第1章 その8

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 TOYOSUーSYO屋上――崖下の近代長屋風大屋根が些か陰る昼下がり。湾の対岸に東京タワー。その頭上では光沢がかった曇り空にひときわ輝く球体の正体は、遠く宇宙空間に不動を決め込んでいる恒星……この惑星に命の恵みをもたらす太陽だ。

 激怒するチーフの声が崖下の屋根を突き破り、曇り空すら貫き通すかのように、太陽フレアの如く棚引く。

「え! ない、のですか! カツオが!」


 豊洲市場魚市場事務所――デスクに着いてパソコン入力中のチーフが、固定電話の受話器を耳に当てて激怒している。

「遅くとも、午後四時までには、欲しいのですね」と、チーフが受話器に言う。

 壁掛け時計は、一時五分を表示したばかり。

「はー、はー、はい。え? トラックは戻ってきたが、木箱の中が空っぽだったのですか!」

 愕然としたチーフが些か引かれた椅子に尻餅をつくように座り込む。

「……分かりました、とりわけ当たって見ますが、カツオ、最低三尾ですね……」と、ペコペコと謝るチーフが、受話器を戻す。

 向かいにデスクでパソコン入力中の事務服女子が問うは、パーラー女子のキリカであり、本名桐溝零華、自称二十七歳なのだが……ここで事務も訳あってしている。

「どうしたんです、チーフ」

「まただ。だが、君は今の入力をすればいいよ。カツオの伝票はこっちにあるから……」

「チーフ。それって、マグロと」

「そうだね。豊洲署に追加連絡するよ」

 チーフが脱力のままの左手を受話器に伸ばしとって、右手で110でない市内局番からの番号を押す。


 アーケード街の三番星カフェ――ショルダーバッグを下げてポニーテールの舞花が入る。


 豊洲市場通用口――警察IDを防犯カメラに見せて、入って行くパッドを持った沖勇作。


 三番星カフェ店内――昔ながらの……ああ、老舗と言った方が耳に当たりがいいか。街の雰囲気が変わっても、その店内は昭和より以前からの内装をこの令和の今をも保っている木造の昼間でも若干薄暗さが、かえって落ち着くように思える空間のカフェだ。

 カランコロンカラン!

 ドアベルもカウベルの音色で、昭和だ。

 まして、今時紅一点でもあろうポニーテールの二十代女子が入ってくれば……店内にいる年配系客も、見た目五十歳前後のマスターも目を潜めて一目する。カウンター切れ目の厨房にいる見た目二十代女子店員が上目遣いに見て、おしぼりとグラスに水を灌ぐ。

「いらっしゃい」と、マスター。

「らっしゃいませえ」と、女子店員が脱力感ありありで言う。

 そんな視線にお構いもなく……入った一瞬で、店内の客入りを察した舞花が、奥の窓と壁のコーナーで四人掛けテーブル席に目をつける。

「奥のあそこ、いいですか?」と、指差す舞花。

「はい。混んできましたら、相席もお願いするかもですが、よろしければ」と、マスター。

 にっこり笑って、頷いた舞花が、行って座る。

 テーブルの上にはシュガーポットと呼び出しベル、ラミネートされたメニュー。

 イイ感じの距離を保ってついてきていたショートボブヘアで前髪パッツンの二十代女子の店員が、トレーにおしぼりと水が注がれたグラスを持ってきていて、それらを置く。

「いらっしゃいませ。お決まりになったら、このベルで押しててくださいね」と、女子店員がパッツン前髪を揺らし会釈して、戻ろうとする。

「あ、キリマンありますよね。下さい」と、舞花。

「あります、あります」と、切れ長な目がそう見せているのか否から知れないが、しかめっ面だが反応は意外と柔らかい女子店員。

「お願いです。あ、ミルクはなしで」と、舞花が注文する。

「ん。畏まりました」と、女子店員が首部をちょこんと垂れて、ターンして、「キリマン、一丁でーす。マスター」と、戻って行く。

 ショルダーバッグを壁と自分の間に置いて、天板にラミネートされ貼ってあるメニューを見る舞花。


 豊洲市場魚市場出荷場――ブラウン革ジャンで、ブラックジーンズ姿の沖勇作が小脇に抱えるように左手にPパッドを持って、そのドアから入ってくる。

 顔を上げたとたんもう決めていたような動きで、太柱の防犯カメラの真下に立って目を細める。その視界には、今は何も止まってもいない白線枠の駐車スペースが、推定二十メートル先の壁まで続いていて、その途中に太柱が三カ所施設されている。

 足下から顔を動かし……顔を上げていく沖勇作。一番手前の駐車枠に鑑識が記した白墨の跡がある。

 沖勇作がPパッドを起動させて、舞花が設定しておいてくれているカメラ映像のアプリを指タッチして、画面で再生し、左手で遠巻きに離して……実際の駐車場状況を比較する。

「うーうんん……」

 映像では、二回にわたって内海がフォークリフトでトラックに木箱を出し入れしている。

 木箱を積み直したとの内海の証言は、頷けるものでもある。

 頭で想像し、小首を傾げる沖勇作が、「お!」と、発してもう一度見比べる。

 Pパッド画面の再生映像に、一台でなく奥にもう一台の同型トラックが止まっていたかのようにも、思えることに気づく沖勇作。

 Pパッドのデータベースの『冷凍マグロ蒸発案件』タイトルの捜査情報開示閲覧フォルダをタップして開く沖勇作。

 ――派遣従業員の内海さんが、宇都宮市場行き4トントラックへ対象物を搬入した――

 ――数時間後。現地から「マグロの代わりに鮫が入っていた」とチーフに報告があったため、チーフが110番し、地域課の警官二名が現着し、チーフに話を聞き、本庁へと報告した――

 ――本庁からお膝下の豊洲署捜査課へと捜査依頼が下り。本庁の鑑識とともに現場検証と、聞き込み捜査を開始した。防犯カメラをチーフ立ち合いで、派遣従業員の内海さんと豊洲署捜査課全員でチェックした。その際、内海さんの証言に不審無し――

 ――もっか、操作中――

 と、捜査報告欄にコメントが記載されている。

 右手で顎を撫でつつ……天井を見る沖勇作。自然とゆっくり歩きだし……止まっては、天井を探る。

 検証していた固定の防犯カメラが一台と、首振りタイプの防犯カメラが一台で、その問題場所をカバーしている様に見るのは、沖勇作だけでなく、他の捜査員なら明確に想像できるであろう……配置されている。これらの映像データはもらっていない。

 固定カメラの下に来て、狙っている方を黙認する沖勇作。映像を頂いているカメラの対面で、太柱が二本ズレ見えるが……まるっきり現場であろう駐車枠の白線は陰になり見えない。が、仮に、荷台へのフォークリフト作業は丸っと横向きで映ることも想像できる。

 首振りタイプの防犯カメラの下に来た沖勇作。柱の死角で現場であろう駐車枠は全く見えない。隣の駐車枠は三分の二が見えている。

 問題の4トントラックが止められていた駐車枠に戻りつつ、胸の前で腕を組んで右手で顎を擦って、Pパッドを右脇にして唸る沖勇作。「うう……ん……」

 黒いハイカットスニーカーが白墨跡の目深に止まる。


 三番星カフェ店内――コーナー窓際席の舞花がカップを口にしてキリマンジャロを啜る。

 カップを置きつつ……店内を一望する舞花。

 何か? ゆったりとした時の流れで、空気感のある店内。カウンター切れ目でも暇を持て余しているのか? 女子店員が陰に隠れているものの、堂々とスマホを弄っている。店内に目を向けては、スマホ画面を見る女子店員が、何やら文字入力をしている模様でもある。

 おもむろにバッグからスマホを取り出して……画面に『申立サイト黒板』を出して、開示チャットを、スラッシュしつつ閲覧する舞花。

カップを啜っては、片手の親指でスラッシュし、その目が見開いて、舞花の指が止まる。

 世直し女子とライスケーキ女子のチャットを、目にする舞花。

 ――世直し女子さん。アドバイス頂きました。サンキューです。ライスケーキ女子――

(ライスケーキ女子って、鏡餅体形なのかな?)と、思い浮かんで鼻で笑って、カップを啜る舞花。


 TOYOSU―SYO捜査課――デスクワーク中の真中と鮫須係長。

 外線電話のベルの音に、鮫須係長が出る。

「え、なんですって。また、今度はカツオが」と、目を見開き驚く鮫須係長。

 パソコン入力中の真中も驚き顔して、鮫須係長を見る。

「了解しました。直ちに、そちらに刑事を向かわせます」と、受話器を置く鮫須係長。

 デスク下のインカムヘッドセットをして、マウスをクリックした真中が、話す。

「あ、先輩ですか! また、今度はカツオが行方不明に……」

「カツオが! 今、魚市場にいる。事務所に行って話を聞いてくるよ、トール」と、インカムを通じた沖勇作の声が告げる。

「あ、トールも来てくれ」

「え? バディは、先輩」

「今、ピンなんだ、俺。Pパッドの詳しい使い方が今一なんでな」と、沖勇作。

 機敏に立った真中が「鮫須係長。先輩の応援行ってきます」と、敬礼する。

 しっぽりとはっきり頷く鮫須係長が、座ったまま敬礼をし返す。


 リサの部屋――ベッドに横たわった自称世直し女子リサがスマホを眺めている。

 画面に、申立サイト黒板のチャットメッセージ。

 ――世直し女子さん。アドバイス頂きました。サンキューです。ライスケーキ女子――

(いいえ、どういたしまして、って。こっちもお美味しく頂きましたよ。もち肌女子さん)と、思って微笑するリサ。

 ――プライベートな豪邸ダイニングで、カツオのたたきと白ワイン――をアップしたインスタスナップショットが映ったスマホを翳して眺めるリサ。10万いいね!

 スマホ画面に、重低音な70年代洋楽バンドの地獄をイメージする曲のアラーム表示をお供に鳴って、起き上がる。

 素っ裸なプライベートルームの背中が部屋を出ていく……。

 ドンパタンドン!

 と、ドアを開閉する音がして、キューカシャ、と特殊なドアの開閉音!

 シャー……と、言わずと知れたシャワーの音が微かに漏れ聞こえる。

 ベッド脇の床に、赤と黒デザインのランジェリーが無造作に落ちている。


 魚市場事務所――電話をかけまくるチーフ。立ち上がり力を込める。

「そこを何とか……一尾でも……」

 外から窓ガラスをノックする沖勇作。

 事務服女子が、来て、ドアを開け、沖勇作を招き入れる。

「チーフ、防犯カメラチェックしたい」と、沖勇作。

 頷きあうチーフと沖勇作。


 三番星カフェ店内――コーナー席でスマホを弄り見る舞花。

(なんか、気になるな、この女子って)と、何気に思って、プロフィールを見る舞花。

 ――プロフィールに、ブラウスV開けした胸元の鎖骨見栄えの谷間アップ写真。コメントに、個人情報は内緒! ――の文面。

「ライスケーキ、は、餅。で、女子……」と、思考中の声が若干口から洩れるも、カップを啜る舞花。


 豊洲市場警備室――防犯カメラ映像を見る、チーフと沖勇作。

「先輩。お疲れです」

「お!」と、その声に振り替える沖勇作。

 真中がPパッドを持って現れて、警備員にコピーを頼む。

「トール。早かったな」と、沖勇作。

「お膝下ですから、走っても、十分もあれば……」と、ハンカチで額の汗を拭う真中。

「唯一の特技だからな。トールの足の鞘差は」

「はい。高校インターハイ三連覇です」と、ポンと自らの太腿を叩く真中。

 真中に、Pパッドを手渡す沖勇作。

 受け取った真中が、前に座る警備員の一人に手で合図すると、防犯カメラ映像データをパッドに共有する。

 受け取った真中が、指タッチするなどする。

「先輩、そっちにも、映像を」と、真中が告げる。

 沖勇作がPパッド画面を見て、指を迷わせる。

「これをここに、画面貼り付けで、アプリ化して」と、沖勇作が手にする画面を弄る真中。

「おお、サンキュっ、トール」と、沖勇作が共有データを再生する。

 真中も自分のを見る。

 ――澄子がフォークリフトで、トラックに木箱を搬入する映像。

 ――同時刻に、内海が出荷場にいる映像。

 銘々のパッドで映像を見る沖勇作と、真中が顔を向け合う。


 三番星カフェの店内――コーナーテーブル席で、スマホを見る舞花。

(餅、女子……鏡餅……おデブセン……三段腹な女子……って、痩せてるし)

 口を左右に歪めて、カップを持って啜り……「ふー」と、声のように息を吐く舞花。

「あ! もち肌女子!」と、閃いたことで心の声が大音量で舞花の口を通過して表に出る。

 お客が舞花に注目するが、平日の昼下がりの時間帯は年配の常連様メンツで、微笑んでまったり気分にすぐさま戻っている面々の様子。

 舞花が残りのキリマンをゴクリと飲み干して、席を立つ。

 バッグを肩が消しつつ、紙の伝教を鷲掴みにして、出口へと急ぐ舞花。


 魚市場出荷駐車場――沖勇作と真中が見守る中、鑑識が検証する。

 真新しいチョークの印が薄くなった同様の白墨跡が若干ズレている。

 銘々にPパッド画面を見る真中と沖勇作。

「また、この位置ですね、先輩」と、真中。

「うう……ん」と、唸る沖勇作。

「警部補。前回同様に、不審なところは……」と、敬礼して班長がPパッドを見せる。

 同一方向から沖勇作が覗き込み、班長を挟む形で真中も見る。

「班長。今日の分を、こっちに飛ばしてください」と、真中。

 班長が手持ちのPパッド画面をタッチ操作して、真中のPパッドを見る。

「転送来ました」と、真中が画面タッチする。

「よし、班長。何か新たに分かったら知らせてくれ」と、沖勇作が言う。

「はっ!」と、一挙動で敬礼をビシッと決めて、撤収する班長と鑑識捜査員ら。

 ニヒルVサイン敬礼を返して、真中の持つPパッドを見る沖勇作。

「トール。さっきのカメラを再生してくれ」

「はい、先輩」と、真中が画面タッチして、カメラ映像を出す。


 内海と澄子の同棲中アパート――

 エッチ下後の二人が……シングルベッドで寝そべっている。

 澄子が内海にスマホを見せる。

 ――リサはサイトで呟いただけ、実行するかは本人次第! ――のコメント返しメッセージ。

 スマホを眺める澄子。

「当然ポリコーが動いている。ほとぼり冷めたら、適当にやらかして行けばいいよ」と、内海。

「そうでね。労働者の給金は安すぎの国だから、天からの報酬をよね」と、澄子が、寝返り撃って、内海に引っ付き、胸板にキスする。


 三番星カフェの外――出てきた舞花がスマホで電話する。

 舞花……「オジちゃま!」

 アーケード街の隙間風に誘われて舞花が振り返り見た先に、施設の隙間から臨める 東京湾の対岸の都心風景。一目で判別できる赤白東京タワー中心のタワービルの街並み風景。


 近藤の部屋リビング――ガウンを羽織って、パソコンを見ている近藤孝道。

「心の隙間の空いた、先行きが見通せない若者らへ、提供しているだけさ、勇作」と、呟く近藤孝道。


 魚市場トラック出荷用駐車場――沖勇作と真中が……銘々に床を眺めては、考える。

 足と止めてはPパッド画面を眺める真中。

「結構、イケてますね、澄子も、フォークの扱いが」と、真中。

「まっ、もち肌なだけだぜ、この姉ちゃんは」と、沖勇作。

「イケ女系ですよ、先輩」

「だーから、モテないって、嬢ちゃんに……ううんん!」と、目を凝らす沖勇作。

 Pパッドを床に置いた沖勇作が、腰のマグナムを抜き、シリンダから弾を二発抜き取る。

 真中がその不審な行動を見守る中、二つの駐車枠のライン上に置く沖勇作。

 這い蹲って見て、弾の位置を、その位置から重なるように……直し、Pパッドのカメラ機能で撮影し――動画と写真を撮る沖勇作。

「先輩。僕がやりますよ、指示してくれれば」と、真中。

「ま、自身で仕掛けないと、ズレる」と、沖勇作。

「あ! 目がバックミラーを。先輩、これ、見てくださいよ」と、せかす真中。

 ブルったスマホを懐から取り出す沖勇作。

「お! 嬢ちゃんか。署に戻れ」

 真中とアイコンタクトを取る沖勇作。


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