1-13 エアロン、行動を起こす

 事態は進展も無いまま夜が更ける。


 エアロンは苛立ちを紛らわせるように書類仕事に打ち込んでいた。黙々と計算機を叩いているが、何度も同じ計算をしていることに気付いて、度々髪を掻き毟っている。グウィードも先程まで一緒にいたけれど、この張り詰めた空気に耐え切れず、風呂だと言い訳をして出て行った。


 時計が一時の鐘を打つ。

 エアロンはバンと机を叩いて立ち上がった。


「……ダメだ」


 大股で部屋を飛び出す。

 静まり返った廊下に声高な足音を響かせて、向かった先は従業員の私室が並ぶ東棟。ある扉の前で立ち止まる。大きく一度息を吸い、躊躇うことなく踏み込んだ。


「うおっ!」


 ベッドの上で黒い肢体が跳ね上がる。完全に微睡みの中に落ちていたグウィードは、突然の襲来に悲鳴を上げ、犬のように四つ足を着いた。戸口に仁王立ちするエアロンに気付き、元々吊り上がった目を更に吊り上げて睨み付ける。


「ノックくらいしろよ!」

「寝てる場合じゃないぞ。グウィード、仕事だ」

「はあっ? えっ、だって、主任が今日は外に出るなって……」

「つべこべ言わずさっさと服着てくれない? エントランスで待ってるからね。一分以内に来ないと承知しないから」


 エアロンは言うだけ言うと派手に音を立てて扉を閉めた。


 グウィードは五十秒で来た。明らかに不機嫌だったが、それ以上に不機嫌そうな面をしている相棒を見ると大人しくなる。彼はホールに響かないよう声を落として訊ねた。


「おい、エアロン。どういうつもりだ?」

「ただの散歩だよ、さ、ん、ぽ。犬は毎日散歩が必要だって言うじゃないか。あ、僕が飼い主でお前が犬だよ。わかってると思うけど」


 などと言いながらエアロンが玄関扉の鍵を開ける。グウィードは不安げに後に続いた。


 遠くで梟が鳴いている。空には薄っすらと雲が掛かっているが、上空は風が強いのか、すぐに視界の隅へと流されて行く。

 月光に照らされた鉛色の長身はいつになく堂々として、その横顔からは先程の苛立ちが消えていた。対するグウィードは闇に沈む。まるで影のようにエアロンに付き従っていた。


「主任の命令を聞かなくていいのか?」

「しつこいなぁ。お前だって奴らをあのままにしておいていいとは思わないだろ?」


 思い出してしまった、死んだ男の濁った眼。

 グウィードは眉根を寄せた。


「それは……そうだけど」

「奴らは絶対に戻って来る。計画の実行が明日の朝なら、夜の間に何か行動を起こすに違いない」

「じゃあどうするんだ? 待ち伏せするのか?」

「そうだね。場所については考えてある。グウィードは確かバイクに乗れたよね? ちょっと運転してよ」

「えっ、無理」


 二人は車庫に向かって歩いて行った。


 隣接する小屋に灯りが点いている。そのぼんやりとした光の中に、女が一人立っていることに気が付いた。緩やかに波打つ金の髪。氷雪の如く涼しげで、しかしどこか影のある容貌に、美を感じない者はいないだろう。主任付きの女運転手、ヴィスベットだ。

 彼女はじっと動かない。こちらを見つめたまま、二人が歩み寄るのを待っていた。


「……ヴィズ?」


 目を凝らして呼び掛ける。


「まだ起きてたの? っていうか、ちょっと、なんて格好して……」


 美貌の運転手は寝間着らしいシャツ姿で、形の良い下肢を惜しげもなく晒している。目のやり場に困る二人を気にせず、彼女は抑揚の無い声で告げた。


「今晩車は使わせません。椿姫つばき主任からのご指示です」


 彼女は社有車の鍵束を見えるように掲げ、豊かな胸元にしまい込んだ。ぐうっと男性陣は声にならない声を漏らす。


「頼むよ、ヴィズ。バイク一台でいいんだけど?」

「ダメです。〈館〉へお戻りください。主任の命令は絶対です」


 取り付く島も無い。エアロンは顔を引き攣らせて呟いた。


「さすがにアレを無理矢理奪ったら減給じゃ済まないよねぇ……グウィード、なんとかできない?」

「俺っ?」

「冗談だよ。くそっ、ヴィズは主任の犬だからな……社有車は諦めて町中で調達するしかないか」


 そんなことを言っていると、ヴィズは踵を返して小屋に戻って行った。元々は庭師小屋だが、現在は社有車の管理をする彼女の私室になっている。

 彼女は三分と経たずに戻って来た。さすがに下は履いていた。


「どうぞ」


 ヴィズは二人に小屋へ入るよう促した。


「えっ、なんで」

「主任がいらっしゃいます」

「げっ」

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