1-16 〈天の火〉

 ちょうど同じ頃、町の反対側で、グウィードはハンドルを切った。狼の目が向こうの通りへ消えていくトラックの背を捉えたのだ。方向転換して後を追う。


「今のが?」


 耳元で椿姫つばき主任の声がした。


「ああ! 俺が見たのと同じだと思う!」


 エンジン音に負けじと声を張る。腰を掴む椿姫の手に少し力が入ったのを感じた。


 程無くして、前方に人影が見えた。すぐに近くの路地にバイクを停め、そこからは忍び足で距離を詰める。


 道沿いに空き地があった。然程広くはなく、普段はゴミ置き場に使われているらしい。そこに例のトラックが停められており、男が二人近くにいた。荷台にもう一人乗っている。彼らは荷物に掛けられたロープや布を外し、例の装置を組み立て始めた。


 グウィードは椿姫を背後に隠して、物陰から覗き込んだ。


「あれがその機械かい?」

「ああ。だけど、一体何なんだ、あれは?」


 人の胸の高さくらいはある大きな箱。複雑に管が絡み合い、別の小さな箱に結び付いている。目を引くのは、箱の上部から花開くアンテナだ。その姿は巨大な蓄音機にも似ているが、見た目だけでは用途は見当もつかない。

 振り返ったグウィードは、危なく椿姫の頭に肘打ちしそうになった。彼女は彼の腕の下から頭を出し、睨むような顔で彼らを観察していた。


「おい、どうするんだ? 問い詰めに行くか?」

「いや、もう少し様子を見よう。彼らが何をするつもりなのか知りたい」

「エアロンたちに無線を入れるか? それなら俺が行ってくるけど」

「そうだね……頼むよ」


 グウィードは彼女がちゃんと見つからない場所にいることを確認し、バイクの所へ戻った。荷台に括り付けた箱の蓋を開けてアンテナを広げる。

 そういえば、先程の装置は無線機のようにも見えるじゃないか。あれは受信するためのものなのか、発信するためのものなのか――……?


「こちら、グウィード。エアロン、聞こえるか?」


 返答まで少し間があった。無線機から雑音が流れた。音量を絞る。やがて、酷く聞き辛い女の声が答えた。


『こちらヴィス……ト。副主任はリンデマン巡査部長の……に向かいました。今はいません』

「いないのか。まあいいけどさ。例の奴らを見つけたぞ。蓄音機みたいな怪しい機械を設置してる」

『場所は……でしょうか』

「町の東側、線路から少し南。外周道路から一本入った道にある小さな空き地にいる」

『私たちも……方が……でしょうか?』

「うーん、エアロンが戻ったら聞いてみてくれ。とりあえず、俺と主任は奴らを見張るよ」

『承知しま……た。グウィード、気を付けて』

「おう」


 無線機を片付けながら、やけに今日は音質が悪かったことが気になった。距離はそれ程離れていないし、大きな障害物があるわけでもないのだが。


 短い悲鳴が聞こえ、彼はハッと顔を上げた。

 椿姫つばきにマントの男が詰め寄っていた。逃げようとするも腕を掴まれ引き戻される。


「その手を放しな。失礼じゃないか?」

「覗いていたのはそっちだろう。あんた何者だ? 警察じゃなさそうだが」

「おい!」


 グウィードが走る。

 しかし、彼が駆け付けるより早く、別の男が声を上げていた。


「そんな女放っておけ! 急いで撤退するぞ。俺は巻き添えを食うのはご免なんだよ」


 そう言う傍から、三人目の男はもう外周道路へ向かって走り出している。椿姫に詰め寄っていた男は何か言いたげに口を開いたが、結局掴んでいた腕を突き放した。ハイヒールがバランスを崩して倒れ込む。受け止めようと手を伸ばすグウィードの横を男たちが通り過ぎて行った。


「あたしはいい、追って!」


 椿姫が叫ぶ。その剣幕に押され、グウィードは反射的に男たちの後を追った。かなり遅れて椿姫が続く。


 外周道路には車が一台待っていた。エンジンは掛けたまま、扉も開けて乗り込み次第発進できるようにしている。最初の男が運転席に転がり込んだ。二人目も追い掛ける。しかし、三人目の男よりグウィードの方が速かった。


「待てっ!」


 マントの背を掴む。男はつんのめったが転ぶことはなく、衝撃でマントが外れて翻った。

 若い男だ。しかも、どうやら欧米人ではない。椿姫と似た極東の顔立ち。淡白な顔に怒りの表情を浮かべている。


「放せ」


 男が殴り掛かってきた。グウィードは大きく踏み込み身を屈め、掴んだマントで絡め取るように受け流す。そのまま布の海に巻き込んで乱暴に一発ぶち込んだ。


「うっ」


 男はよろめいたものの、すぐにこちらに向き直る。再度殴り掛かろうと拳を振り上げるが、前方から仲間の怒声が響いた。


「早く来い! 何やってる!」


 二人目が後部座席から叫んでいる。その形相は、明らかに切羽詰まっていた。仲間の声に駆られて、男は再び車を目指して駆け出そうとした。が、グウィードが離さない。男の脇腹に拳を埋める。男はそれを甘んじて受け止め、振り返りざまに肘鉄を見舞った。


「逃がすかよ!」

「お前、こんな所でこんなことしていていいのか? ――相方がどうなっても知らんぞ」

「え?」


 グウィードが反応した一瞬の隙を突き、男が逃走する。


「あっ、この!」


 椿姫つばき主任が追い付いた。


「グウィード、あたしたちもバイクで追おう。この道にいるからには行く先はわかってる」


 男が車に辿り着く。車は一目散に走り去った。グウィードはバイクのもとへ取って返し、外周道路で待つ椿姫の所へ戻った。


「橋の方へ行ったのか?」

「ああ。物凄く急いでいたけど、なんだろう? この町にいると危険があるのか――」

「そうだ! エアロンが危ないかもしれないって、さっきの奴が……!」


 蒼褪めるグウィードを椿姫が急かす。


「とにかく追おう。一本道だ、見失わないはず」


 バイクを走らせる。冷たい空気に息を止めながら、既に姿の見えなくなった車の後を追い掛ける。


 空気を何かが劈いた。


 音を聞いたのかと思った。

 しかし、違った。音ではない。


 耳が、こめかみが、脳が熱くなる。全身が、熱い。


 空気が裂ける――そんな考えが過った瞬間、激痛が頭部を貫いた。


「いっ!」

「なん、だ……っ?」


 割れそうな頭を抱え、グウィードは急ブレーキを掛けた。辛うじて事故は免れたが、横転したバイクと共に、堪らずその場に蹲る。

 脳が揺さぶられ、膨張する。激痛で声を上げることはおろか、呼吸すら十分にできない。


 それは一分にも満たなかったはずだ。にも関わらず、痛みのせいで何倍にも長い時間に感じた。漸く痛みによる拘束から解放され、なんとか体を起こした後も、脳を鷲掴みにしたかのような違和感が残った。


「っあ……なんだ今の……主任、あんた大丈夫か?」

「あ、ああ……」


 彼女も歯を食い縛ったままだ。その顔はいつになく蒼白である。


「グウィード、あんたが大丈夫なら、今からでも彼らを追おう」

「待ってくれ。エアロンたちが危ないかもしれない。もしかして、さっきので……」


 椿姫は強い力で彼の腕を掴んだ。黒い瞳が諭す。


「追うんだよ。あんたの相棒なら大丈夫だ。そうだろ? だから、あたしたちはこのチャンスを逃しちゃいけない」

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