1-12 消えた遺体

 椿姫つばき主任への報告を終えて数十分後。エアロンはハロルドからの電話を待ち侘びていた。例の少女のこともあり、落ち着かないこの状況をとにかく終わりにしてほしかった。


 ところが。

 もたらされた報告はエアロンに怒声を上げさせた。


『〈ホテル・フルメン〉に踏み込んだよ。しかし、君たちの言うようなモノは発見されなかった。それどころか、彼らはもう出て行ったそうだ』

「な、なんですって?」

『ちゃんとチェックアウトまでしていたよ。外周道路に向かって歩くのを見たという証言もある。今頃もう町を出ているだろう』


 エアロンは茫然と立ち尽くした。色々な疑問が浮かんでは消える。

 立ち去ったのはなぜなのか。明朝の計画は諦めたのだろうか。それとも、こちらに探られていることに気付いて計画を延期したのかもしれない。

 いや、とエアロンは結論付けた。

 それではメルジューヌ・リジュニャンの言動に辻褄が合わない。計画を実行するからこそ、彼に出て行けと忠告したのだ。つまり、計画が明るみに出ることについては一切問題にしていない。


 不穏だ。胸中のざわめきがどんどん悪化していく。


『――それで、なんだがね』


 電話口の声は怒ったような困惑したような、何とも言えない響きがあった。


『彼らがエルブールを出て行ったことはいい。願ったり叶ったりだ。しかしだよ、考えてみてくれないか――本当にマシューの遺体があったとして、誰にも気付かれずに運び出せると思うかい? こんな短時間で?』


 エアロンは口籠った。


『もちろん、不可能じゃないだろう。色々な――嫌な考えも含めて――考え方ができる。だが、我々は君の通報からすぐに駆け付けた。宿の主人は彼らが然程大きな荷物は持っていなかったと言う。車を使えばどうにかなるかもしれないが、そんな車両は目撃されていない』

「……何が言いたいんです、ハロルド?」

『本当に遺体なんてあったのか? どうしても……信じられない』


 嫌な沈黙が流れる。


「僕らが嘘を報告したと?」


 巡査部長は慌てて言った。


『いや、君たちを疑っているわけじゃないんだ。君の会社は常に町に対して誠実だったし、「殺人は請け負わない」という会社の規則も知っている。ただ、状況を考えるとどうしても――』


 しっかり疑っているじゃないか。

 エアロンは心の中で毒づいた。しかも、ハロルドが茨野商会の規則に触れたことから察するに、茨野商会がマシュー・ドレルムを殺した可能性まで考えているらしい。例の集団は不審でこそあれ、何か罪を犯したという証拠は何一つ無い。対して、茨野商会はあらゆる法律を雑草の如く踏み躙る。ハロルドが持ちうる情報の中で、茨野商会の方が明らかに疑わしいというのは、悔しいかな納得できてしまった。


「……信頼なんてあったもんじゃないな」

『ん? すまない、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ』

「なんでもありませんよ。ですが、これだけは誓って言えます。僕の部下は嘘を吐かない。もちろん、僕もあなたに嘘を吐いてなどいません。従って考えられるのは、犯人である彼らが部下の目を欺いたか、遺体をどこかに処分したかのどちらかです」


 ハロルドは少し間を空けて訊いた。


『それで、どちらだと思う?』

「今回は後者です。いくらあいつが鈍感でも、触って確認した死体を間違えるような社員教育はしていません。ですから――」


 エアロンは考える。

〈ホテル・フルメン〉から遺体を人に見られず持ち出すには?


 水を大量に飲ませて殺した遺体――水。


「川です、ハロルド。川を重点的に探してください」

『川?』

「ええ。〈ホテル・フルメン〉は川に面しているでしょう。僕の記憶が確かなら、地下階から川辺へ降りられる階段があったはずです。観光客もいないこの季節、夜に川を眺める人なんていませんから、それを使えば誰にも見咎められず遺体を処分できます」

『わかった。川辺の捜索にも人手を割こう。ありがとう、エアロンくん』


 巡査部長は慌ただしく電話を切った。


 エアロンは暫くそのまま受話器を睨み付けていた。

 エルブールは小さな町だ。警察署と言ったって、職員の数は多くない。対して、町を取り囲む自然の領域はあまりに広大なのだが。


「僕らに協力を求めてこなかったな」


 ぼそりと呟く。舌打ちが虚しく響いた。

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