない。きょとんとして銃身を見る船長の手から、ヘルが銃を引っ手繰った。
「貸して!」
安全装置を外し、スライドを引く。フロントサイトで照準を合わせ、両手で力いっぱい引き金を引いた。発射の反動で仰け反った少年を船長が受け止める。
「小僧……お前まさか……」
「ち、違うよ? 映画とか見てただけだから!」
弾は見事に立ち上がりかけた敵の大腿骨を撃ち砕いた。男が倒れる。その隙にエアロンがフェドロフのナイフを剣で力任せに薙ぎ払い、続けて返しの手で相手の顎を殴った。そのまま勢いを活かして跳び退り、落ちていたハンドガンを掴む。二、三発フェドロフ目掛けて発射した。全弾外れたが、エアロンは束の間息を整える暇を得た。
呆気に取られる少年の肩に手を置いて、船長が立ち上がる。
「小僧、お前はルチアを解放してこい。私はエアロンの加勢に入る」
「わかった」
エアロンが長剣を放って寄越した。受け取ってフェドロフに切り掛かろうと構えるも、開け放たれたドアから加勢が雪崩れ込む。
拳銃の弾が船長の脇腹を貫いた。鋭い痛みに振り返った瞬間、エアロンの弾丸が敵の手から銃を撃ち落とす。船長は新参の男に切り付けた。
拳銃と長剣。異なる武器を操りながらも、二人の息は合っていた。それぞれ違う相手と戦いつつ、同時に互いに気を配る。数の差を制し、戦況は徐々に好転していく。
一方、ハーキュリースもルチアのもとに辿り着いていた。流れ弾に当たらないよう四つ足で這って行き、机の下に潜り込む。少女は机の脚に両手を縛り付けられ、そこに顔を埋めるようにして室内の惨事から目を背けていた。
ヘルはそっと手を伸ばし、震える肩に触れた。
「ルチア」
「きゃっ! へ、ヘル……?」
「助けに来たんだ。船長さんも一緒だよ。もう大丈夫」
船長、という単語を聞いて、ルチアがハッと辺りを見回す。鉛色の青年と入れ違う形で身を翻した剣士は、まさにフェドロフのナイフを剣先で受け止めたところだった。
「よかったぁ……エアロンお兄ちゃんが助けに来てくれたんだけど、悪い人の方が多かったから……」
ルチアは金の睫毛を伏せて、唇を引き結んだ。涙を堪える健気な様子にハーキュリースは心を打たれ。しっかりしなければ、と改めて自分を鼓舞した。
「さあ、紐を切ってあげるね。ちょっと待ってて」
もう一度頭を下げて部屋を横切る。抽斗からカッターを探してヘルは戻って来た。汗で滑る手の平に力を込め、紐に当てた刃を慎重に引く。何度目かの試みののち、ルチアは解放された。
「んっ。切れた」
「あ、ありがとう、ヘル!」
手首は紐の跡で痛々しく変色している。少年はその細さを噛み締めた。
ちょうど時を同じくして、室内の交戦も終わりを迎えたようだった。長剣に煽られ一瞬後退りした隙を突き、エアロンがフェドロフの脚を払う。フェドロフは床に頭を打ち付け動かなくなった。
荒い息遣いだけが聞こえる。
横たわった男たちを蹴転がし、エアロンが汗を拭った。
「はっ、はぁ……これで一段落、かな?」
「……ああ。そのようだ」
船長が剣を納める。彼は少女の視線に気付き、机の下を振り返った。問いかける瞳に首を振って答える。
「まだ気を抜くな」
「やっばい。僕、もうへっとへと。やっぱ長いこと事務仕事ばっかりやってたらなまっちゃうよね。僕もちゃんとトレーニングしないとだめだな……」
エアロンが負傷した脚に応急処置を施す。船長は脇腹を押さえて壁に手をついた。
「あんたもやられた? どこ?」
「腹」
「具合は?」
「死にはしない」
「そ」
ハーキュリースは船長からの次の指示を待ち、ルチアの手を握ったまま二人の様子を見守っていた。その目が身動ぎする男の上で止まる。
「危ない!」
一発の銃声が部屋に響く。
鉛色の長身がぐらりと傾いた。
「エアロンさん!」
船長が一跳びで部屋を横切り、男の手から拳銃を蹴飛ばした。同時に顔面に重い一撃を加える。男が蹲るのを確認した後、彼はエアロンのもとに膝をついた。
「ったー……」
「大丈夫か」
「大丈夫じゃない。痛い。すごい痛い。息できない」
腹部を押さえて立ち上がる。船長が支ようと手を伸ばした。
「びっくりした。エアロンさん、死んじゃったかと思った」
「あのねぇ、コックコート一枚でぺろっと戦地に乗り込むわけないでしょ。こんなこともあろうかと、ちゃんと防弾ベスト着てますぅ」
穴の開いたコックコートの隙間から黒いインナーが覗いていた。
エアロンが時計を確認する。
「結構時間食っちゃったな。船長、僕はアーヴィンドを探しに行かなきゃ。あんたは?」
「まず二人を避難させ、その後パーティー会場の様子を見に行く」
「わかった。ねえ、僕の通信機がどっか行っちゃったんだ。もし船長のが無事なら貸してくれない? マチルダと連絡を――」
「船長さん! 悪い人が!」
ルチアが悲鳴を上げる。
いつの間にか意識を取り戻したフェドロフが、風向装置の脇をすり抜けて、下階の甲板へと飛び降りて行った。船長が窓に駆け寄って身を乗り出す。
「しぶといおっさんだな」
「フェドロフは私が追う」
「有難い。頼むよ」
船長がヘルを振り返った。青い目が少年を見下ろして。
「ルチアを頼む」
「えっ、ぼ、ぼく?」
「ボートを着けてある後部甲板はわかるな? ルチアを連れてそこへ向かえ」
「で、でも……まだ悪い人たちが……」
「ハーキュリース」
低い声が呼ぶ、英雄の名前が。
真っ直ぐに見る青い瞳が。
そして、手の中で震える少女の体温が。
彼に勇気を求めていたから。
「うん。わかった」
ハーキュリースは力強く頷いた。
船長が甲板に飛び降りるのを見届け、彼はルチアの手を握り直した。
「行こう、ルチア」
船長さんはぼくに男としての仕事を任せたんだ。
絶対に、守ってみせるよ。
***
操舵室に残されたエアロンはまだぶちぶちと文句を言っていた。
「あー痛い。息するとすごい痛い。これ絶対肋骨とか折れてるよ……」
腹立ち紛れに男の一人を踏み付け、短髪を掴んで上を向かせる。運悪く目を付けられてしまった男は、気絶から目覚めるなり自分の立場を理解した。
「僕、すっごい根に持つタイプなんだよね。痛いなあこれ。どうしてくれるの? ねぇ」
「ひっ……」
「うちの会社って規則はあるけどさ、殺しさえしなければ何しても許されるんだよね」
抵抗する男の傷口に銃口を押し付け、強く力を加えながら。
「さぁーて、君? 調停官の居場所、吐いてもらおうか。ん?」
エアロンがアーヴィンドの監禁場所を突き止めるまで、然程時間は掛らない。
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