1-3 ベルモナ① 依頼

 エアロンは執務室に籠り、二週間前にベルモナという街で見聞きした事についてのレポートに取り組んでいた。

 ベルモナに赴いたのは、元々はハロルド・リンデマンの紹介によるものだった。彼の警察学校時代の知人だという男から依頼を受けたのだ。


「進んでる?」


 手を止めたエアロンに向かって、メイドのアンが問い掛ける。二人は主従の関係であると同時に、親しい友人同士でもあった。


「あんまり。主任に提出する報告書、どこから書けばいいかなぁって」

「あら。よかったら話聞いてあげましょうか?」

「んー、そうだね。お願い」


 エアロンはミルクが多過ぎる紅茶を吹き冷ましながら、二週間前の出来事を振り返り始めた。



***


「悔い改める時が来た! 神は人類の横暴にお怒りなのだ。これは傲慢さへの罰である!」


〈天の火〉信者たちが騒ぐ。


 十九年前、突如地球を襲った電磁波災害。

 ソレは何の前触れもなく訪れ、ほんの一呼吸の間に電気系統を破壊し尽くした。

 人々が感じたのは僅かな刺激とのぼせたような体温の上昇だけ。その些細な違和感に足を止めた次の瞬間、街は壊滅していたという。飛行機が墜落し、交通事故が連鎖した。あちらこちらで火の手が上がる。生産も物流も停止した。医療は一時的に機能しなくなった。夜になり、灯りを失った街を照らしたのは、火災による鮮烈な赤と対照的な白い月。


『原因不明の大災害、欧州に続き北米でも――自然現象か? 天の裁きか?』


 当時の新聞はそう書き立てた。以来、この大災害は〈天の火〉と呼ばれている。


「ばぁーかじゃないの」


 エアロンはデモ隊の横を通り過ぎざま、聞こえよがしに呟いた。たちまちデモを行っていた男の一人が食って掛かる。


「そこのお前、今なんて言った?」

「え? 何か聞こえました? 僕は何も言ってませんけど」


 彼は愛想のいい笑顔を浮かべて白を切る。男は訝しげに彼の長身を見上げていたが、フンと鼻を鳴らすとその手にビラを押し付けた。


「この街は神をも恐れぬ不届き者の集まりだ。〈天の火〉に焼かれる日も近い」

「へえ、おっかないですね。僕も早めに出て行くことにしますよ」


 エアロンはビラをポケットに突っ込んで、そそくさとその場を立ち去った。


 こんな光景は今日どこにでも見られるものだ。〈天の火〉を天の裁きとして信奉するカルト集団が次々に立ち上がり、広場や行政機関、発電所に向けて主義主張を喚き立てている。

 それは、最初の電磁波災害が、世界大戦の最中に発生したことに起因しているという。続く三度の発生は悉く当時の先進国を破壊し尽くした。この未曽有の大災害により、人類は戦争どころではなくなってしまう――つまり、電磁波災害が終戦に導いたのだ。

 とは言え、それを「天の裁きだ」などと崇めるのは馬鹿げている。少なくともエアロンはそう考えていた。実際、彼らが一介のデモ集団に留まっているのを見れば、人類の大多数がそう思っているのは明白だろう。電磁波災害も今や地震や台風と変わらない、日常の一部になっている。電子機器の恩恵の多くを諦めた人類は、新しい災害と共に生きる道を歩み始めたのだ。


 エアロンは依頼主と会うために酒場へ入った。半地下の店内は昼間でも薄暗く、丸いテーブルの上では、色硝子を被せた蝋燭が朧気な光を投げ掛けている。彼はカウンターに直進して店主に名乗ると、示された席に向かった。

 バーデンは白髪交じりの痩せた中年男性だった。外見にはこれと言って目立つところはない。外套の隙間から警官の制服が見えていた。


「ハロルド・リンデマン氏のご紹介で伺いました。茨野商会の副主任、エアロンと申します」


 バーデンは彼の顔を不躾な程まじまじと見つめた。対するエアロンは、口角を最大まで吊り上げた完璧な笑顔で受け止める。紹介された依頼人にこういった反応をされるのは初めてではないのだ。


「予想していたのと違いました?」


 彼は面白がって言った。


「はあ、正直なところ」


 と言って、バーデンは再びエアロンの全身を舐め回す。

 無理もない。一見して、エアロンは良家の子息か若手の実業家を思わせる風貌をしていた。そう見えるように意図して身形や髪型に気を遣っているのだ。ハロルドがどんな説明をしたのかはわからないが、きっとバーデンが事前に聞いていた印象とは大きくかけ離れていたのだろう。


「おたくは、その……多少の汚れ仕事も引き受けてもらえるとか?」


 ほら来た。この質問だ。

 エアロンは爽やかに答えた。


「はい。多少どころか、殺し以外ならどんなことでも承りますよ。今回僕が呼ばれたのも、何か大っぴらにはできないお話だそうですね?」

「あ、ああ。そうなんだが……」


 言い淀む。エアロンは励ますように頷いた。


「ご相談を躊躇っておいでですね。弊社の商材はズバリ、人。ハウスキーピング、速記、運転、機械修理、変装、護衛に諜報活動まで、あらゆる分野のエキスパートを取り揃えております。ですが、弊社はただの人材派遣会社でも、言われたことをこなすだけの便利屋でもありません。お客様のご要望に合わせて、企画立案から実行まですべてを一貫してご提供する――それが我々、茨野商会です」


 バーデンは眉間に皺を寄せながら耳を傾けていた。


「おたくの守秘義務はどうなっている?」

「当然、秘密厳守を徹底しております。お客様の個人情報はもちろん、ご依頼内容に関しても一切他言いたしません」


 それを聞いてバーデンは少し安心したようだ。エアロンが付け加える。


「茨野商会、及び取引の内容につきましては、お客様にも他言無用をお願いしております。万が一にも約束をお守りいただけなかった場合には、それ相応の措置を取らせていただきますので、ご了承くださいませ」


 と、彼は細く開いた目の隙間から鉛色の眼光を覗かせる。一変した青年の気配にバーデンはビクリと身を竦ませた。エアロンはニンマリと笑みを浮かべ、人差し指を唇に当てて囁いた。


「さて……お客様は何をお望みですか?」


 バーデンがゴクリと唾を呑む。彼は素早く店内に警戒の視線を巡らせた。店には他に客は二組しかいない。入口の傍で飲んだくれている労働者風の二人組。それから、奥の暗がりでじっと身を潜めているフードの男だ。彼はどちらにも聞こえないよう声を落とした。


「広場に陣取っているデモ隊を見たか?」

「ええ。〈天の火〉信者たちですね」

「あいつらをこの街から追い出すのに力を貸してほしい」


 エアロンの目がキラリと光る。


「面白いご依頼ですね。彼らがいて何かマズいことでも?」

「不味いことだらけだ。単に〈天の火〉が天罰だとか時代遅れなことを喚いているだけなら構わんが、最近来たあいつらは、電気を呪われたエネルギーだと触れ回っている。我が街ベルモナは、電気の普及率が高いことを売りにしているんだ。それなのに、あんなに人目に付くところで『電気を使うのは冒涜だ』などと騒がれたら、街の評判にも関わりかねない」

「それは確かに困りますね」


 エアロンは控えめに訊ねた。


「しかし、警察だけでは追い払えないんですか?」

「何度も注意はしているとも。だがな、奴らは広場で叫ぶ以外のことはしないんだ。信仰の自由だかなんだかがある限り、警察が奴らを取り締まることはできないんだよ」


 いっそ暴動でも起こしてくれればなあ、とバーデンは不謹慎な溜息を漏らす。エアロンは同情を顔に表した。


「なるほど。事情はわかりました」

「何とかできるのかね?」


 バーデンの期待に満ちた眼差しにエアロンは強く頷いた。


「もちろんですとも。対策を考えてみましょう」


 そう言いながら、チラリと探るような眼差しを向ける。


「バーデンさん、僕が依頼を引き受けたからには、あなたには僕を全面的に信用していただかなければなりません。もし、まだ本件についてお話しされていないことがありましたら、今のうちにお聞かせ願いたいのですが。何か隠している事などはありませんか?」


 バーデンは一瞬表情を強張らせた。彼の目に不信感が宿る。


「隠し事? 何か思い当たることでもあるのかね?」

「まさか」


 エアロンはパッと笑顔を繕い、両手の平を広げて見せた。


「ご依頼いただいた際は必ずお訊ねすることにしているんです。何も無ければ結構ですよ」

「……思い付く事は無いな」

「そうですか」


 エアロンは契約書類一式を取り出した。


「準備に多少お時間をいただきます」

「どれくらい掛かるのかね?」

「なに、一週間も掛かりませんよ」


 バーデンはまだ信用しきれないといった顔をしている。


「ハロルドに僕らの評判は聞いておいでなんでしょう?」

「まあ、優秀だとは聞いているよ」

「それは光栄ですね。僕らのことは胡散臭いでしょうが、ハロルドは善良で誠実な警察官です。彼の言うことは信じられると思いませんか?」


 エアロン青年は茶目っ気たっぷりにウィンクを飛ばしてみせた。釣られてバーデンも笑みを零す。


「君のその自信は好ましいよ」

「ありがとうございます。必ずご期待に添いますよ」


 二人は握手を交わした。

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