1-1 町長の失踪

 未だ冬の名残も色濃い春の終わりのこと。山頂からの風が雪の匂いを運ぶ朝。

 茨野商会のエアロンは、営業所の応接室にて接客の真っ最中であった。依頼人はこの町の警察官、ハロルド・リンデマン氏だ。


「やあ、エアロンくん。朝からすまないね」


 赤毛の巡査部長は疲れた顔でそう言った。


「構いませんよ、ハロルド」


 エアロンは猫のような山型の瞳で相手を観察した。普段のハロルドはその眼差しに内面の若さを感じさせるのだが、今日は年相応に草臥れて見える。声にも疲労の色が滲み出ていた。


「突然いらっしゃるもんだから、何か悪いことしたっけと不安になってしまいましたよ」


 ハロルドはニヤリと笑った。


「いつも悪いことばかりしているじゃないか」

「心外ですね。僕らに後ろめたいことなんて、身分証と事業内容くらいのものですよ。法人税だってちゃんと納めてるのに」

「ダミー会社で?」


 エアロンはこの話は終いだと手を挙げた。


「紅茶をもう一杯いかがです? お顔を見るに、あまり愉快な用件ではなさそうですね」

「どうだろう? そうでなければいいなと思ってここに来たんだ」

「お聞きしましょう」


 ハロルドは神妙な面持ちで前のめりになる。合わせた指先が落ち着かなげに動いていた。


「マシューがいなくなった」

「ドレルム町長が?」


 エアロンは意外そうに眉を吊り上げた。


「ああ。昨日仕事を終えてから家に帰っていないんだ」

「今朝も?」

「出勤していない。ビアンカも連絡が無いのは心配していたが、酔っ払って誰かの家に転がり込んだのだろうと思っていたそうでね。それで今日になってやっと行方不明だとわかったわけだ」


 目撃情報は一つも無かった、とハロルドは付け加えた。

 夏のエルブールは避暑地として人を集めるが、シーズン前の今は閑散としている。町一番の著名人であるドレルム町長を誰も見ていないというのは、些か奇妙な話だった。


「とすると、考えられるのは山か川ですかね?」

「まさか。この町の人間が夜に山に入るわけがない。ましてや川なんて。と、思うんだが……」

「念のために僕らに探してきてほしい、ということですね?」


 しかし、ハロルドは首を振った。


「いや。そっちは我々の領分だ。君たちに頼むのはもっと――その、警察が動けない部分でね」

「と、言うと?」

「あー、つまり、マシューに私やビアンカの知らない交友関係があれば、と思ったんだ」


 エアロンはハロルドが慎重に言葉を選んでいるのを見て、彼の言わんとしていることを察した。わざとらしくニヤッと笑う。


「ああ、ゴシップですね!」

「んんんっ。親友から言わせてもらえれば、マシューに限ってそんなことは、断じて! 無い! と、信じているんだがね」

「僕は何があっても驚きませんが。それは確かに我社の領分ですね。秘め事を探るのはお手の物ですから」

「本当にろくでもない会社だね」


 エアロンはムッと眉を寄せた。


「常連のくせに、よく言いますよ。あなたから受けた最初の依頼もなかなかだったと思いますけどね」


 すると、ハロルドはギクリとして視線を泳がせる。


「えーと、なんだったかな? 何年も前だから忘れてしまったよ。確か酷く個人的なことだった気がするが……」

「あれ、お忘れですか? 結婚指輪ですよ。結婚指輪を失くしたから、奥様にバレる前に探し出してほしい、とのご依頼でした」


 当時を思い出しながら、エアロンがニヤニヤ笑う。ハロルドは赤面して頭を掻いた。


「ああ、あの時は本当に助かった。まさに藁にも縋る思いで……そういえば、まだどこで見つけたのか聞いていなかったな。指輪はどこにあったんだい?」

「さぁ? 僕も知りませんよ」


 エアロンはケロリとして答えた。


「指輪なんて落としたらまず見つかりっこないですから。本物そっくり、よくできてるでしょ?」

「えっ」


 ハロルドの顔が蒼白に変わる。無意識に薬指を弄っていた。


「じゃあ、この指輪は……」

「さて、ハロルド。話が逸れましたよ」

「君のそういうところが一番ろくでもないと思うな」


 人の良い巡査部長の精一杯の嫌味を鼻であしらいながら、エアロンは書類の作成に取り掛かった。


「何か他に手掛かりになりそうな情報や、気になることはありませんか?」


 返答までに少しの間があった。万年筆が紙面を引っ掻く心地よい音が二人の間を走って行く。長い逡巡を経て、ハロルドは口を開いた。


「町に気になる集団が来ている」

「へえ。どんな人たちです?」

「一様に帽子やフードで顔を隠していてね、よくわからないんだ。数人でうろついているけれど、旅行者という風でもない。端的に言えば、不審、だな」


 エアロンはペンを止めた。


「随分はっきり言いますね。最近増えている〈天の火〉信者ではないですか? ほら、僕がこの前ベルモナで処理してきたような」


 ベルモナという地名を聞いて、巡査部長は一瞬明らかな反応を見せた。疲れた顔が更に曇る。エアロンは彼が何を言うのか身構えて待ったが、ハロルドは溜息を吐いて首を振っただけだった。


「もしかして、あの件で何か進展がありましたか……?」


 恐る恐る問う。しかし、ハロルドはまるで耳に入らかなったかのように話を戻した。


「〈天の火〉信者か。その可能性は否定できないな。私はまだ見たことがないんだが、彼らは何か住民に迷惑を掛けるようなことをするのかね?」

「……いえ、そこまででもないと思いますが」


 エアロンは質問を無視されたことに戸惑いながら答えた。


「基本的には広場やなんかで喚き立てるだけですよ。『電磁波災害は天の裁きだ』とかなんとか言ってね。少なくとも、僕がベルモナで見た一団はそうでした」

「そうか。もしそうだったら、騒音苦情くらいは覚悟しておかないとな――いや、そうであってほしいよ」


 ハロルドは肩を落とし、眉間に刻まれた皺を揉み解した。


「余所者だからって無闇に疑うのはよくないとわかってはいるんだが……マシューの件もあるし、どうもな……」

「あなたが気にされるのは当然ですよ。よければそちらも少し調べてみましょうか? 素性はわからなくとも、エルブールに来た目的くらいは明らかにできると思いますよ」

「それは有難い。よろしく頼むよ」


 二人は報酬の話を詰め、契約書を交わした。エアロンは玄関で依頼人を見送った。

 曇天の街には珍しい、真っ青な空だ。不吉なことなんて起こりそうもない。そんな空の下、赤毛を制帽で隠しながら、ハロルド・リンデマンは振り返った。


「ところで、君がさっき気にしていたベルモナの件だがね。君があそこを発ってすぐに本物の電磁波災害が起きただろう」

「げっ。やっぱりバーデンさんから苦情でも来ましたか?」


 エアロンは長身を屈めて恐々とハロルドを見た。

 が、続く言葉はあまりにも虚ろだった。


「いや、死んだよ。あの災害で起きた火災に巻き込まれたんだそうだ」



***


 エアロンは早速ハロルド・リンデマンの依頼に取り掛かった。この件を担当させる部下を呼び出す。

 程無くして、逞しい体付きをした全身黒尽くめの青年が入ってきた。跨るように椅子に座り、背凭れに顎を乗せる。仕草こそ少年染みているものの、その目付きの悪さは人を警戒させる。どこか野生の獣を彷彿とさせる男だった。


「話は聞いたぞ。で? 実際にゴシップ絡みの事件だと思ってるのか?」


 その男――グウィードが訊ねる。エアロンは頬杖をつきながら机を指で叩いた。


「まさか。ゴシップだったらとっくに町中が知ってるよ。なんせこんな田舎町だからね。一応メイドたちに聞き込みはしておくよう言い付けたけど」


 依頼調書をグウィードに投げ渡す。


「備考に書いてある通り、町に不審な集団が来ているらしいんだ。グウィードにはそいつらのことを調べてきてほしいってわけ」

「こいつらが関わってると踏んでるのか?」

「ハロルドが、ね。僕はまだ何も考えていないよ。判断材料が無いもの。ま、どうせまた〈天の火〉信者かヴァチカン教の過激派あたりじゃない?」


 グウィードは読み終えた書類を返しながら訊いた。


「滞在場所は?」

「〈ホテル・フルメン〉。川沿いにある小さいホテルだよ」


 グウィードは少し考え、「ああ」と呟いた。


「安い方な」

「グウィード、一応念を押しておくけど、深追いはしなくていいからね」


 エアロンは机越しに指を突き付けた。


「ちょっと調べてみて、そいつらが町長の失踪と関係ありそうだったら、詳しく追えばいいんだ。正体がわからないうちは下手なことはしたくない」

「わかった。気を付ける」


 ああ、でも、とエアロンは付け加えた。


「手ぶらで帰ってきたら承知しないからな。手は抜くなよ」

「わかってるよ」


 鉛色の瞳に背を押され、グウィードは部屋を出て行った。




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