1-8 レポート

 メイドのアンはソファーの端に腰掛けたまま、躊躇うように目を伏せた。その仕草は身に纏うエプロンドレス同様に慎ましく上品だ。


「――それで、その方は亡くなったんでしょう?」


 エアロンはぼんやりとタイプライターのキーを指でなぞっている。


「そう。バーデンっておっさんがね。おかげで、あの依頼について追及されることはなくなったわけだけど……まあ、あまりいい気分じゃないね」


 彼は肩を竦めた。アンは同情を顔に浮かべている。


「あなたたちが〈天の火〉に巻き込まれなくて本当によかったわ。街の被害は相当酷かったんでしょう?」

「うん。僕は顔が割れてるから市街地までは行かなかったんだけど、グウィードの話じゃあ地獄絵図だってね」


 電磁波災害による死傷者は、その大部分が火災か交通事故による。そのため、延焼の可能性がある場所や信号機、路面列車等については多くの街で電気の使用が撤廃されているのだが、ベルモナはすべてにおいて電化を進めていた。その結果の大惨事だろう。極小規模だったにも関わらず、その被害状況はここ数年で一番だと新聞では言っていた。


椿姫つばき主任はどうしてベルモナに興味を持ったのかしら」


 アンが首を傾げる。

 椿姫はエアロンの上司にあたる日本人女性だ。色々と謎の多い彼女がエルブールの本社にいることは殆どなかったが、時折エアロンに用事を言い付ける。今回も突然電話を寄越したかと思えば、明日彼女が戻るまでに、ベルモナの被災状況についてのレポートがほしいと言ってきたのだ。

 エアロンはレポートのせいで後回しにされた書類の山を睨み付けた。


「知らないよ。ただ……うん、確かにベルモナで起きた〈天の火〉は、今までのケースとはちょっと変わってた」

「どんな風に?」

「頭痛だよ」

「頭痛?」


 アンが怪訝そうに聞き返す。エアロンは顔を顰めて頷いた。


「私はまだ〈天の火〉を体験したことがないんだけど、居合わせると頭が痛くなるの?」

「そんな話聞いたことないでしょ? 一般的に、電磁波災害が直接人体に影響を与えることはないと言われてるからね――たった一つの例を除いては」


 エアロンの目が陰る。それを見て、アンはハッと口を押えた。


「日本ね?」

「その通り」


 彼は頬杖をつきながら、机の表面をコツコツと叩き始めた。その顔は思案気だ。


「この十九年間で被災者に頭痛が確認されたのは、十六年前の日本で起きた一度だけだ。知っての通り、あれで日本は壊滅したと言ってもいいくらいだからね。あの時程でないにしても、ベルモナの被害もかなり酷かったよ」


 ショートした電気系統からの出火の他、瞬間的な頭痛のために起きた事故が被害を拡大させた。車や路面電車が玉突き事故を起こし、暴走した馬車が通行人を轢き殺した。もっと簡単なものでも、階段から落ちた、刃物を取り落として怪我をしたなど、挙げだせば切りがない。

 災害発生後、病院には人が殺到した。しかし、彼らに健康上の異常は見られず、また後遺症も殆ど確認されていないらしい。頭痛の原因は目下調査中のままだ。


「やっぱり日本のご出身だから気になったのかしら。でも、それがこのレポートの理由なんだったら、前半の依頼の件はいらないんじゃない?」


 それを聞いてエアロンは大袈裟に傷付いた顔をした。


「ええっ、あんなに華麗に遂行したのに?」


 と言いつつ、彼もふぅと溜息を吐く。


「……わかってる。ただ、何か予兆とか手掛かりが無かったかなぁと思ってさ」


 途方に暮れたその顔は、思い付くものが何も無かったことを物語っている。

アンは半ば呆れ顔で言った。


「箇条書きで列挙するだけでいいじゃないの。求められているのは被害状況の報告だけでしょう?」

「まあそうなんだけど……」


 エアロンは髪を掻き毟った。


「いーや、だめだね。それじゃあ僕は納得しない。新聞を読めばわかるような内容じゃ、わざわざ僕がレポートを作る意味がないじゃないか。求められたモノは百パーセント完璧に。プラスで気の利いた資料の一つや二つ用意しないと――」

「エアロン。あなた、サイモン社長に毒されてるわよ」


 エアロンはがっくりと椅子の背に崩れ落ちた。

 報告書の叩き台はとっくにできているけれど、どうやら主任が〈天の火〉そのものについての情報を集めているらしいと察した彼は、ベルモナの被害の特異性についてある程度根拠のある仮説を捻り出したいのだった。


「……主任に『気が利く』って思われたいのね?」


 アンがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。エアロンはキッと彼女を睨み付けた。


「はあ? 違うし? なんで僕があの人に取り入るような真似しなきゃいけないのさ。僕は自分の優秀さを示したいのであって――」

「ああ。主任に『優秀だ』って思われたいの」

「主任にどう思われたいとかじゃないんだってば!」


 アンが顔を隠して笑っている。彼は不平を溢しながら紅茶を啜った。


「さっきからなんなの? 僕は、僕のために、僕が優秀であることを示したいの! そこを勘違いしないでほしいね。そもそも、僕が優秀なのは当たり前のことだけどさ!」


 優秀たる僕は斯く在るべき云々。アンはそれらを軽く聞き流して帰って行った。


 その後また暫くして、エアロンがレポートを諦めて他の仕事に取り掛かった頃、営業所にグウィードが戻って来た。


「おかえり。遅かったじゃないか」


 さぞ収穫があったんだろうねぇ、と疑うように訊ねたエアロンは、グウィードの姿を見て唖然とした。なぜだろう。昼に見たときよりも全体的に汚れている。


「なんかグウィード汚くない? あ、元からだっけ」

「喧嘩売ってるのか、お前」

「ちょっとだけね」


 グウィードはどっかりと椅子に腰掛け、書類の山に埋もれるサンドイッチの包み紙を指差した。


「それ、食っていいか?」

「いいけど、もうすぐ夕飯じゃないの?」

「沢山歩いたから腹減ってるんだよ。林の端から戻って来たんだ」

「はあ? なんで? お散歩?」

「違う。とりあえず報告だが……」


 グウィードは一部始終を話して聞かせた。〈ホテル・フルメン〉に忍び込んだこと、マントの集団の後を付けたこと、トラックの荷台の中身について――等。エアロンの視線は手元の書類に注がれていたが、聞き終えると手に顎を乗せて「ふぅん」と言った。


「グウィード、女性の部屋に忍び込んだんだ。最低だねぇ」

「ばっ」


 浅黒い顔が紅潮する。


「入ったらたまたま女の部屋だっただけで……ていうか、気にするところはそこじゃないだろ!」

「下着、何組あった?」

「……三組」

「しっかり見てんじゃん」


 琥珀の瞳が睨み付ける。エアロンはケタケタ笑った。


「彼らがエルブールの近くから来たとは思えないから、前後一泊として、明日には撤収するってところかな? 彼らの言っていた『明日の朝決行すること』って何なんだろうね?」


 グウィードはむっすりと咀嚼しながら答えた。


「俺にわかるわけないだろ」

「本当だよね。結局、彼らの素性に繋がるような情報は何一つ見つけられていないじゃないか。ハロルドになんて報告したらいいんだ?」

「う」

「なーんて。別にいいよ。お前が行って取って来れた情報がこれだけってことは、相手もなかなか周到な奴なんだろ。それがわかっただけでも十分だ」


 エアロンは二、三の単語を書き留める。


「グウィードが聞いてきた会話から推測するに、これが他にも何台かあって、運んで来るための相談をしていたんだよね。町中で組み立てるつもりなのかな。その配置場所を相談していた?」


 エアロンが推理している間、グウィードは一切邪魔をしない。黙ってサンドイッチを平らげながら、相棒が手元の紙に線を引いたり丸を描いたりするのを見守っていた。結局、エアロンは匙を投げた。


「だめだ。せめて、荷台に積まれていたのが何なのかわかればいいんだけど。僕も機械類はちんぷんかんぷんだしなぁ。明朝ってことは、今晩中に何か行動を起こすことはないのかな? もう少し情報がほしいけど……とにかく、明日は朝早い時間帯から警戒するようハロルドに伝えておこう」

「一晩ホテルを見張っておこうか?」

「ああ、一泊するっていうのはいいかもね」


 グウィードの提案に、エアロンはじっと考え込む。


「実はね、ホテルで女の子が『見張りを交代する』って言ってたのが気になってるんだ。見張らないといけないようなものって何だと思う?」

「盗まれるくらい価値の高い物?」

「または、逃げ出す恐れのあるモノ」


 二人は険しい表情で目を合わせた。二人とも同じことに思い至っていたのだ。

 エアロンはコート掛けに手を伸ばした。グウィードも包み紙を捨てて立ち上がる。


「ハロルドの所に行ってくるよ。グウィードは〈ホテル・フルメン〉に泊ってくれ。可能であれば、地下階の部屋を探るんだ」


 町長の行方は未だ掴めない。ゴシップを漁りに行ったメイドたちも、町へ捜索に向かわせた手隙の社員たちも、決定的な情報を得られないままだ。もちろん、家にも戻っていないという。


 誘拐の可能性が見えてきた。

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