1-7 ベルモナ⑤ ベルモナの結末

 落日が稜線を際立たせ、束の間空を鮮やかに彩った。橙が濃くなればなる程に天上の青は紺を経て夜の色へ近付いてく。頭上に星が瞬き始めた頃、ベルモナの街にもポツリポツリと明かりが散った。


 グウィードは闇に紛れて発電所の塀を乗り越えた。道具を使って裏口の鍵を開け、易々と内部に侵入する。過去に別の発電所に忍び込んだことがあり、凡その構造は予想がついていた。躊躇うことなく制御室へ向かう。

 この辺りには当直の職員は配置されていないようだ。物騒なことをせずとも、守衛の見回りさえ注意しておけば問題無く任務を遂行できるだろう。グウィードは制御室に入り、壁のように並べられた訳のわからない装置の前で腕を組んだ。


「えーっと、遮断装置を配った家がある区画だけ切ればいいから……」


 住所のメモを見る。幸いにして、十件の家は三つの区画に配置されていた。

 耳元でノイズが走り、通信機から相棒の声が響いた。


『こちらエアロン。グウィード、上手く入り込めた?』

「当然だ」

『こっちも確認終わったよ。みんなお利口さんにちゃんと家の前に設置してくれてる。いつでもグウィードのいいタイミングで決行してくれ』

「ちょっと数が多くてな……よし。やるぞ」


 グウィードは今一度除外する三ヵ所を確認し、順にレバーを上げていった。通信機からエアロンが言う。


『おっ、消えた――あはは、驚いてる驚いてる。うん、もう戻していいよ』

「おう」


 先程と同じ順番でレバーを戻す。

 グウィードは通報により慌てふためく当直室を尻目に、来た時と同じく音も無く発電所を抜け出した。



***


 一夜明けてもベルモナは騒然としたままだった。

 地方紙は一面で書きたてる。


『ベルモナで大規模な停電――〈天の火〉再び?』


 時間にして一分か二分のことだった。それでも、電磁波災害の恐ろしさを知る現代人にとっては、十分すぎる長さだったに違いない。十年前のベルモナ、またはラジオや新聞で見聞きした他国での甚大な被害が頭を過る。殊に、壊滅と言っていい程の被害を受けた日本国を思い返せば、その恐怖は何倍にも膨れ上がっただろう。


 ところが、実際に被害状況を確認してみると、懸念されていた事故や火災といった二次災害は一切起きていなかった。電子機器の破損も、送電設備の不具合も無い。


『電磁波災害発生も被害極小――災害に強い街ベルモナ』


 ベルモナ市長は張り切ってそんな記事を書かせた。当然ながら、電磁波災害の専門家たちが黙っていないだろうが、単なる発電所のミスだと指摘が集まるのは何日も先のことだ。実行犯の二人は既に姿を消し、あれが人為的なものだったという証拠は何も残らない。

 広場では、連日あの謎の商人を探し求める人々の姿が見られるようになった。選ばれし幸運の十名が騒ぎ立てたのだ。


「うちの周辺は停電一つしなかったぞ。電磁波遮断装置の効果は絶大だ!」


 それを聞いた住人たちは広場に殺到する。

 あの鉛色の青年はどこだ? 電磁波遮断装置を買わなくては。

 もちろん、チラシに書かれた連絡先は繋がらない。



***


 さて、エアロンは。

 三度目の酒場にて、バーデンの前で種明かしを楽しんでいた。


「〈天の火〉信者たちは撤退したようですね?」


 バーデンは茫然自失状態で白髪頭を掻いている。


「ははは、当然ですよねぇ? せっかくカミサマが罰を下したはずなのに、なぁーんにも被害が無いんだもの。あはははは」

「一体、何が何やら……」


 エアロンはチェシャ猫のようにニヤニヤ笑っている。その笑顔は初対面の時に浮かべていた爽やかな笑顔とは正反対の、悪意すら感じられるものだった。


「たかが偽の電磁波災害ですけど、彼らはもう戻ってきませんよ。極め付けに電磁波遮断装置まででっちあげてやったんです。そんな街じゃ布教もデモも形無しですから」


 エアロンは契約書の完了欄にサインを求めた。促されてバーデンも支払い用の小切手を取り出すが、渡さず渋る様子を見せる。エアロンは手を差し出したまま微笑んだ。


「何か?」

「あ、いや……」

「本当に〈天の火〉信者たちが戻って来ないか心配されているのでしたら、期限を設けて様子を見てもいいですよ。万が一彼らが戻ってきても、また僕らが追い払います。それまで支払いを待ちましょうか?」

「あー……そうだな。そうしていただきたい」

「かしこまりました」


 エアロンは鞄から支払い猶予に関する書類を取り出しながら、バーデンを一瞥した。


「では、こちらの書類にサインを――念のため申し上げておきますが、期限を過ぎても支払いが確認されない場合には、弊社から取立人を派遣することになっております」


 彼がパチンと指を鳴らすと、隅の暗がりから人相の悪い男が現れて背後に立った。琥珀色の瞳が威嚇するように睨んでいる。怯むバーデンを見てエアロンはにっこりした。


「……ですので、踏み倒すのはあまりお勧めできません」


 ところで、と彼は話を変えた。


「僕、昨晩暴漢に襲われたんですよ。あれ、あなたのお仲間ですよね? バーデンさん」

「は。何をいきなり――」

「襲ってきた男の中に、あなたの息子さんがいたんですよ。本当に息子なのかは怪しいところですが。本当は僕にノイマンを紹介したのではなく、彼に僕の顔を覚えさせるために引き合わせたんですよね?」

「い、言い掛かりだ!」


 バーデンが椅子を蹴って立ち上がる。激高した男がハッと顔を上げた時には、グウィードが彼の隣に移動していた。鍛え上げられた肉体が、相応しい威圧感で以って彼を牽制する。バーデンはゴクリと唾を呑んだ。


「仰る通り、確証はありません。単なる僕の憶測ですよ」


 エアロンは優雅に両手を差し伸べて見せた。


「ただ、あなたの言動には、なんだか引っ掛かるところがありましてね。調べてみたら、僕と同じように架空の会社をでっちあげて、商売しようとしている輩がいるではありませんか! バーデンさん、あなた方は電磁波災害に関する偽の商品を作って、この街で販売するつもりだったのではありませんか? だから、電磁波災害は神の御業だとか騒いでいる〈天の火〉信者たちが邪魔だった――実際には大人しい人たちでしたけどね――それでわざわざ僕に追い払ってくれと依頼したのに、事もあろうにこの僕が、あなたたちがやろうとしていることを先にやってしまった」


 エアロンは至極楽しそうだ。硬直するバーデンの顔が面白くて堪らない。


「僕は最初に言いましたよね、バーデンさん? 『隠し事はありませんか?』って。素直に打ち明けてくれていれば、誰も怪我をしなくて済んだし、むしろ相談にも乗ってあげたのに!」


 彼は笑いを堪えながら唇に指を当てた。


「次回ご依頼いただく際は、隠し事は無しにしてくださいね? ま、次回なんて無いと思いますが」


 バーデンはエアロンを睨み付けたまま拳を震わせている。見透かされていたことを恥じているのか、単純に腹を立てているのか。エアロンはそんな彼に微笑み掛けると、グウィードに合図して大きな箱を持って来させた。


「どうぞ。初めてのご依頼だったということで、これは僕からの細やかな贈り物です」

「……なんだ?」


 バーデンは警戒した。


「僕が配った電磁波遮断装置ですよ。これを複製すれば、きっと飛ぶように売れるでしょう。街の皆さんもこれの効果は目の当たりにしていますからね。是非あなた方の新しいビジネスにお役立てください」


 予想外の贈り物にバーデンは戸惑う。


「え。だが、しかし……」

「ご安心を。あなたがどんな商売をしようと、僕らには全く興味がありませんから。構造は簡単ですよ。電気を通せば緑の豆電球が光るようにしておいて、後は適度な重さを出すために、廃材をたっぷり詰めるだけです」


 箱を相手に押し遣って、エアロンは小切手にサインするよう促した。種明かしから翻弄され続けたバーデンは呆気に取られるまま言いなりになる。それを回収し、エアロンは爽やかに挨拶をして酒場を後にした。


「それでは、失礼しますよ。あなたの商売が上手くいくようお祈りしています」


 扉を閉じてから、彼はニヤリと笑って付け加えた。


「あんなガラクタ、すぐに売れなくなるだろうけどね。あの停電が〈天の火〉じゃないってわかったら一発だ」



***


 ベルモナで本物の電磁波災害が起きたと聞いたのは、帰りの車中であった。


「あっぶなー……あと一日遅かったら僕の作戦が台無しだったじゃん」


 何というタイミング。エアロンは蒼くなりながら列車の座席からずり落ちた。

 この知らせを聞き、〈天の火〉信者たちはそれ見たことかと狂喜しただろう。いや、今まさに大喜びで引き返しているところかもしれない。


 楽観的に列車の運行再開を待っていた二人は、すぐに事態の深刻さを思い知らされることとなった。


 高い電気普及率が仇となったのだろう。

 ベルモナは多数の死傷者を出し、半壊状態になったという。

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