1-6 ベルモナ④ 電磁波遮断装置
今日も広場には人だかりができている。その中心には、あの鉛色の青年が。
「お集まりいただきありがとうございます。本日はとっておきの品をご覧に入れましょう」
彼がそれに掛けられた布を取り払うと、聴衆は挙って爪先立ちになる。
それは両手で抱えられる程の大きさの四角い箱であった。上部には折り畳み式のアンテナが二本ついており、電源コードを繋ぐための穴が開いている。
「これこそが上級研究機関との共同研究によって発明された、電磁波遮断装置でございます!」
聴衆から「おおっ」という声が上がる。
「使い方は実に簡単です。お家の前に設置して、電源を繋ぐだけ! これでもう装置は稼働しています」
エアロンはそれを簡易発電機に繋ぎ、電源を入れた。緑のランプが音も無く灯る。
「この二本のアンテナが見えないバリアを張って、皆さまのご自宅を守ります。騒音無し、振動無し、メンテナンスも最低限! どうです、素晴らしい装置でしょう?」
エアロンが白い歯を覗かせると、婦人たちが熱心に頷き返した。一方、あまりに都合のいい「無い無い尽くし」に疑問の声も上がる。
「そんなので本当に〈天の火〉に効果があるのか?」
「もちろんです! 事前に行った運用試験では高い成果を出しています。ですが――」
エアロンは訳の分からないグラフを掲げるのをやめ、意味深長に声を潜めた。
「まだ絶対とは言い切れないのが正直なところです。と言うのも、この規模の装置では街灯のような広範囲に渡る設備や、電車のような電力の大きい物には対処しきれず、若干の電磁波を通してしまうのです――しかし!」
再びの大声に一同はビクリと身を縮ませる。いつの間にか、人々は彼の芝居がかった演説に引き込まれていた。
「一般家庭程度の電力であれば、十分に電磁波の影響を防ぐことが実証されていますので、ご安心ください」
一部には安堵の溜息すら聞こえる。エアロンは熱い視線に微笑で答えながら、演説のクライマックスに向かった。
「本日はこちらを十台、ご用意いたしました」
「十台? たった十台しかないのか?」
飛んできたその声にエアロンはすまなそうに眉尻を下げる。
「生憎、まだ量産体制が整っていないのです。その代わりと言っては何ですが、本日ご用意したこちらの十台は、ご希望いただいた方に無償で差し上げようと考えています」
「ええっ、無償で?」
エアロンは自信に満ちた表情で、どよめく聴衆を見渡した。
「そう、無償で! まずはこの装置の性能を知っていただかなくてはなりませんからね。希望される方は前の方にどうぞ。人数過多の場合は抽選を行いますので――」
厳選なる抽選を経て、幸運な十名に装置が渡される。抱えるとずっしり重たいそれは、如何にも高度な科学技術の結晶のようであった。
エアロンは配る際に住所と氏名を書かせていた。
「アフターサービスのためにね。有事の際には駆け付けますよ」
また、装置は家の前、必ず屋外に設置するよう念を押した。
「何より電磁波の侵入を防ぐことが目的ですから、設置場所には気を付けてくださいね」
興奮気味に囁き合う人々を残して、エアロンはその場を立ち去った。
その後ろ姿を敵意に満ちた眼差しが追う。
***
エアロンは再び夜道を歩いていた。
今日の夕飯はやや格調高いレストランで取った。たまにしかない出張だ、これくらいの楽しみがないとやっていられない。
彼が副主任という地位に昇格して四年。かつては相棒のグウィードと欧州中を飛び回り、人に言えないような仕事をこなしたものだったが。それももう遠い過去の話になりつつある。
先程食べた舌平目の味に思いを馳せつつ、ふと足を止める。
嗚呼、まただ。
どうやら気のせいではないらしい。足音が重なっている。
忍び寄る影に振り返った直後、複数の手が彼に掴み掛った。咄嗟に身を翻すも、運悪くそこに停められていた大きなトラックの影に追い詰められ、逃げきれない。そのまま路地裏へと引き摺り込まれてしまった。
拳が腹に埋め込まれる。食べたばかりのフルコースが食道をせり上がった。
「んぐっ……! ちょっと、一人相手に大勢でってのは、よくないんじゃない?」
エアロンが睨み付ける。相手は四人、いや五人だろうか。暗すぎて断定はできないが、その中に知った顔は無いようだった。
男の一人が黙って彼を殴り付けた。避けようにも、両腕を掴まれているので身動きが取れない。痛みに顔を顰めていると、目の前の男に髪を掴まれた。
「この街から出て行け」
エアロンは唇に滲んだ血を舐め取りながら鼻を鳴らした。
「なんだ、ちゃんと口利けるじゃん。だったら殴る前に用件を言ってよ」
「黙って言うこと聞きゃいいんだよ、クソガキ! 余計なことしやがって」
「余計なこと? おにーさん、教えてよ。何がどう余計だったの? ん?」
再び拳が飛んで来る。エアロンは鼻血が滴るのを感じた。男が仲間に紙とペンを持って来させる。
「これにサインしな」
「何それ。暗くてよく見えないんだけど」
「いいから言うこと聞けって言ってんだよ――ッ」
男が拳を振り上げると同時に、エアロンは口に流れ込んでいた血液を唾と共に吐き掛けた。
「うわっ」
相手が怯んだ一瞬。目にも止まらぬ速さでエアロンが身を捩り、右腕を押さえていた男を蹴り飛ばした。他の男たちが反応する間を与えず、懐から銃を取り出す。銃声が辺りに響き渡った。
「ぎゃあああああ」
肩を押さえて叫ぶ男。その悲鳴で、他の男たちも我に返る。
「このガキ、調子に乗りやがって……!」
男たちは一斉に襲い掛かった。エアロンは素早い動きで拳を掻い潜りながら、銃の台尻で相手を殴り付けた。頬骨の砕ける鈍い衝撃がグリップ越しに伝わってくる。
一人蹴飛ばし、一人殴って気絶させたところで、背後に新たな気配が現れた。ドサリと崩れた男の体を跨ぎ越し、こちらへと歩み寄る影。すぐさまエアロンが銃を向ける。
歩み寄るその姿は闇夜よりも黒い。浅黒い肌にぽっかりと浮かぶのは、吊り上がった琥珀色の瞳。狼のように鋭い眼光がそこにはあった。
グウィードがフードを下すとエアロンも銃口を上に向けた。
「エアロン、大丈夫か?」
エアロンは銃を収めて血と汗を拭った。
「大丈夫に見える? 遅いんだよ、この馬鹿」
「遠巻きに見張っとけって言われたからそうしてたんだが」
「普通、殴られてたらすぐに助けに来るでしょ! 何? 日頃の僕への仕返しのつもり?」
グウィードはギクリとしたところを見られないよう顔を背けた。エアロンはぶつくさ言いながら着衣の乱れを直している。
「まったく、寄って集って酷いと思わない? 僕の顔は商売道具なんだぞ……」
「悪かったって。でも、そんなもんで済んでよかったじゃないか。こいつらただの素人だ」
一人一人に懐中電灯を近付けて顔を確認する。
「……やっぱり。こっちの宿に泊まってた奴らだ」
「街でコソコソ嗅ぎ回ってたって連中?」
宿屋の主人が話していた集団だ。今回、エアロンとグウィードは万一のために宿を分けていたが、それがたまたま役に立ったらしい。あの話を聞いて以降、エアロンはグウィードにその一団の行動を調べさせていた。
「結局、こいつらが何者なのかよくわからなかった。なんかの商人っぽかったけどな。部屋に忍び込んだら、胡散臭い名刺とかチラシをわんさか見つけたんだが、調べてもそんな会社は実在していなかった」
「おっ、奇遇だね。僕と一緒じゃん」
そう言ってエアロンは落ちていた紙を拾い、街灯の届く所で内容を確かめた。
それは宣誓書だった。内容は『昼間配布した電磁波遮断装置は偽物であり、使用しても何の効果も無い』ということを認めるものである。
「ふぅん……ま、予想通りかな」
紙は畳んでポケットに入れた。
「エアロン、来てくれ」
グウィードが呼ぶ。彼は気絶している男の一人を指差した。
「ん? この人には見覚えがあるね」
エアロンは唇をなぞるとニヤリと顔を歪めた。
「あーああ。やっぱり隠し事があったじゃないか……嘘吐き」
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