1-2 不審な集団
グウィードは〈ホテル・フルメン〉の三階のテラスに立っていた。
目線とほぼ同じ高さには茶色い屋根の海が広がっており、町のシンボルである古い宮殿とその鐘楼が頭一つ突き出ている。
町側の眺望はあまり良いとは言えないが、このホテルの売りは別にある。崖に半分埋め込まれたような構造のため、全室が渓谷を臨むリバービューになっているのだ。おまけに地下階からは外階段で川原まで下りられるようになっており、夏の繫忙期にはそれなりの賑わいを見せる。
しかし、観光シーズンにはまだ早い。夏には大輪を咲かせるパラソルも、テラスの隅でひっそりと身を寄せ合っていた。
件の不審な集団が現在外出中であることは確認済みである。本日〈ホテル・フルメン〉に他の客が宿泊していないことも。であれば、今のうちに部屋を漁らせてもらおう。
テラスから屋内へ侵入する。施錠されていたが、彼の腕を以てすれば何のことはない。愛用の道具で音も無く鍵を開け、するりと体を中に滑り込ませる。
短い廊下に部屋が二つ。端には下へ続く階段がある。冬の間は殆ど使用されていなかったのか、建物全体がどことなく埃臭かった。ひんやりとした空気が石の壁から伝わってくる。
踊り場から下を覗き込む。地上階からラジオの音が聞こえていたが、見たところ人気は感じられない。グウィードは警戒しつつ二階へ下りた。
使用中の部屋は一目瞭然だ。扉の隙間に目を凝らし、施錠されていればそこが目当ての部屋である。再びピッキングで抉じ開ける。
簡素な客室だった。備え付けのベッド二つにエクストラベッドが一つ。その他はタンスと机と洗面台だけ。調度品は緑で統一されており、やはり少し埃臭いが、居心地はそれ程悪くない。
荷物を見るに、この部屋に滞在しているのは男性が三人らしい。着替えは普通のシャツにズボン、その他洗面用具など変わったものは何も持ち込んでいない。身元の特定に繋がるものも残されていなかった。
次の部屋も同じようなものだった。
気になったのは三番目の部屋だ。部屋の間取りは同じだが、どうやらこの部屋を使用しているのは女性らしい。仄かに洗髪料の甘い香りが漂っていた。
異性の部屋を漁るのは少々気が引けるが、仕事なのでそんなことを言ってもいられない。
グウィードはできるだけ余計な物は見ず、触らないようにしながら、トランクを開けた。可愛らしい小物類を見るに、持ち主はまだ若いのだろう。
人は重要な物ほど狭い場所に入れがちだ。トランクの上蓋に縫い付けられたポケットに手を滑り込ませると、指先に固い紙の感触がある。彼は何も考えずに引っ張り出した。
ひっくり返すと、荒んだ瞳と目が合った。
何故だか息を呑んだ。
明らかに栄養状態の悪い、幼い少年の白黒写真。真っ直ぐにこちらを睨んでいる。印刷が荒いため細かい特徴は見分けられないが、どこかで見たことがあるような気がした。
これはいつ頃撮られた写真だろう?
紙は大分傷んでいるから、少なくとも十年は経っているに違いない。とすれば、この写真の少年は今頃二十歳をとうに過ぎて――……。
グウィードはハッと身構えた。
優れた聴覚が警鐘を鳴らす。
下の階で扉が開いた音がした。音の重さから考えて、玄関扉だろう。数人の足音が建物に入って来る。
グウィードは写真を元に戻し、部屋の鍵を掛け直して三階へ上がった。吹き抜けの階段が物音を響かせる。覗き込んでも姿は見えないが、声は十分に聞き取れた。
「我々はこのまま待ち合わせ場所へ参ります。お嬢様は部屋でお休みになられますか?」
男の問いに柔らかな声が返事をした。
「いいえ、大丈夫よ。あたしも一緒に行くわ」
不思議な響きのある声だ。すぐそこで話しているのに、遠くの誰かへ囁いているような。
「俺はこれを下へ届けてきます」
若い男の声がしたと思うと、階段にその姿が現れた。グウィードは即座に頭を引っ込めるが、幸い相手はこちらに気付かなかったらしい。ミネラルウォーターの瓶を抱えたマントの男が階段を下りていく。
男は程無くして戻ってきた。
再びあの柔らかな声。
「ねえ、あの子は連れて行ってあげないの? 誰か見張りを代わってあげたらいいのに」
「気にすることはありません。戻ってきたら彼女にも外出させますから」
「そう……」
「では、参りましょうか。町外れですので、少し歩きます」
足音が出て行った。扉が閉まる。
グウィードは直ちにテラスへ出た。
マント姿の男が三人と、先程の声の持ち主であろう女が一人。つば広帽子のせいで顔までは見えなかったが、長い黒髪が背中に垂れていた。
地上の四人組は速いペースで歩いて行く。グウィードも頭上から追跡を開始した。
グウィードが仲間内で狼に喩えられるのは、決してその鮮やかなウルフアイだけが理由ではない。驚異的な身体能力と持久力、そして忍耐力により身に付けた高い追跡能力を有している。
屋根から屋根へ、時には窓枠をよじ登ったりベランダを飛び越えたりと、高低差を物ともせずに追跡を続ける。日々磨き続けた技は、アクロバティックな動きであっても物音ひとつ立てはしない。
川に沿って南下していた。町外れまで結構な距離を歩いたが、その間四人組は会話を交わす素振りを見せなかった。
建物が疎らになり、視界が開ける。町の境界を走る外周道路に突き当たったのだ。車の往来は少ないが、山の斜面に発展したエルブールでは最も広い道だ。
四人組は路肩に停車しているトラックに近付くのを見、グウィードも地上に降りる。慎重に身を隠しながら距離を詰めた。
トラックの運転手が降りて来る。その男は軍服にも見える制服を着ていた。二、三言葉を交わした後、五人はトラックを回り込んで、荷台に積まれた物の確認を始めた。それは大きくて箱型をしているが、布が掛けられているため詳細はわからない。制服の男が何か説明をしているようだ。
姿を見られないギリギリの距離まで近付いてみる。辛うじて声は聞こえるが、会話の内容までは聞き取れそうにない。
「これが例の……?」
「ここ……は一台分です。これを……で、組み立て……」
「大きいですね。運ぶには……を……できませんか?」
「もちろん、すべて一台ずつ……」
その後、五人は地図を広げ、いくつかの地点を指差して相談を始めた。
グウィードはじんわりと焦り始めた。
今のところ何の収穫も挙がっていない。
漏れ聞こえる会話ははっきりとした意味を為さず、ここから彼らの素性や目的を探るのは不可能だった。せめてあの積み荷の正体だけでも突き止められれば、と思ったが、彼らは荷台のすぐ前にいるのだ。調べるにはかなりの危険を冒す必要があるだろう。
『手ぶらで帰ってきたら承知しないからな』
脳内で鉛色の眼差しが彼を射抜く。無意識にぶるりと体を震わせた。
仕方がない。意を決した。
幸い五人は議論に夢中で、振り返ることはなさそうだ。対向車が足音を掻き消すタイミングを見計らい、車の前方へ飛び込んだ。
一瞬、ちょうど対角線にいた娘が顔を上げた気がした。帽子の影に浮かび上がる、印象的な瞳。思ったより若い――などと観察する間も無く、彼女はまた視線を下に落とした。どうやら気付かれたわけではなかったらしい。
積み荷に手を伸ばす。硬い。金属の硬さだ。覆いの下に更にカバーが掛けてあるらしく、残念ながら直接モノを拝むことはできそうになかった。カバー越しでもいくらかの凹凸が感じられ、何やら複雑な造りをしているように思われる。
何かの機械だろうか?
生憎とグウィードは機械の類に疎い。そもそも電磁波災害の発生以降、複雑な機械をお目に掛かることすら珍しくなったが。
少し覆いを切ってみよう。腰に下げられたナイフを外し、切っ先をカバーに当てようとした時だった。五人の話し合いが終わった。
「決行は明朝で変わりなく?」
男の声が言う。
「ええ。あまり時間を掛けても仕方ないでしょうから。これ以上注目されて、計画に支障を来すと困ります」
「ほら! やっぱり怪しいのよ、その格好。誰が見ても不審者よ」
「ある程度までは目立ちたいのですよ、お嬢様」
男は「ある程度までは」を強調した。先程水を地下に運んでいた若い男だろう。若干の訛りを感じたが、グウィードにはそれがどこの訛りかはわからなかった。
「では、また実行の時に」
運転手の男がこちら側へ回り込んでくる。
まずい。身を隠す場所がない。
グウィードは咄嗟に車体の下へと体を滑り込ませた。
頭上でエンジンが息を荒げる。車体が小刻みに振動し、車はゆっくりと走り始めた。残された四人組がもうこちらを見ていないことを確かめたかったが、両手両足で車体の裏に貼り付いているグウィードにはそんな余裕はなかった。
速度を上げるにつれ、熱が直で彼を襲う。僅かでも体を動かせば、垂れた衣服が地面に擦れて焦げた臭いを撒き散らす。筋肉が悲鳴を上げる寸前、やっとこさ荷台へ体を引き上げることができた。トラックは既に町を出る鉄橋を渡り終え、林の中を走っている。
グウィードは荷物の隙間に転がり込み、大きく安堵の溜息を吐いた。排気ガスで侵された肺に、新鮮な空気がなんとも美味い。
やりかけた仕事を再開しよう。
覆いの端をずらし、ナイフでカバーを切り付ける。それは、やはり何かの装置に見えた。溶接された箱のような表面。切り口から指を突っ込むと、管のようなものも確認できた。
積み荷は他にもいくつかあった。大きさはまちまち、形も様々である。中には、畳んで収納された巨大な鉄扇のようなものも見られた。
粗方見終わったところで撤退することにする。このまま車に乗っていれば拠点に着くのだろうが、それがどれ程遠いのかわからない。今日中に帰れなくなる危険を冒すより、一度戻って報告をした方がいいだろう。
林を抜ける直前に荷台から飛び降りた。トラックは彼に気付くことなく走り続ける。やがて眼下の牧草地を走っていくのが見えた。
結局、例の集団の素性も、あの積み荷の正体もわからないままだ。
ジロリと睨むエアロンの顔を思い浮かべ、グウィードはげんなりしながら帰路に就いた。
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