エピソード3「カフェ・ノーラのお仕事」

1-1.今日のカチューシャは小型犬

 蛇口から流れる水にさらしてコップを洗い流していく。

 私はこの食器洗いの時間が好きだ。

 店の中は一年を通して少し暖かくて、だからこそ際立つ水の冷たさを、私の四肢で唯一の生身である左手で感じられるから。

 とはいえ、いつまでも食器を洗っているのも水がもったいない。最後のコップを水切りかごに並べ、意識を私の内側に軽く集中させる。

 

「――、――」

 

 詠唱をきっかけとして体内を巡る魔素を励起、活性化させ、それまで休眠状態だった回路を覚醒させる。頭の中にいくつかの方程式が思い浮かび、必要なものを選択した後に結果をイメージ。一瞬でそれらの工程を終えると、カチューシャで押さえた私の髪が揺れ始めた。

 高温の風が巻き起こり、並べたコップや皿の列の隙間を駆け抜けていく。風魔導による乾燥を一分くらい続けてからカップを確認。よし、問題なく乾いてる。ちなみに今日クレアから指定されたカチューシャは小型犬の耳である。


「相変わらず見事な魔導だね」


 そんなことはない。単なる生活魔導だし、魔導を使える人間ならこれくらい誰でもできる。

 店唯一の常連客であるロナがカップを片手に述べた褒め言葉を、コップを食器棚に収納しながら適当に受け流す。実際、私の返答は事実であるし、特別なことでは無いと思う。


「いやいや、ありふれた生活魔導だからこそ本人の実力が分かるというものだよ、ノエル。魔素を励起させてから発動までの時間、風の制御。どれをとってもムダのない見事なものだよ」


 そこまで褒められると、私としても悪い気はしない。精霊と融合したことで能力を底上げされているとはいえ、魔導の勉強や練習はそれなりにしてきたから。


「まあ使われることがないから、コップを洗う作業自体がムダ作業なんだけど」

「それは言わない」


 否定できないのが虚しい。事実、客は昨日も今日もロナ一人で、私達もそれを見越して食器乾燥器を購入しなかったのだから反論のしようがない。


「ノエル、ちょっとええか?」


 そんな会話をロナと繰り広げていると、クレアが彼女の作業部屋から出てきた。

 

「……うん、ええな。思うたとおり犬耳もよく似合っとるで」


 それはどうも。雑に返事しつつ視線をずらす。

 彼女の手には私の腕があった。どうやら改造した義手を試着して欲しいらしい。


「ちょっとそこ座って、袖を肩までめくってもらってええか? そそ、そないな感じで」


 カウンターの椅子に座って指示通り右腕の袖をめくると、上腕部から伸びる金属の腕が顕わになる。クレアは工具を手にすると、慣れた手付きで私から腕を取り外し、「んー、ちょっとガタが来とるとこあるなぁ」などとつぶやきながらも、あっという間に新しい腕への取替作業を終えた。


「どや? しっくり来るか?」


 軽く腕を回したり、手を握ったりして感触を確認。それから立ち上がって、戦闘モードに変形。銃口が顕わになった状態で軽く踏んだり腕を振り回したりして重心の変化などを確かめてみる。

 うん、問題はなさそう。


「そか。なら良かったわ。新しい加工方法を思いついたから、こないだノエルが持って帰ってきた素材を混ぜてみたんや。スキルも発動してたし、これまでのより強度がだいぶ増しとるはずやで。しばらく使ってみて、もしなんか気になるトコあったら言うてや。調整するから」


 了解した。

 クレアに了解の意を伝えつつ、めくっていたメイド服の袖を戻していると店に近づいてくる気配に気づいた。


「どっちや? モンスターか? 人間か?」

「人間」

「珍しいな。客かいな」

「自分で言ってて悲しくならないかい?」


 ロナのツッコミを私もクレアもそろってスルーして入口に視線を向けていると、やがてベルがチリンと鳴った。


「……良かった! ちゃんとたどり着けた」

「ノエルさん、こんにちは!」


 ゆっくりと開いていった扉の向こうから二つの顔が店内を覗き込んでくる。二人共見覚えのある顔。シオ・ベルツと、確かアレニア・ハスだったはず。


「カフェ・ノーラへいらっしゃいませ。シオ・ベルツ様、こんにちは。ご挨拶ありがとうございます」


 入口で立ち止まってる二人のところにおもむき、お辞儀をして丁重に出迎える。カウンター席かテーブル席かを尋ねると、アレニアがカウンター席を希望した。なのでそちらへ案内するけれども、シオは何故だか立ち止まったまま動かない。


「ベルツ様?」

「……」

「もう……ほら、シーオっ!」

「ぐほふぇっ!? は、はい! なんでしょうかっ!?」


 もう一度呼びかけるも返事がなく、隣のアレニアがシオの腹部に思い切り肘打ちを入れてようやく反応を示した。無防備なみぞおちにかなり深く突き刺さっていたけれど、大丈夫なのだろうか。


「いえ、立ち止まったままでしたので。こちらへどうぞ」

「あ、す、すみません! カチューシャ姿のノエルさんについ見とれ――」


 もう一度案内しようとすると、突然シオが自分で自分の口を押さえた。

 本当に大丈夫だろうか。カフェは病院ではないもののお客様の具合が悪いのであれば介抱くらいはするべきだし、困っている人を助けるのは私の任務でもある。


「ははーん、なーるほどなぁ」


 後ろからクレアのどことなく楽しげな声を聞きつつ、シオの顔を覗き込んでみる。顔が赤い。熱があるのだろうか。背伸びして左手を彼の額に当ててみるが、やはり熱い。むしろますます熱くなっている気がする。私としては奥で休んで頂くことを推奨する。


「だだだ大丈夫です!」

「しかし」

「ほらほら、それくらいにしといてやり、ノエル。それ以上やるとぶっ倒れるで?」


 何を「それ以上やる」と倒れるのだろう? クレアが言っていることがよく理解できない。


「病気ちゃうから気にせんでええ。カウンターで冷たいもんでも飲んどけば落ち着くやろ。ま、ある種病気みたいなもんやけど。な? ハスはん?」

「まーね」


 クレアとアレニアは状況が分かってる様子だが、私はよく分からない。ロナも理解できてるようで「若いねぇ」なんてつぶやいていたけれど、こちらの反応もよく分からない。

 とはいえ、心配することはないとのことなので安心した。


「では、ベルツ様。どうぞこちらへ」

「は、はい……」


 とはいえ、顔から蒸気でも発しそうなくらい真っ赤になってフラフラしているシオは倒れてしまいそうだ。

 なので私は彼の手を引いてカウンターまで誘導する。それからカウンターの奥へ戻ったのだけれど、伝わってきたシオの熱は手を離してもなおしばらく私の手に残り続けていたのだった。



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<魔導①>

・魔素を媒介して世界に干渉し、様々な現象を引き起こす技術。

・魔導を用いた道具などは一般にも流通しており、日常生活に根付いている。

・発動のための手法や魔導の種類、引き起こされる現象などは体系的に整理され学問化。魔導に関する専門の大学も存在する。

・魔導を使える人間は5人に1人ほど。神族の血を引くと使える確率が上がることが証明されている。

・また魔導が使えなくとも、身体能力の底上げをできる者は多い。




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