1-11 椿姫主任
エアロンは直ちに警察署に電話を掛けた。マシュー・ドレルム町長の発見について、ハロルド・リンデマン巡査部長に報告する。ごくり、と唾を呑み込む音がして、受話器から震える声が流れて来た。
『……信じられない。いや、信じたくないんだが、とにかく調べに行ってみないことには何とも言えないな。私が〈ホテル・フルメン〉に行ってみよう』
「そうしてください。ところで、なんて言って押し掛けるつもりです? 情報源が僕たちだということは――」
『言わないから安心してくれ。私の方でも、君たちに依頼したことは秘密にしているからね。そうだな……マシューが〈フルメン〉に入るところを見たという通報があったことにするよ』
エアロンはホッと胸を撫で下ろす。
「助かります。くれぐれも気を付けてくださいね。相手は人殺しですから」
『ああ。情報ありがとう。捜査に進展があったら共有するよ』
「はい」
エアロンは受話器を置いた。
背後からグウィードが声を掛ける。
「俺たちは行かないのか?」
「行かないよ。依頼は情報収集までだからね。犯人逮捕は警察の領分だ」
営業所の裏口には迎えの車が待機していた。後部座席に乗り込む。車が緩やかに走り出すのを待って、エアロンは口を開いた。
「お前が〈ホテル・フルメン〉にいる間に、ハロルドの家に行ってたんだ。その帰りに変な女の子に会った」
「変?」
車窓は暗く、死霊のような自分の顔を映している。
「……僕に、殺してくれって言ってきた」
グウィードはぽかんと口を開けた。
「それは……確かに大分変な奴だな」
「お前に調べてもらった集団の一員らしい。僕のことを知っているみたいだったけど、僕はあんな子絶対に知らない。しかも、今晩中にエルブールを出て行けと言うんだ。気味が悪いと思わない?」
エアロンは胸を掴んで目を伏せた。眉間に皺が寄っている。
「あの子に会ってから、なんだか妙に落ち着かないんだよね。見た目は綺麗な子だったけどさ。なんて言うか……普通じゃない。本当に上手く説明できないんだけど、すっごく嫌な感じ」
グウィードはまじまじと相棒の横顔を見つめた。
「そういえば、俺も――」
「着きました」
運転手が告げる。
茨野商会の本社、通称〈館〉は、麓の営業所から私道を上った所にある。重厚な古い石造りの洋館で、事務所と言うより社員寮として使われていた。
メイドのアンがポーチに立って待っていた。
「
「えっ、早くない? いつ着いたの?」
「ついさっき。車が通ったの気付かなかった?」
「ちぇっ。グウィード、夕飯は待たなくていいよ。長くなるかもしれないから」
グウィードと別れ、アンに付いて廊下を進む。
約一分後、エアロンは机越しに赤いスーツの女と対峙していた。濡れ羽色の艶やかな髪と意志のある瞳。椿姫は黒ストッキングの脚を組み、目の前で直立する部下を見上げた。
「呼び出して悪いね。予定が急に変わったんだ」
彼女の英語は訛りを感じさせない。長旅だったはずだが化粧の崩れ一つ無く、その立ち振る舞いには、いつだって微塵の隙も見せなかった。
「明日の昼の汽車でまた出るよ。次もかなりの遠征になるから、また暫くここを空ける」
「最近特に出張が多いですね。何をしているのかは教えてくれないんですか?」
「教えないねぇ。ま、あんたには今のところ関係の無い話さ」
エアロンは不満そうに片足に体重を掛けた。
「で、レポートだけど」
「どうぞ」
きちんとタイプされた数枚の紙は、エアロンの努力の賜物だ。椿姫は小さく感嘆の声を上げる。
「おや、他の町のことも調べておいてくれたのかい。過去四件の比較? これは助かるね」
目論見通りの称賛だが、エアロンは澄まし顔で聞き流した。
「ベルモナは際立って被害が大きかったようです。目立つ特徴としては、災害の発生と同時に頭痛を訴える人が大勢いたとか」
「頭痛、ねぇ……」
そう言って読み始める彼女をエアロンは遮った。
「主任、急ぎでご報告したい事がありまして」
「なんだい」
「マシュー・ドレルム町長が殺害されました」
エアロンは町長の失踪に関する一連の出来事を掻い摘んで説明した。
「困ったことになったね。この町で後ろ盾を失うのは辛い」
茨野商会はその事業内容上、法律という枠の外にいる。存在を完全に秘匿して営業を続けることは不可能ではないけれど、それ以上に政治的な後ろ盾によって得られるメリットは大きい。山に囲まれ人目に付かず、かつ彼らの存在を許容し共存してくれるエルブールは、まさに理想的な土地だった。
「新町長には粉を掛けとくとして……リンデマン巡査部長から我々のことを上手く掛け合ってくれるよう頼む必要もある」
「僕は例の集団のことが気になります。他の町でもそういった怪しい動きをしている集団の噂は聞きませんか?」
「どうだろうね。終戦からずっと、怪しい奴は増える一方だから――うちも含めてね」
彼女は何を考えているのか黙り込んでしまう。待ってみたが続きが無いので、エアロンは痺れを切らして口を開いた。
「彼らがトラックで持ち込んだっていう機械、何に使うものかわかりませんか?」
一瞬の間が空く。
「……知らないね」
エアロンはチラリと椿姫を見たが、彼女は既にレポートに目を戻していた。
「もう一つ、不可解なことがあるんです」
エアロンはメルジューヌ・リジュニャンの話を繰り返した。さすがに「殺してくれ」などと突拍子も無いお願いをされたことには触れなかったが、彼女が明日の朝について言及した内容はできるだけ忠実に再現した。
「彼女には何か僕らがいると不都合なことがあるのかもしれません」
主任は怪訝そうに眉を吊り上げる。
「その子は茨野商会の存在を知ってるって言うのかい?」
「その可能性はあります。僕の『お仲間』と言っていたんですから」
「できるだけ隠れて商売しているつもりだけど、どうしたって存在を完璧に隠匿するのは不可能だ。問題はうちと敵対しているかどうかだね」
「そりゃあ昔はやんちゃもしましたけど、最近はどこかと敵対するような危ない仕事はやってませんよ。裏仕事専門のグウィードですら暇してるくらいですから」
エアロンはさっぱりわからない、と首を振った。色々と遡って考えてみたが、今までどんな危ないヤマも、なんとか表沙汰にならないよう解決してきたつもりだし、それらしい因縁は思い付かなかった。
「エアロン、あんたはその子の言葉に従った方がいいと思うかい?」
「え? もちろん思いませんよ。考えるまでもないじゃないですか」
「そうかい? あたしは従った方がいい気がしているんだけどね」
「は?」
素で驚いた声が出る。
確かにメルジューヌと名乗る少女からは悪意は感じられなかったのだが、そうでなくても十分不穏ではあった。信用する要素が一切無いではないか。
「相手は殺人も厭わない集団ですよ? どんな裏があるかもわからないのに。なんでそう思うんです?」
「何となくさ。ただ……」
主任はその先を言わなかった。エアロンは苛々と吐き捨てた。
「どのみち今晩中に全社員を移動させるなんて不可能です。足が足りないし、行く当ても無いんだから」
「そんなことどうにでもなる。だが、まあ……あんたが納得しないなら諦めるよ」
鉛色の瞳が睨み付ける。迎え撃つ黒真珠は何も答えなかった。細く開いた窓から夜風が吹き込み、張り詰めた空気を掻き乱していった。しかしだ、と椿姫主任が口を開く。
「あんたの言う通り、警戒は怠るべきでない。社員たちには、今夜から明日の午前一杯〈館〉の外へ出ることを禁止する。営業所に行くのも駄目だ」
「わかりました――が、僕は従えません。ハロルドからまた何か依頼が来るかもしれませんからね」
「勝手は許さないよ。まあ、とにかく今は、リンデマン巡査部長からの連絡を待とう」
エアロンは一礼して退出した。
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