1-15 早朝
朝四時過ぎのことだった。
仮眠を取っていたエアロンは、電話によって起こされた。疲労を隠し切れないハロルド・リンデマンの声が彼を覚醒へと導く。
『こんな時間にすまないね。エアロンくん、君たちが正しかったよ』
「どうしました?」
『マシューの遺体を見つけたんだ。君の言った通り、川岸に打ち上げられていたよ。大分下流に流されていたけどね』
マシュー・ドレルム町長はハロルドの古い友人だ。歳は少し離れていたが、幼馴染みと呼べる間柄だった。捜索の末に、変わり果てた友の姿を見つけた衝撃は、彼の精神を激しく揺さぶったことだろう。受話器越しにも憔悴が伝わってくる。エアロンは労わるように落ち着いた声を出した。
「そうですか……お辛いでしょうに、すみません。ご連絡ありがとうございます」
『いや、こちらこそだ。夜が明けたら検死に回す予定だよ。他殺だと証明して、絶対に犯人を捕まえなければ』
「僕らも協力しましょう」
『ああ……いや、だめだ。犯人逮捕は我々の使命だ。マシューの仇は私が取る。これ以上君たちを面倒に巻き込むつもりはない』
ハロルドは頑なだった。エアロンは尚も説得に掛かったが、絶対に警察の力だけで犯人を逮捕すると言って聞かなかった。それは恐らく茨野商会への不信などではなく、逮捕するという意気込みだけが、今の彼を支えているのだろう。それ以上はエアロンも食い下がれなかった。
「わかりました。ですが、何かあれば頼ってください。できる限りの事はしますから」
『ありがとう』
「ハロルド、一先ずあなたも休みましょう。朝には奴らが言っていた『計画』のこともありますから」
『そうだった。巡回を強化して、そのためには部下も休ませないと……』
電話口で口を噤む。深い溜息が聞こえてきた。
『だめだ。一晩で色んな事があり過ぎた。まさか、このエルブールでこんな……こんな、凶悪で、残酷な……マシュー……』
弱弱しい吐息が嗚咽に変わる。エアロンは無言でそれを受け止めた。やがて、優しい声で名前を呼ぶ。
「ハロルド」
『あ、ああ……すまないね、エアロンくん。失礼するよ』
エアロンは受話器を置き、エントランスホールへ下りて行った。
焦燥が募る。
何が彼をそんなに焦らせているのだろう。
エアロンは戦災孤児だ。気が付いたら瓦礫の中にいて、そこから茨野商会に拾われるまでずっと独りで生きていた。ここでの仕事は必ずしも綺麗で真っ当なものだけではない。彼自身が手を染めることはもうないとしても、人の死は、人殺しというものは、彼の人生に寄り添い続けている。当然ながら、世の中には非道な人間がいることも知っていた。
そのはずなのに。
きっと、心のどこかで「もう終わった」と思っていたのだ。例え仕事で危険な場所に赴くとしても、絶対にこの平和で安全な町に帰ってくる。彼の中におけるエルブールは、外界とは隔絶された神聖な場所になっていた。ほっと息を吐いて落ち着ける場所。何の悪意にも晒されない、守られた場所。
それが今、脅かされている。
「行こうか、ヴィズ」
エアロンが助手席に乗り込む。ヴィスベットはバックミラーに灰色の瞳をチラリと映し、無言でアクセルに足を掛けた。
***
当たりをつけた道を渡り歩き、町の中央部を潰していく。町外れで外周道路にぶつかると、別荘区に沿って北上した。道中に例の集団らしい影は見当たらない。
東の空が薄っすらと白み始めた。山々の輪郭が照らされ、爪の先ほどの大きさになった月が所在無さげに浮いている。
夜明けと共に町は少しずつ動き始める。パン屋に灯りが点り、新聞屋が路地に顔を出した。数時間後には号外が出るだろう。町はまだ町長の死を知らないのだ。だから、エルブールは未だ安眠の中にいる。
エアロンは頬杖をついていた。硝子に映る自分の顔が車窓を流れる町並みに重なった。胸のざわつきは治まらない。
見覚えのある通りに差し掛かった。そうだ、ハロルド・リンデマンの家がある通りだ。
昨晩リンデマン邸を訪れた時の記憶が蘇る。電話口での憔悴しきったハロルドの声も。事が済んだら見舞いに行こう。きっと、ハロルドは当分立ち直れないに違いないから。
その時。
鬼火が横切った。
「止めて!」
咄嗟に叫ぶ。ブレーキが掛かる。車が甲高い悲鳴を上げて停止するなり、エアロンは助手席から転がり降りた。
「ここで待ってて。もし十分経っても僕が戻らなかったら、警察に通報してくれ。ハロルド・リンデマンの家だ」
「かしこまりました」
ヴィズが答える。エアロンは頷き返して駆け出した。
『ねえ? あなたはあの警察の人と仲が良いの?』
あの娘は、その後なんて言ったっけ?
『――あなたに殺してもらうためなら、なんだってするつもりよ』
ドッと汗が噴き出した。心臓が早鐘を打つ。
寝静まるリンデマン邸。
悲鳴が明け方の空に響き渡った。
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